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W選考委員版「小説でもどうぞ」第2回 選外佳作 私だけのヒーロー/翔辺朝陽

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
選外佳作
「私だけのヒーロー」
翔辺朝陽
 年が明けてから拓也さんの様子がおかしい。何か落ち着きがない。週に何日かやけに帰りが遅い日があるし、今日も日曜日なのに友達と会うとか言ってどこかへ出かけていった。
 ――ひょっとして浮気……?
 いや、浮気はおかしいか。だって拓也さんの気持ち、一度も確かめたことないのだから。
 五年前、拓也さんは私と同じ部署に契約社員として新しく配属されてきた。その頃派遣で働いていた私は、部長子飼いのお局にパワハラの格好の標的にされ、部内で孤立していた。次第にうつ病気味になり、自殺も考えた。
 拓也さんはそんな私を同じ非正規社員として気遣ってくれて、お局の対処法を秘かに伝授してくれたりして支えてくれた。そのうち感謝が次第に恋心になり、気が付くと私は拓也さんの家に転がり込んでいた。そのまま同棲とも事実婚とも言えない関係が五年間続いていた。今や拓也さんは私にとってかけがえのないヒーローになっていた。
 ガチャっと玄関で鍵を回す音がして我に返った。拓也さんが帰ってきた。
「遅かったね。夕飯は?」
 努めて平静を装って訊いた。
「ごめん。食べてきた。すぐ風呂に入るわ」
 拓也さんは私と目を合わさずにそう言い残すと、さっさとバスルームへ向かった。
 ――やっぱり怪しい……。
 無造作にダイニングテーブルに置いた拓也さんのスマホに目が留まる。徐々に激しくなる心臓の鼓動が私に何かを迫ってくる。気が付くとスマホの手帳型ケースを開いていた。
 そこにはレシートが一枚挟まっていた。 レストランの領収書だった。イタリアンらしきコース料理で人数は二名様とある。
 レシートを持つ手が震えてくる。私は怖くなってあわててレシートをケースに戻した。
 翌日、会社の終業時間近に、拓也さんからメッセージが入ってきた。メッセージには『今日は取引先の接待があるので遅くなる』とだけ書かれていた。私は覚悟を決めて終業後、拓也さんを尾行することにした。
 拓也さんは都心のおしゃれなホテルに入っていき、ロビーで誰かを待っている様子だった。気付かれないように少し離れたソファに腰掛ける。しばらくすると、二十代と思われる若い女性が現れた。遠目で顔がよくわからない。私は咄嗟にスマホで写真を撮った。
 写真を撮りながら何だか無性に空しくなった。怒りより先に泪が出てきた。
 ――私だけのヒーローじゃなかったの?
 私は力なくソファにへたり込むと、まるで帰る家を失った家なき子のように、色を失った世界をぼんやりと眺めていた。
 その夜、拓也さんが帰ってきた時にはすでに気持ちの整理はついていた。私だけのヒーローではなくなった拓也さんとこのままずるずる生活を続けるわけにはいかない。でもけじめをつけるためにも拓也さんにはしっかり説明してもらいたい。いつものようにすぐにバスルームに向かおうとした拓也さんに向かって、「何か私に秘密にしていることない?」と、警戒されないようあえて笑顔で訊いた。
「ひ、秘密? そんなものないよ」
 明らかに動揺している様子。
「年が明けてから接待や飲み会で帰りが遅いようだけど……」
「年度末はいろいろ忙しんだよ。麻衣もそれはよくわかっているじゃないか」
「ふーん、そうなんだ……」
 お願いだから早く白状してという雰囲気をそこはかとなく醸し出す。拓也さんは明らかに落ち着きを失くし、ソワソワし出した。しかしなかなか白状しない様子にしびれを切らし、私はホテルで撮った写真を無言で見せた。写真を見るなり、拓也さんの顔が見る見る紅潮し出す。額にも光るものがにじむ。
「……何だ、もうばれていたのか」
 拓也さんは観念したようにそう言うと、私の手を取りダイニングテーブルに座らせると、鞄の中から結婚式場のパンフレットを取り出して私の前に差し出した。
 ――えっ、もう結婚の約束をしているの?
 戸惑う私に拓也さんはにっこり微笑んで、
「結婚しよう」と言った。そして続けて、
「実は、去年の年末に宝くじで百万円当たって、貯金と合わせると結婚式できるかなと思って、ホテルの式場で相談していたんだ。麻衣には誕生日にサプライズでプロポーズしようと秘密にしていた。ウェディングドレスの相談などで従妹の優奈ちゃんにも手伝ってもらっていたんだ。見返りにイタリアンをせがまれてえらい出費でまいったよ」と笑った。
 私は拓也さんの浮気を疑ったことを心から恥じた。拓也さんはやっぱり私だけのヒーローだ。この際、浮気を疑ったことは秘密にして、サプライズを見破ったことにしておこう。
「ところでいつから気付いていたの?」
 拓也さんが訊いてきた。私は嬉し涙をこらえて「それは、ひ・み・つ」と応えた。
(了)