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第11回「小説でもどうぞ」選外佳作 彼に別れを告げる時/兎義和

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第11回結果発表
課 題

別れ

※応募数260編
選外佳作
「彼に別れを告げる時」
兎義和
 家までの帰り道はいつもより暗く、明日が久しぶりの休みだというのに、浮かれる気持ちは何一つない。足取りは重く、階段を一段上がる度、私の心には憂鬱さが増す。こんなに大きかっただろうか、そう思いながら見上げた扉は、朝家を出るときに見たそれとは、全く別のものに感じられる。
 扉の前で一度、深く深呼吸をする。口をパクパクと動かし、頭の中で一つの言葉を繰り返す。ほんの小さく声に出してみたりもする。
 時間をかければかけるほど、決意が揺らぐのが自分でも分かる。明日でもいいじゃない。今日は仕事で疲れている。逃げ出すための言い訳ならいくつでも思いついた。弱気な気持ちを押しのけるように、私はドアノブに手を伸ばす。負けるな。これは闘いなのだ。そう自分に言い聞かせ、力強くドアを開けた。

 走馬灯のように、聞き慣れた慣用句が頭の中に浮かぶ。開けたドアから飛び出た光が、彼との思い出となって私に流れ込んでくる。
 出会いは、四年前の春だった。田舎から出てきたばかりの私は、都会での暮らしに慣れることに精一杯で、初めて入った会社では、仕事を覚えるのに苦戦した。そんな中、私より一年早く入社していた彼はとても頼もしく、かっこよく見えた。
 私が会社に入って半年も経たないうちに私たちは付き合い始め、そこからさらに半年が経った頃には同棲を始めた。彼との暮らしは、私には十分すぎるほど幸せで、楽しかった。こんな幸せがいつまでも、なんて思っていたのは、自分の若さが故だと、今になって後悔する。
「仕事を辞める」今から二年ほど前、突然そう言い出した彼は、すでに上司に退職願を出してきた後だった。
「俺の高校の同級生がな、夢を追いかけるって言って、仕事辞めたんだよ」私が理由を聞くと、彼はそう言った。
「そいつ、この歳でサッカー選手になるとか言い出してよ。サッカーなんて、体育の授業でしかやったことのねえような奴がだぞ。すげえだろ」冗談ではなかった。もとより、彼はそんなユニークな冗談を言う人ではなかったし、その日は四月の一日でもなかった。彼も「夢を追いかけてサッカー選手になる」そんなことを言い出すのではないかと思うと、私は急に怖くなった。
 それは半分正解で、半分間違いだった。
「俺の夢は、お金持ちになることなんだ」
 サッカー選手でなくてよかった、そう思えるほど、私は楽観的な性格の持ち主ではなかったし、簡単にお金持ちになれるほど、きっと人生は甘くはない。
 実際、そこからの日々は最悪だった。彼は自分のことをギャンブラーと名乗り、一攫千金を志したのである。初めの頃は毎日のようにパチンコへ行き、大損しては宝くじを買い漁り、大損しては競馬にのめり込んだ。しまいには「人の気持ちを理解するのも一苦労なのに、馬の調子なんて、わかる訳がない」そう言って競艇に精を出した。
 なんだかんだと付き合いを続けていたのは、私も期待していたからなのだろう。一攫千金になどではない。少ししたら、彼がまた一生懸命働いてくれるようになる。そう思っていた。彼は少し疲れただけなのだ。今は休む時期なだけだ。そう信じたかった。それも自分の若さ故だろうかと、二度目の後悔をする。
 彼はそれから二年経った今でも、一攫千金を夢見ている。
「明日は、久しぶりに競馬ででかいレースがあるんだ。大丈夫、今回は絶対当たる。自信があるんだ」昨晩、彼はそう言った。いくら当たろうが、もう私にはどうでもよかった。既に、別れを告げる覚悟はできていた。

 光の奥から、満面の笑みで彼が出迎える。思いのままに、私は声を出した。
「話があるんだけど」二人の言葉が重なる。予想外の出来事に私は一瞬戸惑うが、彼は遠慮することなく言葉を続けた。
「当たったんだ。三億円」
「え?」思わず声が出た。
「当たったんだよ、三億円。今日、でかいレースがあるって言っただろ」
「まさか、冗談でしょ」
「そんな冗談言うかよ。振り込まれてるのも確認した。やったんだよ。大金持ちだ」
「信じられない」
「俺もだよ。本当にやったよ。一攫千金だ」
「すごい。嘘みたい」
「それでさ、あの、お前の話って?」
「あ、ううん、なんでもない。気にしないで」
「そっか、よかった。深刻な顔してたから、別れ話でも切り出されるのかと思ったよ」安心したように彼が笑う。
「何言ってるの。そんなわけないでしょ」私も笑い返す。そんなわけ、ないでしょ。
(了)