第10回「小説でもどうぞ」佳作 悪夢/衣奈響子
第10回結果発表
課 題
夢
※応募数291編
「悪夢」衣奈響子
また、航の寝言、いや、ほとんど雄たけびが聞こえた。悪夢を見ているらしい。
「どんな夢、見てるん?」
わからない、と航はこたえる。起きると、忘れているそうだ。
「病院に行って、検査したら」
勧めても、航はつまらなそうに言う。
「時間と金、使ってどうすんねん」
ま、私も口で言うほど、心配していない。そんな日が続いていた。私も航も仕事が忙しいから、航が私の部屋に来るのは一週間に二日ほどだ。来ない週があっても、航とはずっと続くと思っていたのに、航に別れ話を切り出された。
航はその女、トモミとふとしたことで知り合った、そうだ。
自分の悪夢の話をウケ狙いで話したのに、トモミは真剣に耳を傾け、こう言った。
「辛かった過去が蘇っているんだと思う。お母さんって、気の強い方じゃない? いつも、あなたの将来の夢に水をさして、邪魔したんじゃない?」
航はびっくりした。全てあたっている。そして、それからえらく飛躍するのだが、そのトモミと「離れられなくなった」らしい。
「考えたら、おれのオカン、高校とか進路もそうやし、全部、邪魔してきた」
航が沈痛な顔をしているので、私は呆れた。
「それが、オカンいうもんや! 嫌われるのを怖がって、オカンなんかでけへんやろ!」
「何、オカンみたいな事言うてんねん。だから、俺は、お前がしんどいねん。お前とおるのが悪夢やったんや!」
航は渡りに船とばかりに叫ぶ。
「こっちも、あんたとおるのが、悪夢やったんや!」
私も売り言葉に買い言葉、をしてしまった……。 それから三か月たつ。
思い出しても仕方がない。コンビニに夕食を買いに行こう。一人になってから、ずっとコンビニばかりだ。
棚に並んだ、おにぎりを見ていると思い出す。三日前、航のオカンが、私の家の前で待っていたのだ。
「ほんま、ごめんやで。航がアホで。何か、この頃、おかしいと思ったら」
航はオカンにもう話していた。私は何も言えなくなった。オカンは謝り続けながら、コンビニに私を半ば強引に連れ込み、「何でも、食べたいもの、取って」と、言った。私がおにぎりをひとつ取ると、オカンはそれにスープとサラダとチキンをつけて、「栄養つけな、あかんで」と私に押し付けた……。
やっぱりええオカンやん、航。大事にしな、あかんで。
死んでしまったら、もう、何もできへん。
これは私の悪夢だ。私のオカンはクモ膜下出血で亡くなったのだから。去年の今日、三回忌を済ませた。
そうだ。オカンが好きだった、おはぎでも買おう。そう思ったが、コンビニでは、おはぎがなかった。ほかも探したけれど、和菓子屋さんはもう閉まっている。
アパートの階段を上がって、ぎょっとした。私の部屋の前に、誰かが立っている。そいつはインターホンに手を伸ばしては、引っ込めている。
「何か御用ですか!」
私がかますと、そいつは、びくっと動いた。航だ。
「何しに来たんや。トモミちゃんに捨てられたんか」
先制パンチをお見舞いしたつもりだったが、航は怒らず、小ぶりな箱を差し出した。
「今日、命日やろ」
「あ、ありがと」
私は何とかお礼を言った。思いがけず胸がぐっと詰まったのだ。
「入る?」
ドアを開けると、航は首を振った。
「いや、トモミが待っているから。今日はこれを渡しに来ただけ」
航はじっと私を見て、「元気でな。栄養つけな、あかんで」と言った。
見送っていると、航は一度だけ振り向いて、小さく手を振った。私も手を振り返した。
後ろ姿が見えなくなっても、ずっと立っていたので、足がカチンコチンにかたくなっていた。ため息をつかないようにして、部屋の中に入り、箱をそっと開ける。
大きなおはぎが二個入っていた。
オカンの写真の前にお供えしてから、おはぎにかぶりつく。
「一気に食べたら、悪い夢見るで」
