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第12回「小説でもどうぞ」佳作 愛される男/十六夜博士

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第12回結果発表
課 題

休暇

※応募数242編
「愛される男」十六夜博士
 彼女の好きなカフェラテとポテトチップを仕入れてコンビニを出る。青空と初夏の風が心地よい。絶好のドライブ日和。思わず伸びをする。彼女の家はもうすぐそこだ。
 ここまで遠かった――。
 何度、デートをすっぽかしただろう。物理的に遠くもない彼女の家に来るのが遠距離恋愛のように遠かった。当然すっぽかしたくてすっぽかしてるわけではない。記者という職業柄、予定がつきにくいのだ。僕らのデートなんか関係なく事件は起こり、呼び出され、デートは流れていった。だから、休みの日を待ってデートしていてはダメだ、休みは取りに行くものだと考えた。今日はお互い、決意の有給休暇を取っていた。
(明日は呼び出されても絶対行きません)
 休暇を前に、デスクに固い意志を伝えた。
(わかってるって。でも事件に愛されてるからなー、ケンちゃんは……)
 デスクは頭を掻いた。この人手不足の現状。デスクだって大変なことはわかってる。でも今回は譲れない。ミサイルが飛んだって、総理大臣が辞任すると言ったって、僕は取材に行かない。僕は僕の未来しか考えない覚悟だ。
(今度、すっぽかしたら別れるから)
 彼女の言葉をもう一度噛み締めた。
 僕の決意が伝わってか、今日、僕の携帯は鳴らなかった。デスクに感謝しつつ、愛車の側に行くと、「ギャー!」と女性の低い悲鳴が聞こえた。そちらに振り返ると、お婆さんが自転車にズルズルと引き摺られている。よく見ると、自転車の男がお婆さんからカバンを取りあげようとしている。
「おい、何やっているんだ!」
 自転車の男は僕の声にビクリと反応し、その拍子にバランスを崩し転倒した。だが、直ぐに立ち上がり、強引にお婆さんからカバンを引き剥がすと、カバンとともに走り出した。 「おい、待て!」
 僕はひとまずお婆さんの元に駆けつけた。
「大丈夫ですか?」
「……カバン」お婆さんは大丈夫とばかりに頷きながら、むしろカバンを気にした。きっと、おろしたての年金でも入っているのだろう。手早くお婆さんの身体に怪我がないことを確認すると、僕は男を追いかけ始めた。
 狙いを定めダッシュ、一気にトップスピードに持っていく。僕の方を振り向いた男が猛然と迫る僕に慌てた表情を浮かべるのがわかる。ラグビーのバックスで鍛えた身体は、まだ僕のイメージ通りに動いてくれた。男は前を向き全力で逃げようとするが、敵ではなかった。僕は得意のタックルで男の腰に組み付いた。男が崩れる感覚。僕は腕が離れないようにロックする。仕留めたと思った瞬間、意識が飛んだ。

『……大丈夫ですか?』『動かないでください』『いま病院に運びますから』そんな声が遠くからぼんやり聞こえる。でも頭が整理できない……。
 そして、ようやく全ての記憶が繋がったのは、念のためと言われて実施したCTスキャンの後の診察室だった。ひったくりにタックルした勢いで電柱に頭を打ち付けたとわかる。 「問題はないですね。良かった」と微笑むお医者さん。
「いま、何時ですか?」
 僕の質問に、お医者さんは、「何時に見えますか?」と、腕時計を差し出した。
「……十二時。お昼ですかね……」
「その通り。頭はやっぱり大丈夫そうです」
 頭はね……。でも、僕は人生の中で一番大切なものを無くした。大丈夫ではない――。ポケットから携帯を出すと、画面が割れ、電源も入らなかった。
 これからどうしよう。とりあえず彼女の家に行って土下座しようか、とトボトボと病院の出口に向かっていると、「……あのう」と誰かが声をかけてきた。声の方を向くと、ひったくりにあったお婆さんだった。
「ありがとうございます。一言御礼が言いたくて」
 目を丸くする僕。
「一緒に病院に運ばれて。お待ちしていたんですよ」
 驚いている僕を気遣って、お婆さんがここにいる理由を説明してくれる。
 いや、僕が目を丸くしているのはお婆ちゃんがいるからじゃないんです。お婆ちゃんの後ろに彼女が立っているからなんだ――。
 そう説明したいが、言葉が出てこなくて口をパクパクさせた。
「うちのお婆ちゃん助けてくれてありがと」
 笑顔の彼女が、僕に近づいてきた。
 事件だけに愛されているわけではない、と思ったら、急に彼女を抱きしめたくなった。
「……ちょっと」と彼女が恥じらう。でも、彼女をもっとぎゅっと抱きしめた。だって病院は愛する人を抱きしめるところなんだから。
(了)