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W選考委員版「小説でもどうぞ」第2回 佳作 白い天使/井関七十七

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
「白い天使」井関七十七
 それは期せずして訪れた最初のデートだった。
 正確には、凛ちゃんの自転車がパンクして、川沿いを引いていたので、後ろから来た俺が自転車を降りて横を歩いたと言った方が良いだろう。凛ちゃんは、チアリーディング部のキャプテン。美人で気立てが良く、その上成績優秀。もちろん、クラス、いや学年、いやいや学校全体から見て、男子のマドンナ的存在だった。それに比べると、俺なんて柔道部の短足。阿部一二三のようにイケメンなら良かったが、あだ名は「おっさん」。もちろん、凛ちゃんと付き合いたいなんて、大それた野心は微塵もない。それでも、高校時代の儚い夢として、
「凛ちゃんと一度でいいから…川沿いの道を歩きたい…」
 そう思っていたのが、ひょんなことから実現してしまった。もっとも、それも残り十分程度の運命。一㎞先のT字路を俺は左に、凛ちゃんは右に。
「家まで送っていくよ」
 なんて言う勇気などない。
「ああ……」
 厭世的な気分にも似た感情を抱いた瞬間、俺の悪い癖が出てきた。
 あまりに緊張したり、がっかりしたりする出来事が起きると、決まって腹が痛くなる。誰にも言っていないが、草むらに入って野糞をしたことが入学以来二度ある。初めての野糞は高校1年のとき。定期テストというのに寝坊し、焦って自転車をこいでいるうちに急にもよおしてきた。おかげで数学のテスト開始時間に遅れ、半分の時間で解く羽目になった。担任の先生には、
「高木、余裕だな」
 と言われたが、いつものように明るく返すことは出来なかった。持ち合わせていたティッシュの量が少なく、ケツに拭き残しがあるのではないかと思うと気が気でなかったからだ。テストが終わると大急ぎでトイレに駆け込み、パンツの中を見た。茶色い物は何も付いていない。トイレに座り、念のためにペーパーでケツを拭いたが、白い紙に何も付かなかった。
「よーし」
 今にして思えばテストは赤点ギリギリという結果だったが、あのときはウンコ臭がばれるのではないかと、そればかり考えて冷や冷やしていた。「おっさん」の冠に「ウンコ」など付いたら洒落にもならない。
 二度目は、二年生の始業式。実は、憧れの凛ちゃんと同じクラスになれるように、顧問の先生に頼んでおいたのだったが、蓋を開けてみると同じクラスどころか隣のクラスにもなっていなかった。柔道部の仲間には、
「今日は体調が悪くて目眩がする」
 そう言い残して、意気消沈しながら川沿いを自転車で帰った。そのとき、突然強烈な腹痛に見舞われたのである。「こんなこともあろう」と思い、ティッシュをたくさん持ってはいたが、家に帰ると母親に、
「あんた、何か臭くない?」
 そう言われたので慌ててトイレに駆け込んだ。パンツを下した瞬間、臭いの正体を悟った。上部のゴム部分に、ベッタリ茶色いものが付いていたのだ。慌ててビニール袋に突っ込むと新しいパンツを履き、一人入浴時に洗濯した。ただそのときは、「よし」とは思わなかった。凛ちゃんとの仲?を引き裂かれた悔しさだけが心中を支配していたからだ。ウンコなんて何度もらしてもいいから、ただただ凛ちゃんと話をしたかった。あのときは、心底そう思っていた。  高三の日が、その三度目ということになる。嬉しさを通り越して、我を失うのではないかと思われるほど緊張したからだ。近くにはトイレがないことは既に分かっている。あるのは川と草むらだけ。俺にはT字路までの十分を耐えるだけの力はもう残っていない。
「ああ、全て終わった」
 あまりのショックに昏倒してしまうのではないかと思った瞬間、自分の意志とは関係なく体が勝手に動くのを感じた。
 今思い返してみても、自分でもそのとき何を思ったのか、よく覚えていない。凛ちゃんが言うには、突然、ウォーという声を発して川に飛び込んだようだ。水位が腰の下あたりに来たとき、急にお尻が温かくなり、その瞬間だけは幸福に包まれた。だが、それもほんの一瞬のこと。呆然とする凛ちゃんと目が合うと、その場から逃げ出したい気持ちになっていた。ただ、どこにも逃げられない。
 そのときである。
「ニャー」
 子猫の声が聞こえたかと思うと、白い天使が俺の胸に飛び込んできた。川岸では凛ちゃんが目を瞠って俺のことを見つめている。対岸には、どうやら親猫らしいやはり白い猫が心配の声を上げていた。
 俺は白い天使を抱くと、迷わず対岸に向かって堂々と歩き出していた。もちろん、凛ちゃんの方へは一度も振り返らずに。
(了)