第12回「小説でもどうぞ」選外佳作 夏休みには毎年/楠守さなぎ
第12回結果発表
課 題
休暇
※応募数242編
選外佳作
「夏休みには毎年」
楠守さなぎ
「夏休みには毎年」
楠守さなぎ
居間に入ると孫の香恵がいて、「おや」と思った。いつの間に遊びに来ていたのか。こちらに背を向けて、ちゃぶ台にノートを広げてなにかしている。香恵がいるということは、今は夏休みか。香恵は毎年、夏休みに遊びに来る。
「なにしてるんだい?」
香恵の前に回りこんで、ちゃぶ台の上を覗いてみた。ノートの上半分にイラスト、下半分に文章がかきこまれている。
「絵日記」
顔も上げずに答えた香恵の言うとおり、それは小学校で出された宿題なのだろう。上半分のイラストは、虫取り網を持った大人の男と、虫かごを持った女の子だ。午前中に虫取りに行ったのだろうか。
「香恵ちゃんは絵が上手だねぇ」
喜んだ、あるいははにかんだ孫の顔を期待してそう声をかけたのに、返ってきたのはぽかんと口を開けた呆けた表情だった。それから、ナメクジでも見るような目線を投げてよこし、無言でちゃぶ台の上を片づけると、居間を出ていった。
なんなのか、あの態度は。昔はああではなかった。夏休みに来るたび、「おばあちゃん、おばあちゃん」と寄ってきて可愛かったのに。中学校に上がってからは料理クラブに入って、食事の支度もよく手伝ってくれたものだ。高校に上がってから、いや、中学三年の頃からあまり来てくれなくなったけれど……。
あれ、香恵は今、何歳になったのだっけ? 居間にかけてあるカレンダーに目を向ける。今日は何日だろう。香恵が来ているということは、今はお盆なのだろうか。お盆の準備はしたのだったか……。
「おふくろ、ここにいたのか」
急に背後から声をかけられて、驚いて飛び上がってしまった。振り返ると、見知らぬ中年男が立っている。最近、知らない男や、時には女が当たり前のような顔をして家の中をうろついている。馴れ馴れしく話しかけてくるから、こちらも知り合いであるかのように返事をする時もあるけれど、本当は怖くてたまらない。なんの目的で、私の家をうろついているのか。勝手に台所を使って料理をし始めた時は閉口したけれど、その料理を振る舞ってくれたから黙って呼ばれておいた。と言っても、私の冷蔵庫から勝手に食材を使っているのだけれど。
黙って男に背を向けて、居間を出た。そういえば、まだ植木に水をやっていない。玄関を開けると、夕焼け空が広がっていた。夏は日が長いから、香恵もまだ外にいるだろうか。
おや、なぜ今、香恵のことを思い出したのだろうか。香恵はもう長いこと家に来てはいないのに。
「おばあちゃん」
背後からの声に振り向くと、知らない女が立っている。
「こんなところで、なにしてたの?」
女が笑顔で問いかけてくる。なにって……なんだろう。確かになにかをしに、ここまで来たはずなのだけれど。
「もう、ぼんやりしちゃって。私のこと、分かってる? 香恵だよ」
香恵? 目の前の女の顔をじっと見つめる。香恵は夏休みに家に遊びに来る、私の孫のはずだ。いつの間にこんなに大きくなった?
