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第11回「小説でもどうぞ」佳作 某日/橙貴生

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第11回結果発表
課 題

別れ

※応募数260編
「某日」橙貴生
一人住まいの部屋に帰ると、お父さんがいた。テレビの前の、冬はコタツになる正方形のテーブルの窓側に、あぐらをかいている。お父さんがこの部屋に来たことは、一度もない。
「お父さん」
 驚いて呼びかけると、おお、とも、んん、ともつかない、はっきりしない返事をよこした。
「どうしたの、いったい」
 お父さんの向かいに、座る。思わず正座になる。
「うん、まあ、な」
 お父さんは相変わらずはっきりしない。昔からそうだった。無口というわけではなかったけれど、何かを問いかけてもいつもごにょごにょとして、答えがはっきりしないのだ。今も、点いていないテレビの画面などに目を向けながら、背中を丸めている。言いたいことがあるんだかないんだか、せっかく来たというのになんだかもったいない。
「お腹、空いてない?」
 そう訊くと、ようやくこっちを見た。
「何か、食べる?」
 お父さんはしばし、じっとこっちを見た。ほんの一瞬だったかもしれない。でも、じっと、見られた感覚があった。その目は別に、哀しそうなものではなかった。いつもそうしていたように、てれかくしのようなそっけなさで、
「いや、別にいいよ」
 と言う。
「でも、せっかくだから、何か食べてみたら」
 重ねて言ってみる。
「ついでに、お酒も飲んでみれば。日本酒はないけど、焼酎ならあるよ」
「お前、焼酎なんか飲むのか」 「最近ね。お父さんみたいにそのままでは飲まないけど。お湯割りとか、ソーダ割りとか」
「そうか」
 そう言ってお父さんは、少し笑ったみたいにした。あまり笑う人ではなかったから、ときおり何かの拍子に破顔するとき以外は、笑ったのかどうかわからなかった。
「一緒にお酒を飲んだりしたことなんかなかったね」
 足をくずして、テーブルに寄りかかる。そうだな、とお父さんはわずかばかり感慨深げに天井の辺りへと目を向けた。
「ねえ、どうして来たの」
 お父さんは両手で足首を揉むようにして、首を傾げる。
「別にまあ、どうしてってこともないけどな」
「そう」
 わたしは、お父さんをじっと見た。今度はわたしの方がじっと見た。お父さんは、ずいぶん若返ったように見えた。それは少し寂しいことだった。
 どうしてってこともなくても、別に良かった。これといって話すことがなくても、別に良かった。
「おまえ、仕事のほうはどうだ」
 背中を丸めて首を傾げたまま、顔をこちらへ向ける。
「うん。まあ、順調」
「そうか」
 一度よそを向いてからまた、顔をこちらへ向ける。
「身体は。体調はいいか」
「うん。今のところ、健康」
「そうか」
 そう言ってお父さんは、丸めた背中を小さく揺らした。それからまた天井の辺りを見て、
「悪いが、水を一杯入れてくれ」
 とわたしを見た。
「うん」
 わたしは答え、
「お父さん」
 と呼んだ。
 ん? とお父さんは首を動かした。
「なんでもない」
 台所へ行って、コップに水を汲んで戻ると、お父さんは消えていた。もう少し、話したかったような気もしたけれど、そんなに話すこともないからまあ、いいかと思う。窓側のテーブルの上に、コップをそっと置いた。
(了)