刺さる文章①:「刺さる」の本質を探る1
胸を打つ、心をわしづかみにされる。
人の心に面刺さる々そんな文章を書きたい!
そのために面剌さる々の実態を追求していきましょう。
「剌さる」ってどういう意味?
「共感」と「刺さる」はどう違うのか?
最近は「刺さる」という言い方をします。
「今、十代に刺さっている小説」
「主婦に刺さるドラマ」
といった使い方をします。
つまり、「人気がある」「ハマっている」「共感を得ている」という意味に近いですが、面刺さる々と言った場合、単に人気がある、ブームということだけではなく、
「激しく共感を得ている」
「打ちのめされるほど心の奥の奥まで刺さっている」
「何かせっぱ詰まったような衝動がある」
というニュアンスを感じます。
もちろん、明確に区別することはできませんが、「人気がある」より「刺さる」のほうが、より弱点を突かれた印象があります。ある属性をもった人たちが、心の奥底を刺激されて激しく反応している感じです。ここではそうした反応を面刺さるクと定義し、その本質を探っていきます。
「剌さる」ためには、何が必要となるか?
「刺さる」ためには、「刺さる」と言うぐらいですから、ある程度の鋭さが必要になるはずです。つまり、「刺さる」は文章全体から感じるものではなく、テーマが凝縮された一行から受けるもの。
それが心の奥まで「ぐさっ」と届き、心をわしづかみにされて、一瞬、「うっ」となる。
それが「刺さる」という状態であると思われます。
そうなるためには、衝撃が必要です。あたりまえではない、普通でもない、今まで考えもしなかったようなことで、でも、よくよく考えるとまったくそのとおりで、
「これは今まで私が心の奥底に隠していた部分だ」
と思って、強く惹かれる。そしてそれだけではなく、その内容を知ることで、何か救われたような気になる。
これを示したのが右の図です。
大きいくくりでは「感動」のひとつで、「共感」と「衝撃」を併せ持ち、どこか「救い」がある。
それを「刺さる」とします。
※本記事は「公募ガイド2017年4月号」の記事を再掲載したものです。