第10回「小説でもどうぞ」選外佳作 ピカピカの吐瀉物 /烏目浩輔
第10回結果発表
課 題
夢
※応募数291編
選外佳作
「ピカピカの吐瀉物」
烏目浩輔
「ピカピカの吐瀉物」
烏目浩輔
俺は昼食のあとに夢を嘔吐してしまった。
昨晩は得意先への接待があって遅い時間まで酒を飲んだ。おかげで今日は朝から胸がムカムカとしていて、どうしても営業で歩き回る気になれなかった。だから、事務作業をするふりをして上司を欺き、午前中に予定していた顧客回りは別の日にすることにした。
そうやって仕事をさぼった甲斐もあってか、昼休みがはじまる頃には胸のムカつきがずいぶんましになった。ところが、コンビニで買ってきた弁当を食べたあとに、強烈な吐きけが襲ってきたのだ。
俺は慌てて自分のデスクから立ちあがり、トイレに駆けこんで便器の蓋を開けた。途端にバシャバシャと大量に嘔吐してしまった。すると、吐瀉物は存外にもさっき食べた弁当ではなく、これまでに見てきた無数の夢だったのである。
俺は便器に浮いている夢の一つを摘みあげてみた。枯葉のように干涸びてほとんど原形をとどめないが、『プロ野球選手になりたい』という夢だった。これは小学生の頃に見ていた懐かしい夢だ。当時の俺は野球が好きで、学校の友達と野球ばかりしていた。
別の夢も摘みあげてみた。『漫画家になりたい』とある。これも小学生のときに見ていた夢で、同じく干涸びてボロボロになっている。夢中で読んでいた漫画があって、その影響から漫画家になりたいと思っていた。
残っている夢のいくつかを続けて摘みあげた。『サッカー選手なりたい』『俳優になりたい』『お金持ちになりたい』。すべて小学生のときの夢だ。所詮は子供の頃の夢だから現実味はないのだが、こんなにたくさんの夢を見ていたということに驚いた。
次に摘みあげた夢は『美術大学に入りたい』というものだった。中学生になる頃には自分は運動が苦手だと気がつき、代わりに手先が器用で絵を描くのが得意だと知った。だから、中学生から高校生を通して美大に入りたいと思っていた。
この夢はボロボロになっておらず、端っこに『済』という赤い判子が押されている。どうやら、叶えた夢には『済』がつくらしい。
その次に摘みあげた夢は『画家になりたい』だった。これはボロボロになっており、なにかが引っかかっている。見れば『世界を一周したい』という夢だった。
引き剥がそうと力を加えてみたが、『画家になりたい』と『世界を一周したい』は離れなかった。なぜ、引き剥がせないのだろうか。あれこれ思案しているうちに、このふたつの夢は一対であることを思いだした。
世界をのんびりと一周をしながら、各国の風景を絵に描く。そういう画家になりたいと、美大に通いながら夢見ていた。
今の仕事に就いたのも、本来はそれが目的だった。世界一周の旅費は高額になる。それを蓄えるために就職しようと考えたのだ。しかし、画家になどなれるはずがないと、夢ではなく現実を見るべきだと、いつしか画家になる夢も世界を一周する夢も諦めていた。
そんなことを思い出していると、ボロボロだったふたつの夢がどんどん輝きだして、最後には新車のようにピカピカになった。俺はいても立っていられなくなって、ふたつの夢を手にしたままトイレを出た。その足で上司のデスクに向かってきっぱりと告げた。
「大事なことを忘れていたので、仕事を辞めさせてもらいます」
上司は「は?」と怪訝な顔をした。
「いきなりどうしたんだ?」
「これを忘れていました」
デスクにふたつの夢を放りだすと、上司は慌てたようすで飛び退いた。
「うわっ、吐きだしたものをデスクの上に乗せるな。汚いだろうが!」
俺の目には輝いて見えるふたつの夢も、上司にとっては汚い吐瀉物でしかないらしい。それを憂いでいると、他の社員が何人かこちらにやってきて、上司のデスクの上になにかを放り投げた。どうやら彼らが過去に吐きだした夢のようで、上司のデスクは吐瀉物だらけになった。
「お前らまでどういうつもりなんだ? こんな汚いものはさっさと片づけろ!」
怒鳴る上司に俺は尋ねた。
「あなたには吐きだしたものが一つもないんですか?」
すると、上司は俺をしばらく見据えたあと、デスクの引き出しを空けてなにかを摘みあげた。それは『ケーキ職人になりたい』という夢だった。意外な夢に俺は驚きを隠せなかった。まわりの皆も予想外だったらしく目を丸くしている。