「晩ご飯できたから、呼びに来たんだよ。行こ行こ」
女、香恵は私の背中を押して、家の中へと入っていく。と、前方から香恵が駆けてきた。毎年夏休みになると遊びに来る孫だ。
「香恵ちゃん」
呼びかけると、香恵は不審そうな顔で私をよけて、後ろの女の腰にしがみついた。
「やだ、おばあちゃん。香恵は私よ。この子は娘の明里。小学二年生ってさっき話したでしょ?」
そうだったか。香恵はいつの間に大人になっていたのか。
前方から、今度は男が近づいてくる。あれは……。
「お父さん、おばあちゃんたら、明里のことを私だと思ってるのよ」
そうだ、息子の静男だ。静男にも言っておかなければ。
「静男、聞いておくれよ。家の中に知らない人がいて、勝手にご飯を作るんだよ」
みんなが動きを止め、次の瞬間、私以外の全員が盛大に笑い出した。
「毎食ご飯作ってんのは俺だよ、おふくろ。この家に今いるのは俺とおふくろ、それから遊びに来てる香恵と明里だけだ。おふくろの認知症が進んだから、俺が一緒に住むようになったって何回も言ってるだろ」
目に涙を浮かべながら、三人が笑い合っている。なにがおかしいのかは分からないけれど、みんなが笑うから私も笑った。
(了)
「なにしてるんだい?」
香恵の前に回りこんで、ちゃぶ台の上を覗いてみた。ノートの上半分にイラスト、下半分に文章がかきこまれている。
「絵日記」
顔も上げずに答えた香恵の言うとおり、それは小学校で出された宿題なのだろう。上半分のイラストは、虫取り網を持った大人の男と、虫かごを持った女の子だ。午前中に虫取りに行ったのだろうか。
「香恵ちゃんは絵が上手だねぇ」
喜んだ、あるいははにかんだ孫の顔を期待してそう声をかけたのに、返ってきたのはぽかんと口を開けた呆けた表情だった。それから、ナメクジでも見るような目線を投げてよこし、無言でちゃぶ台の上を片づけると、居間を出ていった。
なんなのか、あの態度は。昔はああではなかった。夏休みに来るたび、「おばあちゃん、おばあちゃん」と寄ってきて可愛かったのに。中学校に上がってからは料理クラブに入って、食事の支度もよく手伝ってくれたものだ。高校に上がってから、いや、中学三年の頃からあまり来てくれなくなったけれど……。
あれ、香恵は今、何歳になったのだっけ? 居間にかけてあるカレンダーに目を向ける。今日は何日だろう。香恵が来ているということは、今はお盆なのだろうか。お盆の準備はしたのだったか……。
「おふくろ、ここにいたのか」
急に背後から声をかけられて、驚いて飛び上がってしまった。振り返ると、見知らぬ中年男が立っている。最近、知らない男や、時には女が当たり前のような顔をして家の中をうろついている。馴れ馴れしく話しかけてくるから、こちらも知り合いであるかのように返事をする時もあるけれど、本当は怖くてたまらない。なんの目的で、私の家をうろついているのか。勝手に台所を使って料理をし始めた時は閉口したけれど、その料理を振る舞ってくれたから黙って呼ばれておいた。と言っても、私の冷蔵庫から勝手に食材を使っているのだけれど。
黙って男に背を向けて、居間を出た。そういえば、まだ植木に水をやっていない。玄関を開けると、夕焼け空が広がっていた。夏は日が長いから、香恵もまだ外にいるだろうか。
おや、なぜ今、香恵のことを思い出したのだろうか。香恵はもう長いこと家に来てはいないのに。
「おばあちゃん」
背後からの声に振り向くと、知らない女が立っている。
「こんなところで、なにしてたの?」
女が笑顔で問いかけてくる。なにって……なんだろう。確かになにかをしに、ここまで来たはずなのだけれど。
「もう、ぼんやりしちゃって。私のこと、分かってる? 香恵だよ」
香恵? 目の前の女の顔をじっと見つめる。香恵は夏休みに家に遊びに来る、私の孫のはずだ。いつの間にこんなに大きくなった?
「晩ご飯できたから、呼びに来たんだよ。行こ行こ」
女、香恵は私の背中を押して、家の中へと入っていく。と、前方から香恵が駆けてきた。毎年夏休みになると遊びに来る孫だ。
「香恵ちゃん」
呼びかけると、香恵は不審そうな顔で私をよけて、後ろの女の腰にしがみついた。
「やだ、おばあちゃん。香恵は私よ。この子は娘の明里。小学二年生ってさっき話したでしょ?」
そうだったか。香恵はいつの間に大人になっていたのか。
前方から、今度は男が近づいてくる。あれは……。
「お父さん、おばあちゃんたら、明里のことを私だと思ってるのよ」
そうだ、息子の静男だ。静男にも言っておかなければ。
「静男、聞いておくれよ。家の中に知らない人がいて、勝手にご飯を作るんだよ」
みんなが動きを止め、次の瞬間、私以外の全員が盛大に笑い出した。
「毎食ご飯作ってんのは俺だよ、おふくろ。この家に今いるのは俺とおふくろ、それから遊びに来てる香恵と明里だけだ。おふくろの認知症が進んだから、俺が一緒に住むようになったって何回も言ってるだろ」
目に涙を浮かべながら、三人が笑い合っている。なにがおかしいのかは分からないけれど、みんなが笑うから私も笑った。
(了)