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第11回「小説でもどうぞ」選外佳作 さよなら/木戸秋波留紀

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第11回結果発表
課 題

別れ

※応募数260編
選外佳作
「さよなら」
木戸秋波留紀
 ほんの少しだけ、自転車のハンドルを左に切ったのがいけなかったらしい。タイヤがちょうど道路の出っ張りに引っかかって、わたしの身体は投げ出された。12月23日の、午後3時のことだった。
 わたしを含め、人間は誰一人傷つくことはなかった。その時は運よく周りに人がいなかった。車も走っていなかった。わたしはニット帽をかぶり、ダウンジャケットを着ていたので背中と腰は打ったものの、頭を打たずに済み、擦り傷を負うようなこともなかった。(ダウンジャケットには穴が開いてしまった)しかし、わたしはしばらく倒れ込んだまま動けなかった。身体が痛かったわけではない(厳密言うと痛かったのだが動こうと思えばいつでもできた)。事故によるショックからでもない(少なからず混乱はしていたと思うが)。仰向けに倒れ込んだ時に、空が見えた。冬の澄んだ青い空だった。地上から空を見たのはいつぶりだろうと思った。要するに、空に見とれてしまったのだ。わたしが倒れていたのは両脇に畑がある道路だったので、住宅街の喧騒とは関わりのない場所だった。姿は見えないが飛行機の飛ぶ音が聞こえていた。このままずっとこうしていたいと思っていた。
 果たしてどのくらい寝転がっていたのか分からないが、遠くから車がやって来るのが見えたので、わたしは起き上がった。その時に自転車の存在を思い出した。自転車は電信柱の下で倒れていたが、それは死んでいるように見えた。近づいてみると、ライトは割れて、かごはぐにゃりと曲がっていた。サドルは左にほぼ90度曲がっており、左のペダルが外れていた。「全身複雑骨折」という言葉が頭に浮かび、わたしは溜息をついた。一体どんな力を加えればここまでひどいことになるのか。わたしは自転車を起き上がらせて、これからのことを考えた。そういえば、コンビニまで煙草を買いに行こうとしていたのだ。
 自転車を押しながらコンビニへ行こうとも思ったのだが、少し歩いてこの自転車が完全に死んでしまったことが分かったので引き返すことにした。左のブレーキが全く機能しなくなっており、後輪と泥よけは互いに擦れ合って不快な音を発していた。前輪がおかしな回り方をするのでまさかと思いタイヤをつまむと、クニュっとへこんでしまった。押して歩いている間、わたしはこの亡骸をどうしようかずっと考えていた。
 普段わたしは自転車を大学の駐輪場に置いている。壊れてはいるものの、とりあえず置いておくことはできるだろうと思いそこへ向かうと、このような張り紙があった。
『放置自転車撤去のお知らせ 12月25日に放置自転車の撤去を行います。25日までにこの場にある自転車は放置されているものとみなし、全て撤去します。各々対処をお願いします』
 わたしはちょうどいい機会だと思って、駐輪場に自転車を置いた。どうせもう使えないので、盗む人もいないだろうと鍵はかけなかった。このままもう一度煙草を買いに行こうか迷ったが、自転車を押して歩いたことでかなり疲れてしまい、また腰も痛かったのでアパートに帰ることにした。わたしはもう必要の無くなった自転車の鍵をダウンジャケットのポケットに入れた。
 一応自転車の修理方法も調べてみたのだが、まず一人では絶対できなさそうだということに加え、サイクルショップへ持っていく煩わしさと買い替えた方が安いという事実から、やはり大学に撤去させることにした。中学校から高校までは通学のために毎日乗り続けていた自転車だった。今は大学の近くに住んでいるのであまり使わなくなったが、コンビニやたまにショッピングモールに行くときには使っていた。それほど遠くまで行ったことはなかったが、それでも走った距離は長いはずだった。ハンドルにはわたしの手汗がしみ込んで、サドルはわたしのお尻の汗を相当吸い込んでいるはずだった。わたしは今大学三年生なので、三年間の四季を自転車は体感していたのだろうか。春の風に吹かれ、夏の雨に打たれ、秋の夕陽を浴びて、冬の寒さに震えていたのだろうか。自転車が壊れたことに対してはショックや悲しみは全く感じていなかった。しかし、こんなことを思ってしまうのはやはり心のどこかで名残惜しい気持ちがあるのだろうか。雨ざらし野ざらしになって、最終的に事故で死んでしまった自転車の一生を改めて思い返してみると、わたしを含むどんな人間よりも人間的であるように思えた。わたしは25日に駐輪場に行って、自転車の葬儀を見届けようと思いながらベッドに横たわった。
 25日の午前五時、駐輪場に行ってみると、その前に大きなトラックが停まっていて、男たちがバケツリレーのように自転車を次々にトラックに載せていた。わたしの自転車も軽々と持ち上げられて、トラックに押し込まれた。
 そして彼らは行ってしまい、わたしは何も無くなった駐輪場にひとり立っているだけだった。ダウンジャケットのポケットには鍵が入ったままだった。
(了)