第13回「小説でもどうぞ」選外佳作 あの秋の日/深井緑
第13回結果発表
課 題
あの日
※応募数219編
選外佳作
「あの秋の日」
深井緑
「あの秋の日」
深井緑
二十代なかばになった今でも、バレンタイン近くには大学時代の友人四人で女子会をする。話題は決まって恋の話。今日はみんなの、初恋について話して盛りあがっていた。
「マキは?」
「私は幼なじみが初めて好きになった人だったんだ。中学の時、テストが終わったら告白しようって決めて」
おおーっ、と他の三人が声をそろえる。
幼なじみのシュンとは、家が隣どうしだった。幼稚園から同じ組で、気のおけない仲。シュンの父親は樹医、母親は花屋でパートをしていて、一軒家のまわりにはいつでも花や緑が絶えず、道行く人々を楽しませていた。マキは両親は共働きだったため時々シュンの家で夕飯を一緒に食べさせてもらった。
小学校三年生にあがるころに、向かいの大きな家に同い年のエリナが引っ越してきて、三人でよく遊んだ。エリナは絵や手芸が好きなおっとりした子だった。父親と同じ樹医を目指す秀才のシュンと、何でもそつなくこなすマキ、おとなしいエリナはそれぞれ全然違うタイプだったが、不思議と気が合った。マキはエリナの影響で少女マンガを読むようになった。
中学にあがると三人は何となくばらばらになり、少しずつ意識し始めていたシュンと疎遠になってマキはさびしかった。
ある日、マキの制服スカートのすそがほつれてしまった。エリナがいつも小さなソーイングセットを持ち歩いていたことを思い出し、聞いてみるとやはり持っていた。猫の絵がついたソーイングセットを借り、ジャージに着替えてマキが自分のスカートを繕っていると、近くで男友達としゃべっていたシュンが声をかけてきた。
「お前、器用だな」
シュンに手元を見られている。マキの頬が熱くなる。
「そうでもないよ」
「いつも裁縫道具なんて持ってんの?」
「これはエリナから借りた」
「ふうん」
それきりシュンは友達との会話に戻ってしまったが、マキの頬は赤いままだった。
マキは勉強にも力を入れた。バスケ部も好きでがんばっていたし、ケータイで友達とのやり取りにも夜遅くまで付き合ったので寝不足になったけれど、遅刻しないように注意した。すべては優等生のシュンにふさわしい存在になりたいがためだった。
夏休み前のテスト期間になると、席が出席番号順に戻る。この時はシュンの真うしろがマキの席になるので、マキはかなりうれしかった。教室の真ん中に近い席で、早々にテストの問題を解き終え頬杖をついて窓の外を見ているシュンを、マキは見つめた。窓の外には学校一の桜の大木がある。樹医になるという夢を追うシュンが、まぶしかった。
夏休みは部活の練習と宿題に追われ、二学期になって久しぶりに見たシュンは少し背が伸びて、より男っぽくなっていた。エリナは家族で避暑地に行っていたそうで、あいかわらず色白だ。マキは部活の練習のとき外でランニングを繰り返したため少年のように日焼けして、そんな自分が恥ずかしくなった。
伸ばした髪をおろし、制服のスカート丈を流行に乗って短くした。部活も勉強も頑張った分、成果も上がり自信がついた。次のテストが終わったら、マキはシュンに告白しようと決めた。
二学期の中間テストの最終日。きれいに晴れた空が高かった。難なくテスト問題を解き、さらっと見直しも終えてマキは微笑んだ。いつものように窓の方へ顔を向けて頬杖をついているシュンを、緊張しながらマキは見つめた。シュンの視線を追ってみる。すると、シュンの視線は外の桜の木よりも少しずれていた。
何を見ているのだろう。風にゆれるカーテンの近く、まだテストの問題を解いているエリナがいた。もしかして、シュンはずっとエリナを見ていたのだろうか。
エリナがシャープペンを置いて小さく伸びをした。その瞬間、シュンが慌てたように前に向き直った。間違いない。シュンが見ていたのはエリナだったのだ。マキは表情をなくした。外の景色が遠のき、自分だけ世界から引きはなされたようだった。この心に関係なくそよぐ緑に、すがすがしい秋の空気に、輝くようなキンモクセイに。
「それで? 幼なじみ男子とはどうなったの?」
「告白せずに失恋だよ」
「いやー、あまずっぱい!」
あの日、マキはエリナのことが急激に憎くなり、そんな自分に困惑した。どうしてシュンは、あんなどんくさいお嬢様なんかを、ただ好きなことばっかりしてるオタクを……。
止まらなかった。エリナの短所ばかり並べたて、嫉妬の沼から抜けられない。
少女向けの恋愛マンガに感化されて、必ず報われる健気な主人公は自分だと、信じて疑わなかった。
マキは、そのとき初めて本物の世界に触れた気がした。醜く、熱く、生々しい……。
甘酸っぱい、なんていう輝きを含んだ言い方は、マキにはまだできない。
