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W選考委員版「小説でもどうぞ」第1回 選外佳作 「いつかまた」がなくても/真夜中シン

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ
選外佳作
「「いつかまた」がなくても」
真夜中シン
 いつまでも過去を引きずっていてはいけないと思い、マッチングアプリを始めてみることにした。イマドキの出会い方に最初のうちは抵抗があったけれども、時間が経つと次第に慣れた。登録時には身元確認があり、アプリ内でプロフィールを公開して、お互いに「いいね」を送り合った相手とだけ、メッセージが交換できる仕組みになっている。
 同い年のコウさんに出会ったのは、十一月のことだった。アウトドアな見た目で、趣味の欄に、ランニングと美味しい店を開拓すること、と書いてあった。やり取りすると気さくな感じの人だったので、一度直接会ってみることにした。
 待ち合わせは駅の噴水前。コウさんは写真より見ためが少し若く見えた。黒のニット帽にモスグリーンのアウターが似合っている。「俺の知っているカフェでもいいですか?」と聴かれて付いて行くと、街角の喫茶店に到着。その店は、私がいつか行ってみたいと思いつつ、常連が多くて一人で入れなかった純喫茶だった。彼のセンスが私のストライクゾーンに見事にハマった瞬間だった。
「この店のお薦めはたまごサンドなんだけど、よかったら食べてみる?」
 あ、いま、タメ口になった、こういう自然に打ち解ける感じいいな、なんてぽわんと考えている間に注文が届く。たまごサンドは、鮮やかな黄色の卵を、ふかふかの食パンでぎゅっと挟み込んだ、優しい味だった。一皿の量が多いので、半分ずつに取り分ける。美味しい食事をしながらだと、気を遣わなくても会話が続く。結局、たまごサンドと珈琲だけで2時間近くその喫茶店に居座っていた。帰りがけにコウさんが、「今日は楽しかったです。また、ご飯とか行けたら嬉しいかも」と言ってくれた時、次もまた会えるんだということに、嬉しくてほっとした。
 それからの私たちは、会うたびにあちこちのお店を食べ歩いた。コウさんは私の知らないグルメな場所をよく知っていて、住宅街の一角でおばあちゃんが営んでいる製麺所のうどんだとか、週末だけ開いている居酒屋の気取らないおばんざいとか、一見、事務所みたいな佇まいのバーの裏メニューのカレーだとか、とっておきの味を伝授するように、ひとつひとつ教えてくれた。彼はお店の人たちとたいてい顔馴染みで、行く先々で「またおいで」と声をかけられた。そんな雰囲気のある人だった。
 私たちは、傍から見れば一組のカップルに見えたかもしれない。けれども実際は、ただただ会うたびに美味しいものを食べ、他人同士の距離のまま、お互いに話をして、それで解散していた。私はうっすらと彼に惹かれていたけど、付き合うとかそういう感じではないんだろうなとも思っていた。「美味しかったですね」と私が言うと、コウさんはいつも「今度また来てみてよ」と言う。「また一緒に来よう」ではなくて。
 ある日、たまにはドライブしようか、と言われ、瀬戸内海沿いのT市にある展望台のカフェに行った。珈琲をブラックでテイクアウトして、カフェの周りをてくてく散歩する。その日は小春日和で、瀬戸内海に浮かぶ島々が遠くまで見渡せた。なにも心配事なんてないような長閑な景色。
 手頃なベンチに座って、ぽっかりと目の前に広がる海を見ながら、珈琲を啜る。どちらからともなく、ぽつりぽつりと打ち明けあって次第にわかったことは、私の過去も、彼の過去もまぁまぁろくでもないということだった。お互いついに話してしまった、という感じがした。けれど悲観しすぎるわけでもなく、コウさんはそっと、「いろんなことがあるよね」と言った。私はずっと誰にも言えなくて後ろめたかった気持ちが、少しだけ溶けた気がした。「きっとさ、美味しいものを食べていればそのうちにまた元気がでるよね」とコウさんが言う。いろんなものをむしゃむしゃ食べて、古い記憶と感情を、しゃくしゃくと消化していく二人の姿を想像して、私はわずかに和んだ。お互いこんな時期じゃなければ、束の間でもこうして寄り添うこともなかっただろう。珈琲を飲み切った後も、しばらく海を眺めていた。
 春がだらりとやってきて、徐々に私たちは会う頻度がゆるやかになっていった。そしてどちらからともなく、まるで自然のことのように連絡を取り合わなくなった。お互い何も知らないままの方がよかっただろうかと考えるけど、もしものことは誰にもわからない。
 コウさんと初めて会った時の純喫茶に、今でも時々、私は一人で行くことがある。昭和にタイムトリップしたような空間、どこか懐かしい味のたまごサンド。一人で食べるとちょっと多い。もしかして、珈琲でも飲んでいるコウさんにそこでばったり出くわすことがあるんじゃないかと思うけれど、偶然彼を見かけることは、決してないのだった。
(了)