あなたとよむ短歌 テーマ詠「老い」結果発表 ~良い短歌とは?~


テーマ詠で短歌を募集し、歌人・柴田葵さんと一緒に短歌をよむ(詠む・読む)連載。
(『母の愛、僕のラブ』より)
テーマ詠「老い」結果発表
~良い短歌とは?~
短歌を読む・詠む連載、「あなたとよむ短歌」。今回はテーマ詠「老い」の結果発表です。
最近はもうずっと、毎月1200首前後の短歌が寄せられているのですが、今回はなんと3桁の応募数でした。おそらくテーマが難しかったのではないでしょうか?
「老い」は誰もに関わるテーマであり、基本的にはネガティブな印象で、そしてご高齢の短歌愛好家の皆さんには自然と詠まれやすい題材でもあります。だからこそ、自分らしい一首を生み出すのが難しかったかもしれません。今の自分自身が詠むべき短歌だろうか、と手が止まってしまった人もいるでしょう。
しかし結果として、今回は選びきれないほどの味わい深い名歌が集まりました。「老い」というテーマに苦戦した人は、ぜひ入賞作を参考に「こんな切り口もあるんだ!」と驚いてみてください。
今回も後半では投稿者の皆さんから寄せられた質問にお返事しています。作品と合わせて、ぜひ最後までお付きあいください。
それでは、最優秀賞の発表です!

遠い花火のように愛する
立つとき、座るとき、手を伸ばすとき。子どもの頃はもちろん、若かりし日は柔軟な体をバネのように動かしていたはずです。それがいつのまにか、パキッと関節が小さく鳴る。それが日常になる。テーマの「老い」から「関節がなる小さな音」というただ一点にフォーカスした短歌です。
まるで自分のものではないような、固い関節の、不本意な音です。小さい音で、大きな支障があるわけでもなく、しかし毎日毎日体が鳴るようになる。その音を「飼いならし」て「遠いの花火のように愛する」……つまり、受け入れて、その音と共に暮らし、老いた自分の身体を肯定的に受け入れる。いわゆる「ボディ・ポジティブ」の短歌です。老いを否定するでもなく、笑うでもなく、受け入れる強さを感じ、励まされる一首です。
続いて、優秀賞2首です。

季節のあとにくる秋の椅子
読解に幅が出そうな一首です。私は概念の具現化のように読みました。
「階段を一つ飛ばしで降りていた季節」というのは、活発で思い切りの良い子ども時代~青年期。季節にたとえるなら、パワーがほとばしる夏でしょう。そんな季節はやがて去り、秋がやってきます。読書の秋、芸術の秋。椅子に腰掛けて、落ち着いて、自分の内面と向き合う成熟の季節です。
階段をすっ飛ばして走っていた夏も、椅子にかけて思いを巡らせる秋も、豊かな季節です。それぞれの季節を味わうように老いを味わえたら、きっといいですね。この短歌は難しい言葉は一切使っていませんが、直喩は使わずに暗喩を駆使することで、分かりやすさと分からなさ、ゆるやかな詩情がすばらしいバランスになっています。

海に臨んだ立ち方だった
上句の「取りに来たものを忘れて立ち尽くす」は、大人なら誰しも経験があるのではないでしょうか。私はしょっちゅうあります。このわかりやすい状況開示からの、下句が秀逸です。「海に臨んだ立ち方だった」つまり、その「忘れて立ち尽くす」姿は、まるで海に向かって遠くの水平を見つめるような立ち方だった、ということです。
「……なんだっけ」と思うあのポカンとした感覚。止まる時間。何もできない自分。たしかに、大きな海を前に立ち尽くすような気持ちです。老いは、まるで海。とてもとても広くて、抗えません。
「老い」をテーマにした今回の短歌では、物忘れを題材にした作品は多くありました。なかでも岸さんのこの一首は、立ち尽くした姿を海と結びつけた大胆さが、深い説得力を生んでいます。