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第10回「小説でもどうぞ」佳作 空を飛ぶ/寺谷千兵衛

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
第10回結果発表
課 題

※応募数291編
「空を飛ぶ」寺谷千兵衛
 昼休みのチャイムが鳴り響き、一人で外へ出る。寝不足だから、涼風は気持ちいいけれど、目に飛び込む日差しが痛く、むかつく。前を歩く村井の後ろ姿が見えた。後ろから勢いよくぶつかると、彼はよろめき、驚きと怯えが混ざった顔で、素早く振り返った。
「……何すか、いきなり」
「あのさ、死ぬかと思ったぜ。スカイダイビングのパラシュート、つける前に押されたんだからさ」
「……よくわからないっすけど」
 疲れた顔の村井を、無理やり牛丼屋へ連れて行く。大人しい部下に今日見た夢の話をしてやろう。笑い話にして昼からの仕事の活力を与えてやるか。俺はつくづく理想の上司だ。
 昼間のオフィス街は、以前ほど人の行き来はない。コロナと不況のせいだろう。昔はみんなが連れ立ってランチを食べていたのに。いつもは妻から弁当を持たせてもらっている俺も、今日は朝から不機嫌な妻に触れないように、急いで子どもを保育園に連れ出した。
「お前のせいだからな」
「だからさっきから何なんすか? ……そういえば課長、今日愛妻弁当は?」
「だから、それがお前のせいなんだよ」
 牛丼屋はコンビニでパンを買うより安上がりだ。コンビニだとジュースやお菓子をついでに買うので結果高くつく。そんなことを教えながら、今朝見た夢の話を聞かせる。
「なぜか分からないけれど、『押すなよ、押すなよ』って言ってるんだけど、お前は『押せってことですよね』って笑いながら押してくるんだよ。押されるのも怖かったけど、お前の笑い方、やばかったぜ。何て言うか、オーバーな引き笑いでさ、きしょいんだよ。っていうか、温度が全然違うの。俺とお前」
「……それで何で愛妻弁当がないんですか?」
「うなされて目が覚めたら、あんまりリアルだったからさ、興奮しちゃって寝付けなくなっちゃって。悶々としているうちに、気が付いたらいつの間にか寝坊だよ。洗濯する時間が無くなった」
 共働きをしていると、家事と育児を協力しなければ一日が進まない。今頃洗濯機の中では、昨晩使ったバスタオルから、カビが生えそうな湿気が充満しているだろう。
 村井は牛丼を大きな口を開けて勢いよく飲み込んでいく。速く食べているのに、なぜかめんどくささがにじみ出ている。俺が食べ終わるのを待ちながら、スマホで検索を始めた。
「着地しました?」
「何が?」
「だから、俺が押したスカイダイビング。きちんと着地しましたか?」
「着地は、したかな? 何かそのまま死んじゃったような。どうだったかな、意識が朦朧としはじめて、空からゆっくりと舞い降りて」
「うわ。多分ですけど、超吉夢ですよ、それ! 『生まれ変わったり、進化したりする兆候』らしいっすよ!」
「マジか!」
 俺も牛丼を残したまま、自分のスマホで検索してみる。「夢 高所から落下」と入力して、一番上のサイトをクリックする。読み進めながら、俺は村井の頭を叩いた。
「違うじゃねえかよ! 『あなたのストレスや苦しみが反映されています。大きなトラブルに見舞われる可能性が高いでしょう』って書いてあんじゃん!」
「サイトによって違うんですよ。占いってそんなもんですよね」
 頭を叩かれ怒られた村井は、露骨に不機嫌な顔になった。……あ、やばい。もしかすると、戻った後、部長に俺がパワハラしたって告げ口するかもしれない。『大きなトラブル』に見舞われてしまう。
「……まあ、あれだ。村井。一つの情報だけを信じるんじゃない。物事は多方面から見なければ、真実はわからんってことだな。それを今、俺が経験から教えてやったまでよ」
 とりあえず俺は自分の行為を正当化し、ここは奢るよと言いながら、三百円を村井に握らせた。
 帰り道、村井は口を聞かなくなった。このままでは告げ口されてしまう。部長は謹厳実直人権派だから、村井の訴えをまともに受けるだろう。もう少しだけ自虐話でもして、村井の機嫌を直しておかないと、昼から「大きなトラブル」に巻き込まれるかもしれない。歩道橋で立ち止まる。休憩時間が終わるには、もう少し時間がある。欄干に背を預け、村井が喜ぶ話を考える。
「村井、牛丼、280円だったろ? 二十円、返さなくていいからさ。奢ってやるよ」
 いい上司だ。そう思った瞬間、村井が俺に体当たりしてきた。いつもの怯えたような表情のまま俺を持ち上げる。
「やめろ、押すな!」
 と言っても、口角を上げながら何かを呟いていた。その笑い方、きしょいんだよ……。
(了)