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自己流はもう卒業! 童話の作り方①:どんな童話なら面白いと言ってもらえるか

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子どもにとって面白い話というのは、どんな話でしょうか。実例とともに説明します。

【共感】

童話は突き詰めて言えば嘘の話。なのに、まるで自分のことのようだ、そうだそうだと共感する。そういう話なら読みたくなります。
[オススメ]
『グレッグのダメ日記』(ジェフ・キニー著・ポプラ社)
ズルで、まぬけで、ダメダメのグレッグの日常をユーモラスに描いた日記形式の童話。
でも最後にグレッグがとった行動には誰もが感動する!

【解放】

やりたくてもできないことを、主人公がしてくれる。物語の中にトリップできる。そこに心の解放がある。読みたいのはそんな話です。
[オススメ]
『おばけ桃が行く』(ロアルド・ダール著・評論社)
庭の桃の木に実がなり、みるみる巨大桃に。中には巨大な虫7匹。ジェイムズを乗せた巨大桃は断崖から海に飛び込み、はるかな冒険の旅に。

【しみじみ】

しみじみと切なくなる話はいい。切ないけど、決して嫌な気持ちはしない。むしろ浸っていたくなる。それも「面白い」のひとつ。
[オススメ]
『青空のむこう』(アレックス・シアラー著・求龍堂)
思いを残して亡くなった少年がゴーストとなって戻ってくる。誰にも思いを伝えられないが、最後に奇跡が起き、そして再び旅立っていく。

童話を書こうというのに、童話を読んでない人が!

「最後に童話を読んだのはいつだったか、子どもの頃に『イソップ物語』を読んだな、童話ってああいう話? それとも『桃太郎』のような昔話? どっちにしても子ども向けの話を書けばいいんだよね。子どもには素直で純粋でいてほしいし、いじめとか絶対やってほしくないから、そういう世の中に寄与する話を書こう……」
初心者はこんな感じで書き出すことが多いようです。実をいうと、これがすべての間違いの根源。
その主義主張は素晴らしい。しかし、それで肝心の子どもにそっぽを向かれては意味がありません。高邁な理想は置いておき、まず今の子どもが「読み
たい!」と思うものを書きたい。
今の子どもと今の童話についてほとんど何も知らないという人は、今の子どもについて考えつつ、書店などで売れ筋の童話を調べましょう。まずはインプットです!

こんな童話は予選で落ちる!

いくら文章がうまくても、構成が巧みでも、これではまず入選できないという作品があります。ここでは、そうした作品の特徴を挙げていきます。

昔の童話はそれとして、今書くのは今の子の童話

童話というと教訓話を書く人が多いのは、世界三大童話と言われるイソップ童話、グリム童話、アンデルセン童話が頭にあるからでしょう。
イソップ童話は寓話。「こんなことをしてはダメ」という教訓話です。
グリム童話は創作ではなく、ドイツの民話。「真面目に生きないと大変なことになるぞ」と脅す残酷な話も。
アンデルセン童話は、情操教育に優れた美しく切ない話が多いのが特徴。
メルヘンっぽい童話を書く人は、アンデルセンの影響が強いのかも。
現代童話も、こうした古典はベースにはしていますが、読者対象は現代の子どもですし、童話に対する考えも昔とは違います。
たとえば、前号で紹介した「JX・ENEOS童話賞」の最優秀賞「次の約束は日本海」は、干物になったスルメと高級な干物の「でべら」が瀬戸内海でデートする話。上から目線の教訓的要素はありません。
今の童話は今の子どもを楽しませるのが主眼。書くなら、今の童話を読んでみましょう。また、今の子を観察してみましょう。身近に子どもがいなくても、まちを歩けば子どもはいますし、映画やドラマの中にもいます。要は観察しようと思う気持ちと観察眼です!