小さい頃、オカンから注意されたのを思い出す。
「ええねん。悪夢を見たいねん」
私はおはぎを食べ続ける。
(了)
「どんな夢、見てるん?」
わからない、と航はこたえる。起きると、忘れているそうだ。
「病院に行って、検査したら」
勧めても、航はつまらなそうに言う。
「時間と金、使ってどうすんねん」
ま、私も口で言うほど、心配していない。そんな日が続いていた。私も航も仕事が忙しいから、航が私の部屋に来るのは一週間に二日ほどだ。来ない週があっても、航とはずっと続くと思っていたのに、航に別れ話を切り出された。
航はその女、トモミとふとしたことで知り合った、そうだ。
自分の悪夢の話をウケ狙いで話したのに、トモミは真剣に耳を傾け、こう言った。
「辛かった過去が蘇っているんだと思う。お母さんって、気の強い方じゃない? いつも、あなたの将来の夢に水をさして、邪魔したんじゃない?」
航はびっくりした。全てあたっている。そして、それからえらく飛躍するのだが、そのトモミと「離れられなくなった」らしい。
「考えたら、おれのオカン、高校とか進路もそうやし、全部、邪魔してきた」
航が沈痛な顔をしているので、私は呆れた。
「それが、オカンいうもんや! 嫌われるのを怖がって、オカンなんかでけへんやろ!」
「何、オカンみたいな事言うてんねん。だから、俺は、お前がしんどいねん。お前とおるのが悪夢やったんや!」
航は渡りに船とばかりに叫ぶ。
「こっちも、あんたとおるのが、悪夢やったんや!」
私も売り言葉に買い言葉、をしてしまった……。 それから三か月たつ。
思い出しても仕方がない。コンビニに夕食を買いに行こう。一人になってから、ずっとコンビニばかりだ。
棚に並んだ、おにぎりを見ていると思い出す。三日前、航のオカンが、私の家の前で待っていたのだ。
「ほんま、ごめんやで。航がアホで。何か、この頃、おかしいと思ったら」
航はオカンにもう話していた。私は何も言えなくなった。オカンは謝り続けながら、コンビニに私を半ば強引に連れ込み、「何でも、食べたいもの、取って」と、言った。私がおにぎりをひとつ取ると、オカンはそれにスープとサラダとチキンをつけて、「栄養つけな、あかんで」と私に押し付けた……。
やっぱりええオカンやん、航。大事にしな、あかんで。
死んでしまったら、もう、何もできへん。
これは私の悪夢だ。私のオカンはクモ膜下出血で亡くなったのだから。去年の今日、三回忌を済ませた。
そうだ。オカンが好きだった、おはぎでも買おう。そう思ったが、コンビニでは、おはぎがなかった。ほかも探したけれど、和菓子屋さんはもう閉まっている。
アパートの階段を上がって、ぎょっとした。私の部屋の前に、誰かが立っている。そいつはインターホンに手を伸ばしては、引っ込めている。
「何か御用ですか!」
私がかますと、そいつは、びくっと動いた。航だ。
「何しに来たんや。トモミちゃんに捨てられたんか」
先制パンチをお見舞いしたつもりだったが、航は怒らず、小ぶりな箱を差し出した。
「今日、命日やろ」
「あ、ありがと」
私は何とかお礼を言った。思いがけず胸がぐっと詰まったのだ。
「入る?」
ドアを開けると、航は首を振った。
「いや、トモミが待っているから。今日はこれを渡しに来ただけ」
航はじっと私を見て、「元気でな。栄養つけな、あかんで」と言った。
見送っていると、航は一度だけ振り向いて、小さく手を振った。私も手を振り返した。
後ろ姿が見えなくなっても、ずっと立っていたので、足がカチンコチンにかたくなっていた。ため息をつかないようにして、部屋の中に入り、箱をそっと開ける。
大きなおはぎが二個入っていた。
オカンの写真の前にお供えしてから、おはぎにかぶりつく。
「一気に食べたら、悪い夢見るで」
小さい頃、オカンから注意されたのを思い出す。
「ええねん。悪夢を見たいねん」
私はおはぎを食べ続ける。
(了)