第4回「小説でもどうぞ」佳作 バナナ/穂乃香
第4回結果発表
課 題
記憶
※応募数292編
「バナナ」穂乃香
仲良しの従兄弟の弘幸と健太は介護施設ハマナス苑の入り口で待ち合わせた。百歳を過ぎた嘉平ひいじいちゃんの久しぶりの見舞いに誘い合わせてやってきた。二人は嘉平の曽孫にあたる。
「ひいじいちゃん、健太と弘幸だよ。わかるかな。調子はどうね」
しばらく間をおいて「ウンニャ」という返事。わかるんだかわからないんだか、調子がいいのか悪いのか、でも返事をしてくれたのだから多少はわかっているのだろう。
車椅子に座った嘉平の前で、二人はそれぞれの家族の近況を嘉平にも聞かせるように話していた。一通り報告しあえばそれ以上の話題があるわけではなく、二人は所在無げにテレビをつけて、最後の晩餐に何が食べたいかという話題でわざとらしく盛り上がるバラエティー番組を見ていた。
「健太は何食べたい?」
「そうだな、うまいもんといえば、やっぱり分厚いステーキかな、弘ちゃんは?」
「うまい寿司かな。そして浴びるように酒でも飲むかな。健康の事とか考えなくていいし」
「じいちゃんは? でもまだまだ先のことだよね、こんなにかくしゃくとしているんだからさ」
しばらく間をおいて、嘉平は「バナナ」と答えた。
「えー、バナナみたいに安いもんなら、最後の晩餐なんじゃなくて、毎日食べさせてもらえばいいじゃん。俺が職員さんに言っておこうかな、なるべく沢山バナナを出して下さいって」
健太は笑いをこらえたように
「ひいじいちゃん、わかってんのかな、ボケてんじゃないよな、ひいじいちゃんの好物はアンコウ鍋じゃなかったかな、うな丼も好きだよね」
嘉平はしばらく間をおいて「ウンニャ」と言いながら、アンコウ鍋やうな丼よりもやっぱりバナナだと心の中で思っていた。
小学校を終えるか終えないかの十歳をわずかに超えた頃、山深い故郷を出て都会に丁稚奉公に出た。バナナはとってもおいしいと聞いてはいても食べたことはなく、お使いに出されるたびに大通りの果物屋にある鮮やかな黄色のバナナを探して、今日はあるある、今日はないなと、バナナを確認しながら通りすぎたものだった。
そのおいしさはリンゴみたいかな、みかんみたいかな、固いのかな軟らかいのかな、すごくうまいというのだから饅頭みたいなのかなと、いつか食べる日を夢見てその味を想像していた。
高価な果物であることはともかくとして、嘉平はバナナをどうやって食べるのかわからなかった。だいたい形からして、リンゴともみかんとも、梨とも、柿とも、嘉平の知る果物とはかけ離れて特別な形に思えた。わからなければ店の人にきけばいいじゃないいかと誰しも思うだろう。それが恥ずかしくてできなかった。
何年か経ったとき、その食べ方が分かる時がきた。たまの休みの日に嘉平は活動写真を見に行っていた。突然バナナを食べるシーンが出てきたのだ。ああこうやって食べるものなのかと、長年の疑問が一瞬で氷解した。
嘉平はいてもたってもいられず映画館を出た。入口にいる切符もぎりのおじさんが、
「オイ、小僧、便所は中にもあるぞ」
と声をかけてくれたが黙って出た。
「これからが盛り上がるいいところなのになあ、アハハハ」
と誰かの笑い声を後ろに聞きながら走って、いつも通るだけの果物屋でバナナを一本だけ買わせてもらって、暗い部屋に戻って一人で食べた。こんなにうまいものがこの世にあるのかと思った。
そして正月、故郷に帰るときバナナを土産に持って帰った。こうやって食べるんだと母にむいてやった。母はうまいうまいと顔をくしゃくしゃにしてバナナを食べた。
丁稚で都会に出て以来、故郷で嘉平の帰りを待つ母の思いを知りながら、裏切るようにその後も都会で暮らし続けた嘉平のただ一度きりの親孝行であり、あれ以上の親孝行はついぞできなかったと思っていた。
嘉平はうまそうにバナナを食べるあの時の母の満面の笑みを、もう一度心の中に蘇らせてあの世に旅立ちたいと思っていた。
