比喩、言葉にならない言葉をとらえるための。「第29回 古今伝授の里短歌大会」
「古今伝授の里短歌大会」が、岐阜県郡上市で開催される。自由題の部・ペア短歌(贈答歌)の部があり、投稿締切は2023年7月31日。各部門の大賞に商品券2万円等が贈られる。
短歌を使って、心に届ける
本大会にはペア短歌部門がある。短歌を贈り、それを受けて相手が返歌をつくる。その二首をもって応募作とする珍しい部門である。作者ふたりの関係性を明示するのも他にはない特徴だ。
奪われた領地を短歌だけで取り返した東常縁の逸話にちなんで、この部門は設立された。
東常縁は室町時代の武士。戦乱のさなか、短歌10首を相手方の武将に贈ることで、戦うことなく奪われた城と領地を取り返したのだという。望郷の念を詠った短歌が、相手の心の奥底まで届いたのだ。戦すらおさめてしまう、すさまじい短歌の力だ。
「短歌を使って、心に届ける」とは?
ペア短歌部門に挑戦するにあたり、わたしたちが「短歌を使って心に届ける」ためのテクニックとして、比喩に着目したい。
(入賞作のペア短歌)
/渡邉芳美(母)
面談の帰りに見えた大西日夢へと漕ぎ出す覚悟を決める
/渡邉美愛(娘)
昨年度のペア短歌部門入賞作品。比喩をうまく使っている。一首目では母である自分の役割を「灯台」として喩え、それに対する返歌として、二首目では娘である自分を「夢へと漕ぎ出す(船)」と捉えている。
母の気持ちが、「灯台」の持つ役割や明るさのイメージに託される。灯台を思い浮かべるときに脳内に流れる景色が元のテキストと重なり合う。心の動きは、そのまま言語化したとしても万人に通じるわけではない。個人的な「感情」を万人に伝わるもので喩えることで心に届くのだといえる。
逆のイメージで塗り替える
比喩自体は難しい技術ではない。
最も大事なのは、言葉と言葉の組み合わせだ。
例えば「真珠のような涙」のような手垢のついた比喩では、イメージを喚起して届けるという点では弱い。新しければなんでも良い、というわけではないが、第一に慣用句的な表現になっていないかは気をつけるべきだ。
ではその上で、短歌における優れた組み合わせとはなにか。この問いに銀の弾丸は存在せず、言いたい内容に一番合った組み合わせを手探りで引き当てる必要がある。
とはいえ、探すヒントはある。そのひとつとして、「逆のイメージ」に注目してみたい。
『崖にて/北山あさひ』
この作品は活躍中の歌人・北山あさひの代表作。
神秘的な星に重なるのは、卑近で嫌な口内炎。すべすべで乾いた星のイメージを、ぬめぬめの口内炎で塗り替える。まったく想像していなかった質感の転換に、読者はおどろいてしまう。これが下句の「〈生きづらさ〉などふつうのテーマ」という一般論とは逆の意見に重なって、大きく説得力を持たせている。
逆の印象を取り合わせるテクニックは、覚えておくと喩えを探す時に参考になる。もちろん、逆のイメージを適当に組み合わせるだけでは優れた表現にはならない。細い糸でつながっている共通性を見つけ出そう。上記の短歌で言えば「燃ゆ」という言葉が星と口内炎をつないでいる。星が実際に燃えている様子と、燃えるような痛み。たった二文字が、全く違うと思われたモチーフをつなぐのだ。
受け手を信じてジャンプする
しかし比喩をつくりこんでいくと、ふと不安になるときがある。
「これで本当に伝わるのか?」と。
逆説的だが、届けるための比喩表現を行うためには「こうすれば理解されるだろう」というような客観性を捨てて、自分の感覚を信じる必要もある。
例えば、会社や学校のおしゃべりで<生きづらさ>を口内炎のような星に喩えても、それが伝わることはないだろう。しかし目の前にあるのは短歌という芸術の一形式。伝わらない可能性におびえ比喩表現の幅や可能性が縮んでしまうことほど残念なことはない。さらに縮こまった比喩では単なる「あるある」になるリスクもあり、複雑な感情・世界を捉えることは難しくなる。本末転倒だ。誰かに伝えるためには、表現を磨き上げ、最後は信じて手を離す必要がある。
自分の感覚を信じて手放す最初の公募として、ペア短歌部門のある「古今伝授の里短歌大会」はうってつけだ。大丈夫。作った短歌を相手は必ず読んでくれるのだから。
公募情報ライター。短歌がどうしようもなく好きです。好きな食べ物は油そばです。
出典: http://kokindenjunosato.blogspot.com/2022/10/blog-post.html
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