#第36回どうぞ落選供養 例によって落選しておりますので供養します。 タイトル:芸術の徒 いつものギャラリーから段ボールで梱包した絵を搬出する。今回も私の絵は一枚も売れなかった。 煙草のにおいが充満する小さなカフェの壁面を使ったちいさなギャラリー。そこでは毎月企画展が開催されていて、私はそれらに何度も参加している。 このギャラリーで開催される企画展に参加しはじめて何年が経っただろう。企画展に参加するごとに溜まるポイントを使って、このギャラリーで個展をやったこともある。 ちいさなギャラリーとはいえ、個展を開くと決めたときはうれしかった。私の絵をたくさんの人に見てもらえるかもしれないと思った。 でも、いざ個展を開いて在廊してみると、お客さんはほとんど来ない。来る人といえば、他の企画展で売上があった人が清算しに訪れるくらいだった。 そして、個展でも私の絵は売れなかった。 私は一度も絵が売れたことはない。 ギャラリーの企画展に頻繁に出展しているという話をすると、芸術家にでもなるつもりかと鼻で笑われる。周りの人のその態度に傷つくこともできないくらいに、私の心はすり減っていた。 私は別に、アートだの芸術だのを志しているわけじゃない。ただ絵を描くのが好きなだけだ。その絵を誰かに見せたいと思うのは、おかしなことなのだろうか。 そう、私は絵を描いて、誰かに見てもらえればそれで満足なはずだった。 でも、いざ展示会に出して絵が売れないとなるとひどく落ち込んだ。 絵を描きたいのか、それともただ承認されたいのか。もうわからない。承認欲求に描きたい気持ちが潰されていくようだった。 ギャラリーから駅まで歩いて、帰りの電車に乗る。電車には会社帰りの人がたくさん乗っている。 その人達を見ながらぼんやりと思う。この人達のうちどれくらいが、芸術というものに興味があるのだろう。たぶん、興味がある人は一割もいれば上々だろう。だって、私だって正直言えば芸術になんてあまり興味が無いのだ。 絵を梱包した段ボールが入った袋を抱いて俯く。 この世に芸術やアートというものが必要なのはわかっている。それに救われる人がたくさんいるのもわかっている。 けれども私が描いた絵は誰も救えないし。ただただ私自身のことを切り刻むように傷つけるだけだ。 不規則な電車の揺れの方が、よっぽど私を救ってくれる。 ギャラリーの搬出から数日、月に一回の通院日になった。 私は学生時代からずっと心療内科に通っている。就職してパワハラに遭って会社を辞めたあと、この病院の主治医から、希死念慮が消えるまで働いてはいけないと言われた。いわゆるドクターストップだ。だから、もうずっと社会に出て働くということをしていない。 でも、希死念慮というのは消えるものなのだろうか。そんなもの、物心ついたときからずっとあって当たり前のものではないだろうか。人はいつでも死にたくて当たり前ではないだろうか。私には死にたくないという人の気持ちが一切理解できない。 生きていても苦しいだけだ。早く死ねるならその方がいい。それでもまだ生きているのは、自殺をしようとして死に損ねたときのデメリットが、死ぬメリットを遙かに上回るからだ。 動けなくなってなにもできないままに無理矢理生かされるよりは、売れもしない、誰も見向きもしない、下手な絵を描きながらダラダラと自主的に生きている方がまだマシだ。絵を描くことだけが、私がかろうじて死なないでいる唯一のよすがなのだ。 診察室に入る。主治医に近況を話す。いつものようにギャラリーの企画展に参加して、一枚も絵が売れなかったという話だ。 いつもなら、これで話は終わりのはずだった。けれども、今日は私の口が勝手にこんなことを言った。 「もう絵を描くのがつらいです。 でも、描くのはやめられないんです。 私は芸術家になりたいわけでもないのに!」 それから、目からボロボロと涙がこぼれてきた。 「誰か私を殺してよ……」 私の言葉を聞いて、主治医はカルテを見てペンを走らせる。 「とりあえず、お薬調整しましょうか」 薬の調整をされるのは珍しい。それなりに話を聞いてくれる先生ではあるけれど、大抵はなにかしら励ましの言葉をくれたり、対処法を簡単にアドバイスしてくれたりするだけだからだ。 きっと薬を増やされるのだと思う。でも、今さらどれだけ薬を増やされても飲むのに苦労することはない。今だって、毎日手のひらいっぱいの薬を飲んでいるのだから、多少増えたところで誤差だろう。 先生がクリアファイルにいつもの用紙と診察券を入れて、いつものように私に渡す。 「それじゃあ、お大事にしてくださいね」 私は黙ってクリアファイルを受け取って、椅子から立ち上がる。 診察室のドアの前に立つと、主治医がぽつりとこう言った。 「君の悩みは実にアート的だね」
- 藤和