心配そうに嘉平をのぞき込む曽孫二人に笑いかけながら
「ウンニャ、バナナだ」
と再び言った。
(了)
「ひいじいちゃん、健太と弘幸だよ。わかるかな。調子はどうね」
しばらく間をおいて「ウンニャ」という返事。わかるんだかわからないんだか、調子がいいのか悪いのか、でも返事をしてくれたのだから多少はわかっているのだろう。
車椅子に座った嘉平の前で、二人はそれぞれの家族の近況を嘉平にも聞かせるように話していた。一通り報告しあえばそれ以上の話題があるわけではなく、二人は所在無げにテレビをつけて、最後の晩餐に何が食べたいかという話題でわざとらしく盛り上がるバラエティー番組を見ていた。
「健太は何食べたい?」
「そうだな、うまいもんといえば、やっぱり分厚いステーキかな、弘ちゃんは?」
「うまい寿司かな。そして浴びるように酒でも飲むかな。健康の事とか考えなくていいし」
「じいちゃんは? でもまだまだ先のことだよね、こんなにかくしゃくとしているんだからさ」
しばらく間をおいて、嘉平は「バナナ」と答えた。
「えー、バナナみたいに安いもんなら、最後の晩餐なんじゃなくて、毎日食べさせてもらえばいいじゃん。俺が職員さんに言っておこうかな、なるべく沢山バナナを出して下さいって」
健太は笑いをこらえたように
「ひいじいちゃん、わかってんのかな、ボケてんじゃないよな、ひいじいちゃんの好物はアンコウ鍋じゃなかったかな、うな丼も好きだよね」
嘉平はしばらく間をおいて「ウンニャ」と言いながら、アンコウ鍋やうな丼よりもやっぱりバナナだと心の中で思っていた。
小学校を終えるか終えないかの十歳をわずかに超えた頃、山深い故郷を出て都会に丁稚奉公に出た。バナナはとってもおいしいと聞いてはいても食べたことはなく、お使いに出されるたびに大通りの果物屋にある鮮やかな黄色のバナナを探して、今日はあるある、今日はないなと、バナナを確認しながら通りすぎたものだった。
そのおいしさはリンゴみたいかな、みかんみたいかな、固いのかな軟らかいのかな、すごくうまいというのだから饅頭みたいなのかなと、いつか食べる日を夢見てその味を想像していた。
高価な果物であることはともかくとして、嘉平はバナナをどうやって食べるのかわからなかった。だいたい形からして、リンゴともみかんとも、梨とも、柿とも、嘉平の知る果物とはかけ離れて特別な形に思えた。わからなければ店の人にきけばいいじゃないいかと誰しも思うだろう。それが恥ずかしくてできなかった。
何年か経ったとき、その食べ方が分かる時がきた。たまの休みの日に嘉平は活動写真を見に行っていた。突然バナナを食べるシーンが出てきたのだ。ああこうやって食べるものなのかと、長年の疑問が一瞬で氷解した。
嘉平はいてもたってもいられず映画館を出た。入口にいる切符もぎりのおじさんが、
「オイ、小僧、便所は中にもあるぞ」
と声をかけてくれたが黙って出た。
「これからが盛り上がるいいところなのになあ、アハハハ」
と誰かの笑い声を後ろに聞きながら走って、いつも通るだけの果物屋でバナナを一本だけ買わせてもらって、暗い部屋に戻って一人で食べた。こんなにうまいものがこの世にあるのかと思った。
そして正月、故郷に帰るときバナナを土産に持って帰った。こうやって食べるんだと母にむいてやった。母はうまいうまいと顔をくしゃくしゃにしてバナナを食べた。
丁稚で都会に出て以来、故郷で嘉平の帰りを待つ母の思いを知りながら、裏切るようにその後も都会で暮らし続けた嘉平のただ一度きりの親孝行であり、あれ以上の親孝行はついぞできなかったと思っていた。
嘉平はうまそうにバナナを食べるあの時の母の満面の笑みを、もう一度心の中に蘇らせてあの世に旅立ちたいと思っていた。
心配そうに嘉平をのぞき込む曽孫二人に笑いかけながら
「ウンニャ、バナナだ」
と再び言った。
(了)