敗者復活があると聞いて #第35回どうぞ落選供養 --- 『母の庭』 祖父が亡くなってから、もう十年が経つ。 私が小学生の頃、祖父は毎週日曜日に家に来ては、庭の手入れをしていた。つるバラの剪定や、芝生の手入れ、時には小さな池の掃除までしてくれた。その姿を見ていると、祖父の手には魔法がかかっているんじゃないかと思ったものだ。 「おじいちゃんは庭の名人だね」と言うと、祖父は照れくさそうに笑って、「名人なんてとんでもない。ただ長年続けてきただけさ」と答えるのだった。 祖父は庭いじりの合間に、よく私を呼んで話をしてくれた。 「美咲、植物にはね、それぞれ個性があるんだよ。同じ種類でも、一つ一つ違うんだ。だから、よく観察して、その子が何を欲しがっているのか、聞いてあげなきゃいけないんだ」 当時の私には、植物に個性があるなんて理解できなかった。ましてや植物の声を聞くなんて、おとぎ話としか思えなかった。 それでも、祖父の言葉は心に残った。 大学生になった私は、アパートの一室で観葉植物を育て始めた。最初は上手くいかなかった。水をやり過ぎて根腐れを起こしたり、日光不足で葉が黄色くなったりした。 そんな時、ふと祖父の言葉を思い出した。 「よく観察して、その子が何を欲しがっているのか、聞いてあげなきゃいけない」 私は植物と向き合うようになった。毎日少しずつ、葉の様子や土の湿り具合を確認した。そうしているうちに、少しずつだが、植物の「声」が聞こえてくるような気がした。 気づけば、私の部屋は緑であふれるようになっていた。友人が遊びに来ると、「美咲って植物の名人じゃない?」と言われるようになった。 その度に、私は祖父と同じように照れくさそうに笑って、「名人なんてとんでもない。ただ長年続けてきただけよ」と答えるのだった。 社会人になり、結婚し、子供ができた。忙しい日々の中でも、私は庭いじりを続けた。子供たちも、私の横で土いじりを始めるようになった。 ある日、長女の美月が言った。 「ママは庭の名人だね」 その瞬間、十年前に亡くなった祖父の顔が蘇った。私は思わず涙ぐんでしまった。 「どうしたの、ママ?」と美月が不思議そうに聞いてきた。 私は深呼吸をして、笑顔で答えようとした。だが、その時だった。 庭の奥から、今まで聞いたことのない「声」が聞こえてきた。 それは植物の声ではなかった。人間の声だった。 「美咲...助けて...」 私は凍りついた。その声は、十年前に亡くなったはずの祖父の声だった。 恐る恐る庭の奥に近づくと、一本の古木が目に入った。幹には人間の顔のようなものが浮かび上がっている。よく見ると、それは祖父の顔だった。 「美咲...やっと気づいてくれたのか...」 祖父の声が、木から聞こえてきた。 「お、おじいちゃん...?」 「そうだ...私は...この木に...なってしまったんだ...」 私の頭の中で、祖父の言葉が反響した。 「植物にはね、それぞれ個性があるんだよ」 「その子が何を欲しがっているのか、聞いてあげなきゃいけないんだ」 「美咲...私はもう...戻れない...」祖父の声が木々の間で震えた。「でも...お前は...まだ間に合う...」 私は震える手で美月を抱きしめた。 「ママ、おじいちゃんはどこにいるの?」美月が不安そうに聞いてきた。 私は答えられなかった。ただ、美月を連れて家の中に逃げ込んだ。 窓の外では、庭の植物たちが不気味に揺れていた。まるで、私を呼んでいるかのように。 その夜、私は恐ろしい夢を見た。 庭のすべての植物が、人の顔を持っていた。親戚や、友人や、知人の顔が、葉っぱや花びらの間から覗いていた。そして彼らは皆、同じ言葉を繰り返していた。 「名人になれ...名人になれ...」 目が覚めると、私の体は冷や汗でびっしょりだった。 しかし、それは夢ではなかった。 窓の外を見ると、月明かりに照らされた庭の植物たちが、すべて人の顔を持っていた。そして、その顔は私をじっと見つめていた。 私は震える手で携帯電話を取り、警察に電話をしようとした。 しかし、その時だった。 私の指が、緑色に変わり始めた。 そして、腕に葉が生え始めた。 私は叫びたかった。でも、声が出ない。 代わりに、風のような音が私の口から漏れた。 そう、まるで...葉擦れの音のように。 窓の外で、植物たちが歓喜の声を上げるのが聞こえた。 「新しい名人だ!」 「やっと仲間が増える!」 「おめでとう、美咲!」 私の意識が遠のいていく。 最後に聞こえたのは、祖父の声だった。 「ようこそ、美咲。これが名人の宿命なんだよ」 そして、すべてが闇に包まれた。 美月が近づいてくるのが分かった。彼女の小さな手が、優しく私の花びらに触れる。 「わあ、きれいな花!ママに見せなきゃ」 私は風に揺られ、永遠に答えられぬまま、美月の無邪気な笑顔に、いつか訪れる恐ろしい運命を見た。
