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第11回「小説でもどうぞ」佳作 手からこぼれ落ちた現実/遠木ピエロ

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第11回結果発表
課 題

別れ

※応募数260編
「手からこぼれ落ちた現実」遠木ピエロ
 父親がいる人が羨ましかった。
 両親は私が物心つく前に離婚し、私は母親について行った。そして父親とはそれっきり生き別れの状態となった。だから父親というのがどういう存在か、よく分からなかった。
 ただ子供の頃、友達の家に遊びに行った時、父親に甘える友達を見て、涙が止まらなくなったことがあった。それからは毎日がどこか淋しく、濁って淀んだ空気が常に自分の周りに漂っているような感覚を持つようになった。
 母親は父親について語りたくないらしく、何度か「お父さんってどんな人だったの?」と聞いたことがあった。けれども毎回適当にはぐらかされた。ただ、私が中学生の頃に母親が口を滑らせたことがあった。私の「三玖」という名前は父親が考えたのだそうだ。
 それ以来、私の名前は特別なものになった。父親との唯一の繋がり。父親からのプレゼント。三玖という名前は私の宝石になった。
 高校生の頃、偶然父親と思しき人物の名前を知った。学校から帰ってきた時、リビングのテーブルに預金通帳が無造作に置かれていたことがあった。勝手に見るのは良くないと思いつつ、好奇心に負けて中を見てしまった。
 その通帳は、毎月十万円の振込があり、あとは引き出ししかなかった。その振込の名義人はすべて同一だった。
 ――ドウメキ ヨウヘイ
 恐らくこの口座は養育費の振込用だろうと私は推測した。そしてその振込の名義人こそ私の父親の名前に違いないと考えた。
 しかしドウメキとは珍しい名字だと思った。漢字でどう書けば良いのか分からなかった。
   ○
 一通り放課後クラブの中を案内され、仕事の説明を受け終わった時には、もう時間は十八時も間近になっていた。
 そして、これがあなたの担当クラスの分、と言われて渡された名簿を見て、私は思わず驚きの声をあげてしまった。
「ひとつのクラスにこんなにいるんですか?」
「別に四十人なんて普通よ~。凄い所になると一クラス百人とかあるらしいわよ」
 先輩である原さんはちょっと意地悪で、でも親しみもある顔をした。
「ひえぇ、頑張って名前と顔を覚えなきゃ」
 私は、自分のように淋しい子供時代を過ごす子が少しでも減らせるようにと、放課後児童支援員、いわゆる放課後クラブの職員になった。放課後、誰もいない家に帰った時の淋しさ。それはきっと地平線の果てまでひとりぼっちになったような淋しさだろう。私が感じていた淋しさとは少し違う淋しさだが、淋しさには変わりない。そんな子たちが心暖かく過ごせるような場所を作りたかった。
 名簿を見ていてあることに気がついた。子供の下の名前には読み仮名が振られているが、名字には振られていない。その中に、読めない名字があった。〈百目鬼〉だ。
「この名字なんて読むんですか?」
「ああ、それドウメキって読むんだよ」
 一瞬、息も忘れて硬直した。続けて言った。
「この子のお父様のお名前をご存知ですか?」
「名前までは覚えてないけれど。今日はお父様がお迎えに来る日だから、直接聞いてみればいいんじゃない? あ、ちょうど来たわよ」
 放課後クラブの前に高級車が停まった。中から白髪交じりの男性が出てきた。顔からすると四十代後半から五十代前半くらいだろうか。その割に体躯はしっかりしていて、着ているスーツも決まっていた。
「娘を迎えに来ました」
 百目鬼さんが低く響く豊かな声で言うと、原さんがクラブの中に娘さんを呼びに行った。その場に百目鬼さんと私が取り残された。
 私の頭の中は鼓動が響き渡っていた。話しかけるのが怖かった。でもそれ以上に、聞かずにはいられなかった。
「あの、ドウメキヨウヘイさんですか?」
「そうですが……何か?」
 百目鬼さんは顔をこちらに向けた。同じ名前だ。間違いないだろう。私は息を呑んだ。
「荒川っていう名字と、三玖っていう名前に覚えはありませんか?」
 私の声の先が自然と震える。
「……ああ、荒川は私が三人目に結婚した女性の名字で、三玖はその子供の名前ですね」
 ――三人目に結婚した?
「三人目に結婚ってどういう意味ですか?」
「そのままですよ。私は何度も結婚と離婚を繰り返していましてね。今後も繰り返すだろうから、子供の名前に何人目の妻の子供か分かるように数字を入れてるんですよ。だから三玖なら三人目の妻との子供ですね」
 父からのプレゼント。大切な宝物。私の大事な名前。私の宝石。私の拠り所。
 それは驚くほど簡単に粉々になった。
「はーい、百目鬼さんお待たせしましたー」
 私は手元にある名簿を見た。
 ――百目鬼 七海
(了)