メルヘン調

童話というと、お花畑に蝶がいて、可憐で純真な少女が日がな妖精と遊び……という話にしてしまいがち。それもいいですが、プロフィールを持たない人形のような主人公には誰も感情移入しません。

昔話風

昔話風の童話も大いにいいですが、それが唯一の童話の形と思わないで。時代を昔にするなら、その時代でないと成り立たないとか、主人公のキャラが生きないといった理由で設定しよう!

教訓話

教訓話を自分に置きかえてみましょう。「私はたまには飲みにいきたいと思いました。でも夫が一生懸命働いているのに罰が当たると自分を戒めました」。気持ちがふさぎますね。子どもも同じです。

子どもをなめるな!

ここでは悪い例として、「メルヘン調」「昔話風」「教訓話」の三つを挙げましたが、それがダメという意味ではなく、「子どもなんかその程度の話で大喜びだよ」という安易な発想がダメということ。
なんの工夫もない話でも子どもは喜ぶ、と思うのは、子どもを甘く見ているから。子どもだましと言いますが、その実、大人はだませても子どもはだませません。子どもを上から見るのではなく、子どもの目線で!

ダメな設定でも、書きようによっては見違える!

どうしてそんな設定にしてしまったのかな? と疑問に思ってしまうケースがあります。しかし、それも書きようです。

頑張った主人公が最後に死んでいいのかという話

主人公が最後に劇的な死を遂げる。犠牲的精神は美しいが、なんでもかんでも最後に主人公を殺して終わりではつらい。アンハッピーエンドを受け入れられるストーリーに!

[オススメ]

『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ著・あかね書房)
ちいちゃん一家は空襲で焼け出され、ちいちゃんはひとりぼっち。空腹に耐えながら防空壕の中で死んでいく。

素直で疑いを知らないいい子ちゃんが主人公

主人公がいい子でもいいですが、それで話を面白くさせ、読者を引き込むのは難しい。主人公がいい子なら、『うた時計』のように主人公以外の登場人物を普通でない人に!

[オススメ]

『うた時計』(新美南吉著・岩崎書店)
少年が道で会った男性はオルゴールを隠し持っている。彼は若くして家を出て、極道に身をやつした薬屋の息子。

現実には起こり得ない荒唐無稽な話

あり得ない話こそ説得力が不可欠。『注文の多い料理店』の人間を食べる料理店という設定は非現実的でも、遊びで殺生をする者への戒めという結末には必然性があって納得できる。

[オススメ]
『注文の多い料理店』(宮沢賢治著・岩波書店)
レジャーとして猟をした男性二人が西洋料理店に寄ると、身体に油を塗れなどといろいろ注文をつけられる。

発想の段階では幅広く構え、不都合があれば設定を見直す

童話の設定やアイデアを考えるときは、「もしも○○が○○だったら、どうだろう」と考えます。
『ちいちゃんのかげおくり』は作者の空襲体験がベースにありますが、着想のきっかけは「私も死んでいたかも」と思ったことだったでしょう。
『うた時計』も純真な子と道で会ったというだけのことかもしれませんし、『注文の多い料理店』もハンティングなんて罰当たりだと思ったのがきっかけだったかもしれません。
きっかけは身近なところにごろごろあるものですが、「あれはだめ」「あれは童話向きでない」と決めつけてしまうと着想が得られません。最初は広く構え、何か不都合があれば設定を見直すという道もあります。
たとえば、現代では被害者が直接仇討ちしたら犯罪ですから、その場合は時代劇に。大人の男性が少女を誘拐したら生々しいですが、動物にしてしまえば印象が和らぎます。現代の子では成り立たない話なら時代背景を昭和にしてしまえばいい。やりよう、書きようはいくらでもあります。
いろいろな童話を読み、なぜこの設定にしたのか、この舞台背景でなかったらどうだったかと考えてみましょう。そこにヒントがあるかもしれません。

 

※本記事は「公募ガイド2017年3月号」の記事を再掲載したものです。