- 藤和
#第35回どうぞ落選供養 お知らせが来たので供養させていただきます。 『しあわせの名人』 お母さんが消しゴムをカッターで彫っている。消しゴムはんこを作るのが趣味なのだ。 お母さんはとにかく手作りのものが好きなようで、自分で本を作っては、その表紙に手作りのはんこを押したりもしている。 毎月僕のためだけに本を作ってくれて、そんなことがずっと昔から続いている。残っている本を数える限りでは、どうやら僕が生まれて一ヶ月経った頃から、僕のための本を作り続けているようだ。 はじめの頃の本に押されている消しゴムはんこはぎこちない出来だったけれども、今ではすっかり手慣れたもの。売り物にしても遜色なさそうだ。 そんなお母さんに、僕が小学生の頃、大好きだったアニメキャラのはんこを作ってほしいと頼んだっけ。もちろん、お母さんはにこにこと笑って作ってくれた。 そのはんこを学校に持っていって自慢したら、クラスメイトに盗まれた。そのことに気づいたときは悔しくて悲しくて、ずっと泣いていたっけ。 泣いて暴れる僕をあやすように、お母さんはまた作るから。とやさしく言ってくれた。その言葉通り、同じものを面倒くさがらずにまた作ってくれた。僕の手元に帰ってきたように思えた消しゴムはんこを握りしめて、うれしくてまた泣いたっけ。 あの時から変わらず、お母さんは今日も消しゴムはんこを彫っている。その表情はどこかぼんやりしているけれども、細かく彫り込んでいく手さばきはさすがだ。 おやつのクッキーをかじりながら、消しゴムはんこを彫るお母さんを見る。はんこ作りも本作りも、夢中になってやっているお母さんが好きだ。 いつもやさしくて一生懸命になれるものがあるお母さんが好きだ。 お母さんが大好きだという気持ちと、日頃の感謝を伝えるのにどうしよう。と悩んでいたら、幼なじみがプレゼントをしたら? とアドバイスしてくれた。 もうすぐ母の日だし、プレゼントをする口実にはちょうどいい。そう思った僕は、お母さんへのプレゼントはなにが良いかなとこっそりと考えた。 そして母の日。僕は通っている中学校から急いで帰った。部活も休んで、同じ学校に通っている幼なじみからエールももらって、お母さんへのプレゼントを隠している僕の部屋へと急いで向かった。 玄関に入るなり慌ただしく階段を駆け上る。二階にある自室の机の引き出しを開ける。その中には不器用なラッピングがされたプレゼントが入っている。 プレゼントを手に取って、またばたばたと階段を駆け下りる。それから居間に行くと、きょとんとした顔のお母さんが、ソファに座って電子メモのキーを叩いていた。 「今日はなんだかいそがしいね」 おっとりとそういうお母さんに、僕はプレゼントを差し出す。 「今日は母の日だから、プレゼント!」 それを聞いたお母さんは少しおどろいた顔をして、俺のプレゼントを受け取る。 「ありがとう。開けていいかい?」 「も、もちろん」 目の前で開けられるのは少し恥ずかしいけれど、お母さんがどんな反応をするのかも気になる。だから、その場でお母さんがラッピングを開けるのを見守った。 中から出てきたのは、お母さんの親指くらいの大きさの消しゴムはんこと、手紙の入った封筒。 お母さんは消しゴムはんこをしげしげと見てにっこりと笑う。 「おや、かわいいね。これは作ってくれたの?」 「う、うん。お母さんほどうまくないけど……」 「早速押してみていい?」 「うん、いいよ」 お母さんがいつも家の中で持ち歩いているトートバッグから、スタンプパッドとメモ帳を取り出して、僕が作ったはんこを押す。メモ帳の上にぎこちない花の模様が乗った。 「わぁ、いいね。かわいいね」 お母さんはにこにこと笑ってはんこのインクを拭き取って、トートバッグからはんこケースを取り出して中に入れる。 それから、手紙を封筒から出して読みはじめる。目の前で読まれると恥ずかしいけど、にこにこしているお母さんのことは見ていたかった。 手紙を読み終わったお母さんが僕に言う。 「君は、私をしあわせにしてくれる名人だね」 その言葉があまりにも気恥ずかしくて、ついふくれっ面をしてしまう。 「そ、そんなんじゃないし」 思わずそっぽを向いてそう言うと、お母さんがうれしそうにくすくすと笑った。 それから一ヶ月が経った頃。お母さんが今月も僕のために作った本を渡してきた。 毎月僕のためだけにお話を書いてくれるのもうれしいけれど、今月の本は、表紙に僕が作ったはんこをいっぱい押していある。 その本を見て顔が熱くなる。 こんなふうにスタンプを使ってもらえるのがうれしいし、お母さんが僕のプレゼントをよろこんでくれたのもうれしい。 僕はそそくさと自室に戻って、今月のお話をじっくりと読む。 お母さんだって、僕をしあわせにしてくれる名人なんだ。