第14回「小説でもどうぞ」佳作 ここは忘却の彼方/優子
第14回結果発表
課 題
忘却
※応募数217編
「ここは忘却の彼方」優子
ここは忘却の彼方だ。
人は物事を忘れ去った時、その記憶は完全にこの世から消えるものだと思っているかもしれない。しかし忘却された記憶は、彼方に存在する。そしてここが彼方その場所である。
忘却の彼方はコンクリートで埋め立てられた広大な敷地だ。ここは彼方の三十四番地区と呼ばれている。コンクリートの地平線の先に何があるのか、私は知らない。知らないまま、ここで生活している。
ここでの私の仕事は、忘却された記憶の倉庫整理だ。記憶は四方からこの地に飛んでくる。それらが元の持ち主に戻ることはなく、この忘却の地にただ永遠にとどまり続ける。それを放置していては、この地は記憶で溢れかえってしまうため、私のような人手が必要というわけだ。この地では数えきれないほどの人間が同じように働いているらしいが、私が関わっているのはほんの数人程度だ。
いつものように一人淡々と作業をこなしていると、課長の谷が若い女性を連れてやって来た。
「橋さん、ちょっといいかな。こちら新人の森さん。しばらく橋さんの下についてもらおうと思ってるんだけど、問題ないかな? このチームで女性は橋さんだけだからさ。ほら、同姓のほうが何かと話しやすいでしょ。うん、それになんか君たち雰囲気似てるから気も合いそうだし」
谷課長は一息に喋った。特に断る理由もないので私が頷くと、
「これからよろしくお願いします」
と、森さんがペコリとお辞儀をした。谷課長と森さんこそ似ていると思った。二人とも小柄でぽっちゃりとしていて、実の親子のように見える。
谷課長は、じゃああとはよろしくと告げて足早に事務所へと戻っていった。森さんは私の隣にぴったりと立つ。
「えーっと、とりあえず一通り作業してみるから見てて」
「はい」
森さんは大きく頷いて、スカートのポケットからメモ帳とペンを取り出した。メモを取るほどの工程はないが、やめさせるのも躊躇われて放っておいた。
「さっきから気付いてると思うけど、記憶は色んな方向から飛んでくるの。それを拾って、あの棚に並べていく。並べ方は特に決まってないから好きにして。ただそれを繰り返すだけ」
私は背後を指さした。おびただしい数のアルミ製の棚が並んでいる。
その時、空から記憶が飛んできて私達の足元に音もなく落ちた。記憶は両手で持てる程度の大きさで、淡く光る球形をしている。温度も質量も感じない、固くも柔らかくもない、しかし確かに目に見える物体だ。
「触ってみてもいいですか?」
「もちろんどうぞ」
森さんは記憶をそっと抱き上げた。
「なんか、変な感じですね」
記憶が放つぼんやりとした光が、森さんの顔を照らす。彼女は真剣な表情で記憶を見つめていた。
「単純作業だから拍子抜けしたでしょう。でも誰かがしなきゃいけないことだから」
森さんは私に笑顔を見せた。
「私、単純作業好きなんで平気です」
リーンと澄んだ音があたりに響き、作業の手を止め大きく伸びをした。この地では、正午に一度、三時に二度、六時に三度のベルが鳴る。
「休憩しましょうか」
森さんに声をかけると、彼女はハイと返事をして私のほうに駆け寄ってきた。近くのベンチに腰掛け、弁当を手渡した。
「作業はどう? 疲れたんじゃない?」
「いえ、全然。楽しいです。それに谷課長も橋さんも優しい方で安心しました」
「そうね。谷課長とは長い付き合いだけど、怒ったところなんて見たことないわ」
「そういえば谷課長と橋さんって似てますよね」
「そう? 初めて言われた。森さんこそ谷課長と似てるなって思ってたよ」
森さんは目を見開いて私を見た。そんなに意外だったのだろうか。彼女はしばらく無言で弁当を見つめ、そして口を開いた。
「橋さんは、どうしてここで働いてるんですか?」
