公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

W選考委員版「小説でもどうぞ」第2回 佳作 忘れ物アンドロメダへ帰る/穴木隆象

タグ
作文・エッセイ
投稿する
小説でもどうぞ
「忘れ物アンドロメダへ帰る」穴木隆象
 コンビニのコピー機のカバーを上げると、誰かの忘れ物だろうか、履歴書が残っていた。書類をコピーするあいだ、見る見ないの葛藤に負けた私は履歴書にさっと目を通した。白髪だらけの長髪をポニーテールにした顔写真の横に、安藤郎芽太、(フリガナ)アンドウロメダ、五十七歳、大手電気通信会社の技術職だったが半年前に会社都合で退職、趣味は天体観測、過去に何度か宇宙人に遭遇しているので宇宙人役は適役と思い応募した、この役を射止め故郷に錦を飾りたい、とあり、芸能事務所宛の俳優志望の履歴書だとわかった。
 コピーを終え、忘れ物を店に託そうとしたが、レジにいたのは一週間ほど前に私とトラブルを起こした若い店員だった。名札もマスクもつけず、レジカウンターにもたれて雑誌を読む勤務態度を注意したところ舌打ちされ口論になった。今日も彼は名札もマスクもしていない。もしこの信用ならない店員に忘れ物の履歴書を渡したら、安藤氏は名前や俳優志望の動機を嘲笑されるのではないか、履歴書はネットに無断投稿されるのではないか、私は不安だった。コピー機の前に立ち手にした履歴書を眺め、会社をリストラされ俳優に挑戦しようとする元エンジニアの気持ちを想像したとき、「世間の嘲笑から安藤氏を守れ」という天啓が私に降りた。私は、履歴書を安藤氏に直接届けようと心を決め、コンビニを後にした。
 履歴書にある安藤氏の住所は、私もよく知る住宅街だった。バス通りから一本北を走る細い路地に面した二階建ての一軒家に着くと、私は門扉の脇から中の様子をこっそり伺った。技術屋らしくアマチュア無線の愛好家なのだろうか、二階の壁面には複雑に交錯しながら伸びた棒状のアンテナと、屋根には大きなパラボラアンテナが設置されていた。履歴書はポストに入れて帰ろうか、でもこの応募が家族に秘密だったら、家族の誰かが履歴書を手にしてはまずいな、電話して事情を説明して直接手渡すのはどうだろう、でも携帯は家に置いてきてしまったな、さて呼鈴を押して本人の在宅を確認して堂々と渡すのが一番だが、どう説明したものか、あれこれ考えていると、玄関の扉が開く音と一緒にポニーテールの男が出てきて、屋根の手入れでもするのか、地面に寝ていた梯子を外壁に立て掛けた。間違いなく写真のアンドウロメダ氏で、私は声をかけるタイミングを探った。しかし私の気配に気づいた彼のほうから怪訝そうな視線が向けられてきたので、私は咄嗟に
「安藤さんでいらっしゃいますか?」
 と声をかけた。突然の来訪者に警戒している様子の男は、一言も発せずに直立して梯子に手を掛けたまま無表情でこちらを見ている。なるほど、ひょろっと背が高く、腕の長い体型と感情を読みにくい表情は宇宙人役にはもってこいかもしれない。男は梯子から手を離してこちらに向き直ると「はあ」と軽く会釈してきた。私は単刀直入に、
「コンビニのコピー機にこの忘れ物を見つけたので、お届けにあがりました」
 と門扉越しに履歴書を手渡した。履歴書を目にした男の反応を上目遣いに伺っていると、男は履歴書に手をかざし表情一つ変えずに「先ほど不採用の通知が届きました」と呟き、くるりと向きを変えると家のなかに戻っていった。
 予想外の反応に、安藤氏の気分を害してしまったか、警察にでも通報されるのか、と私は心配になった。履歴書を無事に返す使命こそ終えたが、私としては自分の親切心を彼からの感謝の言葉で報いたかったし、履歴書を持ち出した行為を彼に問題ないと言ってもらいたかった。更に言えば、名前のこと、リストラのこと、俳優への挑戦、天体観測、宇宙人のこと、アマチュア無線のこと、これらの話を聞けば天啓のさらなる意味もわかるのではないかと思えてならなかった。
 安藤氏がもう一度玄関から出てきて、礼をしてくれたり、世間話を楽しむ時間をくれないものかと期待して五分ほど立ち続けたが、氏が出てくる気配は一向にない。近所や家族に聞こえるような声で彼を呼ぶわけにもいかないし、呼鈴を押すのは野暮かと思い、もう少しだけ待つことにした。すると外壁に立てかけたままの梯子がかたかた音を立てて揺れ出し、なにやら甲高い電子音が短く鳴り響いたかと思うと、紫色の閃光が屋根から夕暮れの空を照らし、軽自動車くらいの大きさの円盤が浮き上がってきた。円盤は浮遊したまま何度か回転すると、私の頭上に移動してきた。
「私がこの役を射止められなかったことは秘密にしておいてね、アンドウロメダより」
 私にしか聞こえないメッセージを残すと、円盤はあっという間に上空の夕闇に消えていった。
(了)