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第12回「小説でもどうぞ」佳作 うそ/秋谷りんこ

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第12回結果発表
課 題

休暇

※応募数242編
「うそ」秋谷りんこ
 名残惜しそうな蝉の声を聞きながら、晩夏の鎌倉を歩く月曜日の午後。
「体調がすぐれないので休ませてください」
 今朝上司に電話でそう言った。仮病だった。いや、体調がすぐれないのは本当だ。仕事に行こうとすると体が重くなり、ときにはお腹を下す。営業成績が貼り出されるような競争意識の高い職場は、僕には合わないのかもしれない。
 小町通りの入り口に、男がいた。体が大きく、異国の着物のような服を着ている。通りすがりにチラっと見ると、閻魔大王だった。
「わあ、閻魔さまだ!」
 思わず大きな声を出してしまった。
「やあ、こんにちは。人間」
 閻魔大王はにこやかに挨拶をしてきた。
「こんにちは」
「今日は天気が良くて気持ちがいいねえ」
「あ、はい」
「最近の夏は暑すぎるから、今日のように涼しいと過ごしやすいよ」
「はあ……」
 閻魔大王は気さくだった。
「閻魔さま、何をしていらっしゃるんですか?」
「今日は有給休暇をとったので、お休みだ」
 閻魔大王にも休暇があるのか。たしかに、365日働き詰めじゃ大変だ。
「ところで、君は何をしているのだ?」
「あ、はい。僕も休暇をとって鎌倉観光です」
 そう言った瞬間に、ハっと口をおさえた。嘘をついたら舌を抜かれてしまう。
「そうか。休暇は大切だからな」
 ははは、と豪快に笑って閻魔大王は小町通りを歩き出した。嘘だとバレていないのだろうか。気をつけないと。
「そうだ、人間。あれを食べよう」
 閻魔大王が指した先にはクレープ屋さんがあった。閻魔大王と一緒にクレープを買い、ベンチに腰掛けて食べる。生クリームとイチゴの相性は抜群で、心が溶けていく。閻魔大王はチョコレートとバナナのクレープが好きらしい。お気に入りができるとほかのものは食べない、と話す姿は子供のようで、お茶目な一面もあるのだな、と思った。
 クレープを食べ終えて、鶴ケ丘八幡宮へお参りをする。閻魔大王がおみくじを引きたいというので一緒に引いた。
「お! 大吉だ。これは運がいいぞ」
 嬉しそうに笑っている。
「人間はどうだ?」
「僕は末吉でした」
「まあまあだな」
「はい。まあまあです」
 ふたりでおみくじを結び所に巻いて、鶴岡八幡宮をあとにした。
「海が見たいのだが、どうだ?」
「はい。行きましょう」
 閻魔大王は親しみやすかった。休暇中だからかもしれない。僕は楽しい気持ちがしていた。こんな風に誰かと観光するのは久しぶりだ。土産物店などを覗きながら、海までゆっくり歩く。陽が傾きはじめて、風が涼しい。
 海は、広くてどこまでも青かった。若いカップルがデートをしていたり、犬を連れた人が散歩をしていたり、サーフィンをしている人もいる。閻魔大王と僕は、砂浜の端に座った。
「人間は何の仕事をしているのだ?」
「営業の仕事です」
「やりがいはあるか?」
「はい。頑張っています」
 言ってしまってから、またハッとして口をおさえる。やりがいなんてない。苦手な営業職を無理やり頑張っているだけだ。本当は辞めたい。転職したい。
「今日、閻魔さまに嘘をついてしまいました」
 ぼそっと話しだす僕を閻魔大王は首をかしげて見つめる。
「閻魔さまにだけではありません。上司にも嘘をつきました。今日は休暇ではありません。仮病を使って休みました。仕事が嫌になってしまったのです。だらしないと自分でも思っています。でも、どうしてもつらいのです」
 舌を抜かれるかもしれないと恐怖もしたが、本当に嘘だから仕方ない。
「僕は舌を抜かれますか?」
「今日は休暇だから閻魔帳を持っていない」
 閻魔大王は両手を広げて僕に見せて、少し笑った。
「ただ人間よ。上司につく嘘も閻魔大王につく嘘も、ときには仕方ない。しかし、自分自身には嘘をつくではないぞ。自分につく嘘は、舌を抜かれるより酷だ」
 そう言って閻魔大王は海を眺めた。どこまでも広い海と僕らふたりを、沈み始めた夕陽が美しく照らしていた。
(了)