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今日は8000文字書いた 日々精進
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展開が思いつかなすぎてやけくそになってしまったやつ #第34回どうぞ落選供養 --- 『腐っても駄菓子屋』 蝉の鳴き声が耳をつんざく。じりじりと照りつける太陽の下、アスファルトから立ち昇る熱気が肌を刺す。私は額の汗を拭いながら、ゆっくりと坂道を上っていく。 「もう、歩くのも大変な年になっちゃったわね」 そう呟きながら、懐かしい風景を眺める。古びた木造の家々、道端に咲く朱色のサルスベリ、遠くに見える入り江。すべてが50年前と変わらないようで、でもどこか違う。 坂の頂上に差し掛かると、私は立ち止まった。そこには一軒の古い駄菓子屋がある。「たなか屋」と書かれた看板は色褪せ、軒先にぶら下がる風鈴は錆びついている。店先には、「本日をもって閉店」の貼り紙。 深呼吸をして、がたがたと揺れる木の扉を開けた。 「いらっしゃい」 かすれた声が響く。奥から現れたのは、白髪まじりの老人だ。 「あら、田中さん。お元気だったの」 私は微笑む。 「おや、夏子ちゃんか。久しぶりだねぇ」 田中さんは目を細めて笑った。 店内をゆっくりと見渡す。古びたガラスケースの中には、色とりどりの飴や、懐かしいお菓子が並んでいる。壁には黄ばんだカレンダーが掛かり、時計の針はゆっくりと動いている。 「最後の日に来られてよかった」 田中さんは静かに言う。 「さっきね、最後のお客さんが来たんだ。小学生の男の子でね、目をキラキラさせながら駄菓子を選んでたよ」 胸が締め付けられるような思いがする。子供の頃、ここで駄菓子を買っていた日々が走馬灯のように蘇る。 「ねえ、田中さん。最後だから、あのゲーム、もう一度やらせてもらえないかしら」 田中さんは目を丸くした後、くすくすと笑い出した。 「まさか、あの当てくじのことかい?」 私は頷く。田中さんは棚から古びた箱を取り出し、カウンターに置いた。 「さあ、どうぞ」 深呼吸をして、おそるおそる箱に手を入れる。紙をくじくじと破る音。そして、 「当たり!」 自分の声が店内に響く。田中さんは大笑いしながら、「やれやれ、最後の日に当てられちまったよ」と言って、棚から一番大きな飴を取り出した。 急に、目に涙が浮かぶ。しかし、その涙は濁った緑色で、頬を伝って落ちていく。 「やはり、気づいていたのね」 私は静かに言う。 田中さんはゆっくりと頷いた。 「ああ、君も私も、もう人間ではない。でも、それを認めたくなかった」 自分の手をじっと見つめる。皮膚の下で、緑がかった血管が脈打っている。 「どれくらい経ったのかしら、私たちがこうなってから」 「正確にはわからない」 田中さんは棚の埃を指でなぞりながら答えた。 「記憶が断片的でね。でも、少なくとも数十年は経っているはずだ」 店内を見回す。 「じゃあ、この駄菓子屋も、私たちの記憶の中でしか存在しないのね」 「そうだ」 田中さんは悲しげに微笑んだ。 「我々は自分たちが生きていると信じるために、この幻想を維持してきたんだ」 棚から古いキャンディを手に取る。 「これも...」 「ただの石ころさ」 田中さんが言葉を継いだ。 「でも、我々の舌には甘く感じる。我々の脳が、そう信じ込ませているんだ」 静かにキャンディを口に入れる。確かに甘い。しかし、その甘さの中に、何か腐ったような味が混じっている。 「私たち以外にも、こんな...ゾンビはいるの?」 恐る恐る尋ねる。 田中さんは窓の外を見やった。 「いるだろう。でも、みんな我々と同じように、自分の状況を受け入れられずにいるんだ。だから、互いに気づかないふりをしている」 胸に手を当てる。心臓の鼓動はない。 「これからどうすればいいの?」 「正直、わからない」 田中さんは肩をすくめた。 「でも、もうこの幻想を維持する必要はないんじゃないか。我々の本当の姿を受け入れて、新しい生き方を見つける時なのかもしれない」 ゆっくりと立ち上がる。その動作に、人間らしい滑らかさはない。 「じゃあ、この店を閉めるのは、私たちの新しい人生...いえ、死後の生の始まりってことね」 田中さんも立ち上がり、私の方へ歩み寄ってきた。 「そうだ。怖いかい?」 首を横に振る。 「いいえ、怖くはないわ。ただ...寂しいだけ」 私たちは黙って見つめ合う。そして、ゆっくりと抱き合う。その時、私たちの体から人間らしい温もりが最後の一滴まで抜け落ちていくのを感じた。 「さあ、行こうか」 田中さんが言う。 「外の世界へ。我々の本当の姿で」 私は頷く。手を取り合い、がたがたと揺れるドアを開ける。外の世界は、思っていたのとは全く違う姿をしていた。しかし、それは私たちの新しい現実だった。 駄菓子屋の看板が風に揺れ、やがて落下する。私たちの姿は、荒れ果てた風景の中にゆっくりと溶けていった。