W選考委員版「小説でもどうぞ」第1回 選外佳作 夜の青年/荻野直樹
選外佳作
「夜の青年」
荻野直樹
「夜の青年」
荻野直樹
その夜。私はかなり酔っていた。
いつものように、仕事で面白くない事があり、次から次へと店を変え飲み続けていた。いくら飲んでも気分が晴れず、逆に滅入っていくようだった。最後に場末のバーでウイスキーを飲みながら、さすがにもう帰ろうとしていた時、あの青年と出会ったのだった。
「何か、嫌な事でもあったのですか?」
少したどたどしい口調で、私に声を掛けてきた見知らぬ青年は、背が高く少し女性的な雰囲気を漂わせ、ハーフかと思うほど彫りの深い顔が上品な印象を与えていた。こんな場末のバーには似つかわしくなかった。
私は一人で飲んでいるのに飽き飽きしていた。愚痴を聞いてくれる相手が欲しかったので、青年に隣に座るように言った。
「嫌な事でもあったのですか?」
青年はもう一度聞いてきた。
「嫌な事ばかりだよ、人生は。あんただってそうだろ?」
私は青年がおとなしいのをいいことに、日頃から抱えている愚痴を思う存分吐き散らかした。青年はただニコニコと微笑ながら私の話を聞いているばかりだった。 「人間は何かと苦労しているのですね」
「その通り。人間は皆、大なり小なり苦労しているよ。神様は人間を苦労させる為にお作り遊ばしたのさ!」
青年は神様と言う言葉を聞いた時、少し表情を変えたようだったが、私は気にも留めなかった。青年はしばらく何事か考えていたようだったが、やがて口を開いた。
「大変申し訳ありませんでした。そんなつもりはなかったのです」
一瞬、私は青年の言葉が理解できず、ただその美しい顔を見つめているだけだった。
「しかし、私があなたに迷惑をおかけしたのは事実のようです。その責任を取らねばなりません」
「ちょっと待ってくれ。冗談、冗談だよ」
私は笑って青年を制したが、青年は構わず話を続けた。
「今までのお詫びに、あなたの願いを一つ叶えて差し上げましょう」
完全に酔いが醒めてしまった。
新手のサギか、或いはこの青年は頭がおかしいのだろうか? しかし、青年からは悪意は感じられなかったし、すごぶるまともそうに見えた。私は改めて尋ねた。 「君は誰だ?」
「さっきおっしゃったじゃありませんか。神です」
怒りが込み上げてきた。酔っ払いをからかうにも程がある。
「神様がなんでこんな所にいる?」
「調査ですよ」
青年は何事なかったように言った。
「調査?」
「私は定期時に、人間が何を考え、どのように生きているのかを調べる為に下界に降りて来ているのです。創造主の私が言うのも変ですが、人間とは実にユニークな存在です。私の予想を超えて進化し、これからもどうなっていくのか想像もつかない。そんな人間と話すのは実に楽しいものです。今回はそれがあなただったという訳です」
私は淡々と話し続ける青年をじっと見つめていた。混乱や怒りは去り、代わりに言いようのない可笑しさが沸き上がってきた。私は大声をあげ、涙を流して笑い転げた。こんなに笑ったのは久しぶりだった。
ようやく呼吸を整えてから、私はレシートを手にして席を立とうとした。
「願いごとはいいのですか?」
青年は念を押すように言った。
私は少し考えてから、数日前に買った連番で十枚入った宝くじの袋を見せた。
「これを当たるようにしてくれ」
「かしこまりました」
私は会計を済ませてから、もう一度青年の方を振り返った。
そこで忽然と青年の姿が消え失せていたなら私は信じたかも知れない。しかし青年はやはり私を見つめて微笑んでいるだけだった。
いつものように、仕事で面白くない事があり、次から次へと店を変え飲み続けていた。いくら飲んでも気分が晴れず、逆に滅入っていくようだった。最後に場末のバーでウイスキーを飲みながら、さすがにもう帰ろうとしていた時、あの青年と出会ったのだった。
「何か、嫌な事でもあったのですか?」
