第4回「小説でもどうぞ」選外佳作 最期の記憶/ゆうぞう
第4回結果発表
課 題
記憶
※応募数292編
選外佳作「最期の記憶」ゆうぞう
「間に合った?」
あの甲高い声は長女のナナだ。
「良かった」
その夫のワタル君の低い声も聞こえた。
俺は個室に移され、臨終の時を待っている。
目を開けることすらかなわず、聴覚だけが頼りだった。
「あなた、さようなら。私幸せでしたよ」
妻マキコの年老いた声がした。
「父さん、今までありがとう」
長男のユウスケのよく通る声だ。
「お父さん、お世話になりました」
その鼻にかかった声は嫁のサオリさんだ。
これが俺の最期の記憶か。ナナたちも来てくれたからまずまずか。そろそろ逝くか……。
心電図の波形が急にフラットになり始めて、
長男があわてて担当医を呼んだ。駆けつけた医師は、モニターでの心拍停止を確認し、胸に聴診器を当てて呼吸音の停止を確認し、ペンライトを取り出して対光反射の消失を確認した。
「十二月二十日十七時三十八分。ご臨終です」
「あなた」「父さん」「お父さん」みな一斉に泣き出した。
あれっ? それが聞こえるということは、俺はまだ死んでいないのか?
一しきり泣き声が続いた。その間に医師が出て行くと、看護師が長男を呼んで事務的な手続きの話を始めた。
「見て! 心電図が動いている!」
長女の一声で大騒ぎが始まった。担当医が血相を変えて病室に入って来た。すぐに計器を確かめ、胸に聴診器を当て、ペンライトを目に当てた。
「信じられませんが、お父様は蘇生なさいました」
「やった!」「すごい!」と家族の喜ぶ声の中、冷静な医師の声が響いた。
「しかし、助かったわけではありません。危篤状態が依然として続いています」
それを聞いてみな興奮が一気に冷めてしまった。重苦しい沈黙が室内を満たした。
それを破ったのはユウスケだった。
「ところで、先生。父には私たちの声が聞こえているんでしょうか?」
「この状態では意識混濁と思われます。何も聞こえていないはずです」
聞こえているぞ! 声が出せないのがもどかしい。
「先生、この状態はどれくらい続くのですか?」
長女が割って入った。
「わかりません。何しろ私も初めての体験です。何かありましたらすぐ知らせてください」
担当医は部屋から逃げるように出て行った。
「ふー」
ひときわ大きなため息をユウスケがもらした。
「結局、このまま待機するしかないようだな」
ナナが心の内を吐き出すように言った。
「電話をもらって私もワタルも新幹線に飛び乗って来たんだけど、いったいこの後の予定をどうしたらいいの?」
「ナナ。止めとけ。そんなこと誰もわからないんだから」
まったくだ。当の俺だってわからない。
ユウスケが場の重苦しさを吹き飛ばそうとするかのように明るい声を出した。
「でもな、父さんらしいと言えば言えるよな。いつも俺たちを振り回してばかりいたもんな」
ナナが我が意を得たりと語気を強めた。
「本当よ。私たちが家から出た後も、やれ、還暦だ、退職だ、古希だと言って、私たちに祝いの席を設けるように指図するんだもの」
「そうなんですよ、お姉さん。お父さんはなぜか毎年お祝い事があるんですよね」
病室にふさわしくない爆笑が起った。
ユウスケが苦笑しながら言った。
「おまけに、年をとってから、都会より田舎がいい、と言って母さんの承諾も得ないで勝手に田舎に引っ越してしまうんだから」
「ほんと、ほんと。私とユウスケさんは必死に止めたんですけどね」
俺の悪口で場が盛り上がって行く。子どもたちの本音を聞くにつれて、憂鬱になってきた。俺が想像していた臨終の場面からどんどん遠ざかって行くではないか。
ふと左手に暖かさを感じた。マキコが俺の手をしっかり握ってくれた。
「あなた、もう十分じゃありませんか。いろいろありましたが、私はあなたの妻で本当に幸せでしたよ。安心して早く眠りなさいね」
それを聞いた俺の左目に涙が一滴湧いた。この言葉を最期の記憶として、俺は喜んで旅立った。
やがて、医師が呼ばれ、二度目の臨終宣言がなされた後、山崎マキコは「最期まで本当に手のかかる人だった」とつぶやいた。
(了)
あの甲高い声は長女のナナだ。
「良かった」
その夫のワタル君の低い声も聞こえた。
俺は個室に移され、臨終の時を待っている。
目を開けることすらかなわず、聴覚だけが頼りだった。
「あなた、さようなら。私幸せでしたよ」
妻マキコの年老いた声がした。
「父さん、今までありがとう」
長男のユウスケのよく通る声だ。
「お父さん、お世話になりました」
その鼻にかかった声は嫁のサオリさんだ。
これが俺の最期の記憶か。ナナたちも来てくれたからまずまずか。そろそろ逝くか……。
心電図の波形が急にフラットになり始めて、
長男があわてて担当医を呼んだ。駆けつけた医師は、モニターでの心拍停止を確認し、胸に聴診器を当てて呼吸音の停止を確認し、ペンライトを取り出して対光反射の消失を確認した。
「十二月二十日十七時三十八分。ご臨終です」
「あなた」「父さん」「お父さん」みな一斉に泣き出した。
あれっ? それが聞こえるということは、俺はまだ死んでいないのか?
