黒田様 ご丁寧な講評を賜りありがとう存じます。大変参考になりました。 1度入選したことがございますが、 その後さっぱりでしたので、ご講評を次回に生かしたく存じます。 ありがとうございました。
- うえおあいちゃんへの返信うえおあいちゃん
- うえおあいちゃん
#第36回どうぞ落選供養 供養のほどお願い申し上げます。 ⬛︎これも立派な『アート』? 皆様、御機嫌よう。連日猛暑の中、如何お過ごしでございましょうか。 僭越ながら私は、あまり麗しゅうない日々を過ごしております。痛いくらいの暑さに、更に追い討ちを掛けるかの如く、先生からの宿題が突き付けられたからです。 以前、ちらりと告白したと記憶致しておりますが、五年程前から、とあるカルチャースクールの文章教室に通っております。齢六十を過ぎ、定年まで五年に迫った時、結婚歴なく独身の私は、 『果たして、このまま無難に生きていて良いのだろうか』 と、居ても立ってもいられなくなり、瞬時にスマホを掴んで文章教室を検索し、自身が無理なく通えそうなこの教室に通うことになったのです。 この時何故、文章教室に通おうと思ったのか。別に文章教室でなくとも、絵画教室でも、書道教室でも、コーラスでも、バイオリンでも何でも良かったのでしょうが、パッと頭に浮かんだのが、文章教室だったのですから、自分自身でも説明の仕様がありません。 五年間文章を書き続けてきて、無難な暮らしが変わったかと言えば、変わったとも言えるし、変わってないとも言えますが、毎回講師の高橋先生から出される宿題には頭を悩ませております。それを考えれば、ともすれば無難に終わりそうだった暮らしに刺激があったと言えるかもしれません。 さて、そんな文章教室の今月の宿題は、『アート』です。 アートで思い浮かぶのは、美術、音楽しか出てきません。半世紀以上も生きてきて、アートと言えば、美術か音楽しか出て来ないとは、己の浅はかさに嫌気が指しますが、今は落ち込んでいる暇など毛頭ございません。何せ、宿題の提出期限が明日と迫っているのです。一ヶ月もあったのに、今まで何をしていたのだ、という批判の声がありそうですが、ダラダラと怠け癖のある私が、一念発起して無難な暮らしを抜け出そうとしていたことについては、自分で賞賛の声を浴びせたいと思います。 そんなこんなしているうちに、『アート』の制限枚数が迫ってきました。あと一二〇〇字ほどで、『アート』を踏まえた短編小説を完成させなくてはなりません。人間焦ると、余計な邪魔が入るもので、今、私の頭の中には、某社のCMソングがぐるぐるグルグル回り続けています。 そう言えば、CMソングは音楽ですから、『アート』の一種ではありませんか。何となく方向性が見えてきたような気がします。さあ、今からが本番です。『アート』小説を一気に書き上げようではありませんか。高橋先生を唸らせてみたい、そんな気迫が湧き出てきました。 『アート』それは、命。 『命』それは、歌。 『歌』それは、永遠。 『永遠』それは、音楽。 『音楽』それは、アート。 『アート』それは、 いつまでも色褪せずにいて欲しい存在。 麗しく人を魅了する存在。 得難い個性を発揮する存在。 教えを与えてくれる存在。 過去、現在、未来、 昨日、今日、明日、 暮らしに溶け込みながら、 決して主張し過ぎることなく、 これから先も続いていく。 宿題の『アート』。残り字数が六十字程になりました。 高橋先生。後半の詩、頭の文字を「あいうえお」にし、アートっぽくしてみました。
- うえおあいちゃん