少したどたどしい口調で、私に声を掛けてきた見知らぬ青年は、背が高く少し女性的な雰囲気を漂わせ、ハーフかと思うほど彫りの深い顔が上品な印象を与えていた。こんな場末のバーには似つかわしくなかった。
私は一人で飲んでいるのに飽き飽きしていた。愚痴を聞いてくれる相手が欲しかったので、青年に隣に座るように言った。
「嫌な事でもあったのですか?」
青年はもう一度聞いてきた。
「嫌な事ばかりだよ、人生は。あんただってそうだろ?」
私は青年がおとなしいのをいいことに、日頃から抱えている愚痴を思う存分吐き散らかした。青年はただニコニコと微笑ながら私の話を聞いているばかりだった。 「人間は何かと苦労しているのですね」
「その通り。人間は皆、大なり小なり苦労しているよ。神様は人間を苦労させる為にお作り遊ばしたのさ!」
青年は神様と言う言葉を聞いた時、少し表情を変えたようだったが、私は気にも留めなかった。青年はしばらく何事か考えていたようだったが、やがて口を開いた。
「大変申し訳ありませんでした。そんなつもりはなかったのです」
一瞬、私は青年の言葉が理解できず、ただその美しい顔を見つめているだけだった。
「しかし、私があなたに迷惑をおかけしたのは事実のようです。その責任を取らねばなりません」
「ちょっと待ってくれ。冗談、冗談だよ」
私は笑って青年を制したが、青年は構わず話を続けた。
「今までのお詫びに、あなたの願いを一つ叶えて差し上げましょう」
完全に酔いが醒めてしまった。
新手のサギか、或いはこの青年は頭がおかしいのだろうか? しかし、青年からは悪意は感じられなかったし、すごぶるまともそうに見えた。私は改めて尋ねた。 「君は誰だ?」
「さっきおっしゃったじゃありませんか。神です」
怒りが込み上げてきた。酔っ払いをからかうにも程がある。
「神様がなんでこんな所にいる?」
「調査ですよ」
青年は何事なかったように言った。
「調査?」
「私は定期時に、人間が何を考え、どのように生きているのかを調べる為に下界に降りて来ているのです。創造主の私が言うのも変ですが、人間とは実にユニークな存在です。私の予想を超えて進化し、これからもどうなっていくのか想像もつかない。そんな人間と話すのは実に楽しいものです。今回はそれがあなただったという訳です」
私は淡々と話し続ける青年をじっと見つめていた。混乱や怒りは去り、代わりに言いようのない可笑しさが沸き上がってきた。私は大声をあげ、涙を流して笑い転げた。こんなに笑ったのは久しぶりだった。
ようやく呼吸を整えてから、私はレシートを手にして席を立とうとした。
「願いごとはいいのですか?」
青年は念を押すように言った。
私は少し考えてから、数日前に買った連番で十枚入った宝くじの袋を見せた。
「これを当たるようにしてくれ」
「かしこまりました」
私は会計を済ませてから、もう一度青年の方を振り返った。
そこで忽然と青年の姿が消え失せていたなら私は信じたかも知れない。しかし青年はやはり私を見つめて微笑んでいるだけだった。
宝くじは当たっていた。
三百円とは別に、一万円が一口だったけれど、私のくじ運の悪さからしてみると奇跡的だった。
あの青年は本当に神様だったのだ。
私はそう思うようになっていた。
神様は定期的に下界に降りて来ると言っていたな。また出会える可能性は十分にある。その時こそはもっと真剣な願いごとをしなければならない。私はそのリストを作ることにした。
あり得ないかも知れない。
しかし、あり得ない事が起きるのが今の世の中じゃないか。 (了)
三百円とは別に、一万円が一口だったけれど、私のくじ運の悪さからしてみると奇跡的だった。
あの青年は本当に神様だったのだ。
私はそう思うようになっていた。
神様は定期的に下界に降りて来ると言っていたな。また出会える可能性は十分にある。その時こそはもっと真剣な願いごとをしなければならない。私はそのリストを作ることにした。
あり得ないかも知れない。
しかし、あり得ない事が起きるのが今の世の中じゃないか。 (了)