今度は、私が目を見開く番だった。
「そんなこと……」
そんなこと、もう忘却の彼方だ。
(了)
人は物事を忘れ去った時、その記憶は完全にこの世から消えるものだと思っているかもしれない。しかし忘却された記憶は、彼方に存在する。そしてここが彼方その場所である。
忘却の彼方はコンクリートで埋め立てられた広大な敷地だ。ここは彼方の三十四番地区と呼ばれている。コンクリートの地平線の先に何があるのか、私は知らない。知らないまま、ここで生活している。
ここでの私の仕事は、忘却された記憶の倉庫整理だ。記憶は四方からこの地に飛んでくる。それらが元の持ち主に戻ることはなく、この忘却の地にただ永遠にとどまり続ける。それを放置していては、この地は記憶で溢れかえってしまうため、私のような人手が必要というわけだ。この地では数えきれないほどの人間が同じように働いているらしいが、私が関わっているのはほんの数人程度だ。
いつものように一人淡々と作業をこなしていると、課長の谷が若い女性を連れてやって来た。
「橋さん、ちょっといいかな。こちら新人の森さん。しばらく橋さんの下についてもらおうと思ってるんだけど、問題ないかな? このチームで女性は橋さんだけだからさ。ほら、同姓のほうが何かと話しやすいでしょ。うん、それになんか君たち雰囲気似てるから気も合いそうだし」
谷課長は一息に喋った。特に断る理由もないので私が頷くと、
「これからよろしくお願いします」
と、森さんがペコリとお辞儀をした。谷課長と森さんこそ似ていると思った。二人とも小柄でぽっちゃりとしていて、実の親子のように見える。
谷課長は、じゃああとはよろしくと告げて足早に事務所へと戻っていった。森さんは私の隣にぴったりと立つ。
「えーっと、とりあえず一通り作業してみるから見てて」
「はい」
森さんは大きく頷いて、スカートのポケットからメモ帳とペンを取り出した。メモを取るほどの工程はないが、やめさせるのも躊躇われて放っておいた。
「さっきから気付いてると思うけど、記憶は色んな方向から飛んでくるの。それを拾って、あの棚に並べていく。並べ方は特に決まってないから好きにして。ただそれを繰り返すだけ」
私は背後を指さした。おびただしい数のアルミ製の棚が並んでいる。
その時、空から記憶が飛んできて私達の足元に音もなく落ちた。記憶は両手で持てる程度の大きさで、淡く光る球形をしている。温度も質量も感じない、固くも柔らかくもない、しかし確かに目に見える物体だ。
「触ってみてもいいですか?」
「もちろんどうぞ」
森さんは記憶をそっと抱き上げた。
「なんか、変な感じですね」
記憶が放つぼんやりとした光が、森さんの顔を照らす。彼女は真剣な表情で記憶を見つめていた。
「単純作業だから拍子抜けしたでしょう。でも誰かがしなきゃいけないことだから」
森さんは私に笑顔を見せた。
「私、単純作業好きなんで平気です」
リーンと澄んだ音があたりに響き、作業の手を止め大きく伸びをした。この地では、正午に一度、三時に二度、六時に三度のベルが鳴る。
「休憩しましょうか」
森さんに声をかけると、彼女はハイと返事をして私のほうに駆け寄ってきた。近くのベンチに腰掛け、弁当を手渡した。
「作業はどう? 疲れたんじゃない?」
「いえ、全然。楽しいです。それに谷課長も橋さんも優しい方で安心しました」
「そうね。谷課長とは長い付き合いだけど、怒ったところなんて見たことないわ」
「そういえば谷課長と橋さんって似てますよね」
「そう? 初めて言われた。森さんこそ谷課長と似てるなって思ってたよ」
森さんは目を見開いて私を見た。そんなに意外だったのだろうか。彼女はしばらく無言で弁当を見つめ、そして口を開いた。
「橋さんは、どうしてここで働いてるんですか?」
今度は、私が目を見開く番だった。
「そんなこと……」
そんなこと、もう忘却の彼方だ。
(了)