#第35回どうぞ落選供養 どこがダメだったのかを知り、 次に生かせますように。 『名人同士』 どうせ、何の才能もないんですよ、私。 ええ、分かってます。鳶が鷹を生む筈ないんですから、最初っから諦めてます。 父はしがないサラリーマン、母は専業主婦。団塊世代の典型的な昭和の家庭風景と言えるでしょうか。 いえいえ。決して、サラリーマンと専業主婦を馬鹿にしている訳じゃありません。才能の欠片もないこんな私を、身を粉にして働いて、大学まで出してくれたのですから、両親には感謝しかありません。直接、感謝の気持ちを伝えたことはありませんが。 そう考えると、うちの父と母に限らず、親というものは、こどもを育てあげる名人と言ってよいのかもしれません。 そもそも『名人』とは、技芸に優れている人、の意味で、将棋の『名人』は、よく聞きますね。 我が親はあまりに身近すぎて『名人』などと思うことはありませんでしたけれど、こどもを育てあげる“技芸”は、並大抵ではないでしょう。親になったことのない私が、親の“技芸”を語るなどおこがましい限りですが、今更ながら、本当にそう感じています。 しかも、大学まで行ったにも拘らず、何の才能も見出せなかった私に、ずっと学費を出し続けてくれたのですから、これはもう“奉仕の名人”だと声を大にして伝えたいです。 奉仕と言えば、ボランティアですね。 昨今では、大地震の影響から『災害ボランティア』なる言葉を、ちょくちょく耳にするようになりました。 『何の才能もない私が社会貢献するには、ボランティアしかないかなあ』 災害ボランティアの方が活動している姿を拝見し、そんな思いがちらっとよぎったこともあるのですが、ごめんなさい。駄目なんです。お力になれないんです。車椅子の私が被災地に行けば、却ってご迷惑になってしまいます。 つくづく私は『本当に何の才能もないのだなあ』と思い、落ち込みます。 こんなふうに、自分自身を否定してしまうと『自己肯定感が低い』と診断されてしまうのでしょうね。いつからこんなふうに、自分を卑下するようになってしまったんでしょうか。まったく覚えていません。 ……。……。 思い返せば五年前、事故で車椅子生活になったことが、『低自己肯定感』の始まりだったのでしょうか。 忘れもしない五年前の九月十四日、大雨の中、結構なスピードを出して、私は自転車に乗っていました。電車に乗り遅れるから、とか、友だちとの約束に間に合わないから、などという目的で速度を上げていたわけではありません。単なる自身のせっかちな性格と、なまじっか運動神経がよかっただけに、このくらいスピード出しても平気、という過信とで、ペダルをガンガン踏み込んでいたら、滑って転倒してそこに自動車が通って……という顛末です。 車椅子が必須だと聞かされた直後は、声も出ず、思考も停止し、廃人のようになっていました。起きたことは受け止めるしかない、と分かってはいても、後悔ばかりが頭をぐるぐる回り続け、 『ああ私は、何て駄目な人間なんだ』 との気持ちが、あの時から今に至るまで、ずっとずーっと体中に錆となって染み着いたまま、取れていないのでしょう。 今年三十五歳になる私は、今もなお、両親のお世話になりながら暮らしています。 両親にしてみたら、手を離れたと思っていたこどもが、手の掛かるこどもに戻ってしまったのですから、申し訳なさでいっぱいになります。 けれど“子育ての名人”でもあり“奉仕の名人”でもある両親は、自分たちの手中に出戻った我が子を、見捨てないでいてくれるのです。本当に『名人』としか言い様がありません。 「よっ、名人」 車椅子を押してくれている母に聞こえるか聞こえないかの声量で言うと、母はこちらに顔を近づけ、 「何? 何か言った?」 と尋ねてきました。 「お母さん、ほんと名人だよねえ」 そう応えると、母は意味分からん、というふうなきょとんとした表情で、 「何? 何のこと?」 と、顔を覗きこんで再び尋ねてきました。 「だから、お母さんは名人なんだってば」 「ふうん。そうなの? 何だかよく分からんけど、名人と言われると悪い気はしないから、言葉通りに受け取っておくわ」 そう言うと母は続けて、こう言いました。 「名人って言うなら、あんただって、私をいい気持ちにさせてくれる名人だよ。昔から」