「つまらない吐瀉物で悪かったな! 笑いたければ笑え!」
上司は開き直ったようにそう声をあげたが、俺は悪くない吐瀉物だと思った。
(了)
昨晩は得意先への接待があって遅い時間まで酒を飲んだ。おかげで今日は朝から胸がムカムカとしていて、どうしても営業で歩き回る気になれなかった。だから、事務作業をするふりをして上司を欺き、午前中に予定していた顧客回りは別の日にすることにした。
そうやって仕事をさぼった甲斐もあってか、昼休みがはじまる頃には胸のムカつきがずいぶんましになった。ところが、コンビニで買ってきた弁当を食べたあとに、強烈な吐きけが襲ってきたのだ。
俺は慌てて自分のデスクから立ちあがり、トイレに駆けこんで便器の蓋を開けた。途端にバシャバシャと大量に嘔吐してしまった。すると、吐瀉物は存外にもさっき食べた弁当ではなく、これまでに見てきた無数の夢だったのである。
俺は便器に浮いている夢の一つを摘みあげてみた。枯葉のように干涸びてほとんど原形をとどめないが、『プロ野球選手になりたい』という夢だった。これは小学生の頃に見ていた懐かしい夢だ。当時の俺は野球が好きで、学校の友達と野球ばかりしていた。
別の夢も摘みあげてみた。『漫画家になりたい』とある。これも小学生のときに見ていた夢で、同じく干涸びてボロボロになっている。夢中で読んでいた漫画があって、その影響から漫画家になりたいと思っていた。
残っている夢のいくつかを続けて摘みあげた。『サッカー選手なりたい』『俳優になりたい』『お金持ちになりたい』。すべて小学生のときの夢だ。所詮は子供の頃の夢だから現実味はないのだが、こんなにたくさんの夢を見ていたということに驚いた。
次に摘みあげた夢は『美術大学に入りたい』というものだった。中学生になる頃には自分は運動が苦手だと気がつき、代わりに手先が器用で絵を描くのが得意だと知った。だから、中学生から高校生を通して美大に入りたいと思っていた。
この夢はボロボロになっておらず、端っこに『済』という赤い判子が押されている。どうやら、叶えた夢には『済』がつくらしい。
その次に摘みあげた夢は『画家になりたい』だった。これはボロボロになっており、なにかが引っかかっている。見れば『世界を一周したい』という夢だった。
引き剥がそうと力を加えてみたが、『画家になりたい』と『世界を一周したい』は離れなかった。なぜ、引き剥がせないのだろうか。あれこれ思案しているうちに、このふたつの夢は一対であることを思いだした。
世界をのんびりと一周をしながら、各国の風景を絵に描く。そういう画家になりたいと、美大に通いながら夢見ていた。
今の仕事に就いたのも、本来はそれが目的だった。世界一周の旅費は高額になる。それを蓄えるために就職しようと考えたのだ。しかし、画家になどなれるはずがないと、夢ではなく現実を見るべきだと、いつしか画家になる夢も世界を一周する夢も諦めていた。
そんなことを思い出していると、ボロボロだったふたつの夢がどんどん輝きだして、最後には新車のようにピカピカになった。俺はいても立っていられなくなって、ふたつの夢を手にしたままトイレを出た。その足で上司のデスクに向かってきっぱりと告げた。
「大事なことを忘れていたので、仕事を辞めさせてもらいます」
上司は「は?」と怪訝な顔をした。
「いきなりどうしたんだ?」
「これを忘れていました」
デスクにふたつの夢を放りだすと、上司は慌てたようすで飛び退いた。
「うわっ、吐きだしたものをデスクの上に乗せるな。汚いだろうが!」
俺の目には輝いて見えるふたつの夢も、上司にとっては汚い吐瀉物でしかないらしい。それを憂いでいると、他の社員が何人かこちらにやってきて、上司のデスクの上になにかを放り投げた。どうやら彼らが過去に吐きだした夢のようで、上司のデスクは吐瀉物だらけになった。
「お前らまでどういうつもりなんだ? こんな汚いものはさっさと片づけろ!」
怒鳴る上司に俺は尋ねた。
「あなたには吐きだしたものが一つもないんですか?」
すると、上司は俺をしばらく見据えたあと、デスクの引き出しを空けてなにかを摘みあげた。それは『ケーキ職人になりたい』という夢だった。意外な夢に俺は驚きを隠せなかった。まわりの皆も予想外だったらしく目を丸くしている。
「つまらない吐瀉物で悪かったな! 笑いたければ笑え!」
上司は開き直ったようにそう声をあげたが、俺は悪くない吐瀉物だと思った。
(了)