あの日のことを思い出すとき、世界のままならなさに初めて出会った幼い戸惑いを、微笑みとともに懐かしむ日がいつか訪れるといい。そう願ってマキは、あの秋の日を心の奥にしまうのだった。
(了)
「マキは?」
「私は幼なじみが初めて好きになった人だったんだ。中学の時、テストが終わったら告白しようって決めて」
おおーっ、と他の三人が声をそろえる。
幼なじみのシュンとは、家が隣どうしだった。幼稚園から同じ組で、気のおけない仲。シュンの父親は樹医、母親は花屋でパートをしていて、一軒家のまわりにはいつでも花や緑が絶えず、道行く人々を楽しませていた。マキは両親は共働きだったため時々シュンの家で夕飯を一緒に食べさせてもらった。
小学校三年生にあがるころに、向かいの大きな家に同い年のエリナが引っ越してきて、三人でよく遊んだ。エリナは絵や手芸が好きなおっとりした子だった。父親と同じ樹医を目指す秀才のシュンと、何でもそつなくこなすマキ、おとなしいエリナはそれぞれ全然違うタイプだったが、不思議と気が合った。マキはエリナの影響で少女マンガを読むようになった。
中学にあがると三人は何となくばらばらになり、少しずつ意識し始めていたシュンと疎遠になってマキはさびしかった。
ある日、マキの制服スカートのすそがほつれてしまった。エリナがいつも小さなソーイングセットを持ち歩いていたことを思い出し、聞いてみるとやはり持っていた。猫の絵がついたソーイングセットを借り、ジャージに着替えてマキが自分のスカートを繕っていると、近くで男友達としゃべっていたシュンが声をかけてきた。
「お前、器用だな」
シュンに手元を見られている。マキの頬が熱くなる。
「そうでもないよ」
「いつも裁縫道具なんて持ってんの?」
「これはエリナから借りた」
「ふうん」
それきりシュンは友達との会話に戻ってしまったが、マキの頬は赤いままだった。
マキは勉強にも力を入れた。バスケ部も好きでがんばっていたし、ケータイで友達とのやり取りにも夜遅くまで付き合ったので寝不足になったけれど、遅刻しないように注意した。すべては優等生のシュンにふさわしい存在になりたいがためだった。
夏休み前のテスト期間になると、席が出席番号順に戻る。この時はシュンの真うしろがマキの席になるので、マキはかなりうれしかった。教室の真ん中に近い席で、早々にテストの問題を解き終え頬杖をついて窓の外を見ているシュンを、マキは見つめた。窓の外には学校一の桜の大木がある。樹医になるという夢を追うシュンが、まぶしかった。
夏休みは部活の練習と宿題に追われ、二学期になって久しぶりに見たシュンは少し背が伸びて、より男っぽくなっていた。エリナは家族で避暑地に行っていたそうで、あいかわらず色白だ。マキは部活の練習のとき外でランニングを繰り返したため少年のように日焼けして、そんな自分が恥ずかしくなった。
伸ばした髪をおろし、制服のスカート丈を流行に乗って短くした。部活も勉強も頑張った分、成果も上がり自信がついた。次のテストが終わったら、マキはシュンに告白しようと決めた。
二学期の中間テストの最終日。きれいに晴れた空が高かった。難なくテスト問題を解き、さらっと見直しも終えてマキは微笑んだ。いつものように窓の方へ顔を向けて頬杖をついているシュンを、緊張しながらマキは見つめた。シュンの視線を追ってみる。すると、シュンの視線は外の桜の木よりも少しずれていた。
何を見ているのだろう。風にゆれるカーテンの近く、まだテストの問題を解いているエリナがいた。もしかして、シュンはずっとエリナを見ていたのだろうか。
エリナがシャープペンを置いて小さく伸びをした。その瞬間、シュンが慌てたように前に向き直った。間違いない。シュンが見ていたのはエリナだったのだ。マキは表情をなくした。外の景色が遠のき、自分だけ世界から引きはなされたようだった。この心に関係なくそよぐ緑に、すがすがしい秋の空気に、輝くようなキンモクセイに。
「それで? 幼なじみ男子とはどうなったの?」
「告白せずに失恋だよ」
「いやー、あまずっぱい!」
あの日、マキはエリナのことが急激に憎くなり、そんな自分に困惑した。どうしてシュンは、あんなどんくさいお嬢様なんかを、ただ好きなことばっかりしてるオタクを……。
止まらなかった。エリナの短所ばかり並べたて、嫉妬の沼から抜けられない。
少女向けの恋愛マンガに感化されて、必ず報われる健気な主人公は自分だと、信じて疑わなかった。
マキは、そのとき初めて本物の世界に触れた気がした。醜く、熱く、生々しい……。
甘酸っぱい、なんていう輝きを含んだ言い方は、マキにはまだできない。
あの日のことを思い出すとき、世界のままならなさに初めて出会った幼い戸惑いを、微笑みとともに懐かしむ日がいつか訪れるといい。そう願ってマキは、あの秋の日を心の奥にしまうのだった。
(了)