一しきり泣き声が続いた。その間に医師が出て行くと、看護師が長男を呼んで事務的な手続きの話を始めた。
「見て! 心電図が動いている!」
長女の一声で大騒ぎが始まった。担当医が血相を変えて病室に入って来た。すぐに計器を確かめ、胸に聴診器を当て、ペンライトを目に当てた。
「信じられませんが、お父様は蘇生なさいました」
「やった!」「すごい!」と家族の喜ぶ声の中、冷静な医師の声が響いた。
「しかし、助かったわけではありません。危篤状態が依然として続いています」
それを聞いてみな興奮が一気に冷めてしまった。重苦しい沈黙が室内を満たした。
それを破ったのはユウスケだった。
「ところで、先生。父には私たちの声が聞こえているんでしょうか?」
「この状態では意識混濁と思われます。何も聞こえていないはずです」
聞こえているぞ! 声が出せないのがもどかしい。
「先生、この状態はどれくらい続くのですか?」
長女が割って入った。
「わかりません。何しろ私も初めての体験です。何かありましたらすぐ知らせてください」
担当医は部屋から逃げるように出て行った。
「ふー」
ひときわ大きなため息をユウスケがもらした。
「結局、このまま待機するしかないようだな」
ナナが心の内を吐き出すように言った。
「電話をもらって私もワタルも新幹線に飛び乗って来たんだけど、いったいこの後の予定をどうしたらいいの?」
「ナナ。止めとけ。そんなこと誰もわからないんだから」
まったくだ。当の俺だってわからない。
ユウスケが場の重苦しさを吹き飛ばそうとするかのように明るい声を出した。
「でもな、父さんらしいと言えば言えるよな。いつも俺たちを振り回してばかりいたもんな」
ナナが我が意を得たりと語気を強めた。
「本当よ。私たちが家から出た後も、やれ、還暦だ、退職だ、古希だと言って、私たちに祝いの席を設けるように指図するんだもの」
「そうなんですよ、お姉さん。お父さんはなぜか毎年お祝い事があるんですよね」
病室にふさわしくない爆笑が起った。
ユウスケが苦笑しながら言った。
「おまけに、年をとってから、都会より田舎がいい、と言って母さんの承諾も得ないで勝手に田舎に引っ越してしまうんだから」
「ほんと、ほんと。私とユウスケさんは必死に止めたんですけどね」
俺の悪口で場が盛り上がって行く。子どもたちの本音を聞くにつれて、憂鬱になってきた。俺が想像していた臨終の場面からどんどん遠ざかって行くではないか。
ふと左手に暖かさを感じた。マキコが俺の手をしっかり握ってくれた。
「あなた、もう十分じゃありませんか。いろいろありましたが、私はあなたの妻で本当に幸せでしたよ。安心して早く眠りなさいね」
それを聞いた俺の左目に涙が一滴湧いた。この言葉を最期の記憶として、俺は喜んで旅立った。
やがて、医師が呼ばれ、二度目の臨終宣言がなされた後、山崎マキコは「最期まで本当に手のかかる人だった」とつぶやいた。
(了)