自治体文学賞を狙う1:自治体文学賞 誕生と現在
自治体文学賞の起源
自治体文学賞のさきがけとなったのは、1988年(昭和63年)から募集が開始され、翌1989年(平成元年)に応募が締め切られた「坊ちゃん文学賞」と「自由都市文学賞」。いずれも市制100周年を記念した文化事業だった。
当時は市制100 周年と釘打った公募が多かったが、それには理由がある。
平成の大合併という言葉は記憶に新しいが、その前に昭和の大合併、明治の大合併というものがあった。
1889年(明治22年)、市制町村制が施行され、市町村数が71、314から15、859に減少した。このときに39の市が誕生したが、明治22年から100年後にあたる平成元年、それらの自治体が一斉に市制100周年を迎え、多くの自治体が記念事業を行ったというわけである。松山市と堺市の記念事業もその中のひとつだった。
この成功に触発され、その後、自治体文学賞の創設ラッシュを迎える。当時は好景気(バブル景気)のうえ、1988年から1989年にかけてふるさと創生資金として各市区町村に1億円が交付されたことも追い風となって、様々な公募イベントが生まれた。
出版社と組んで欠点をカバー
自治体文学賞の特徴は、1990年代当時で言えば高額賞金をうたっていることだった。これは自治体文学賞に限らない。新設された文学賞であれば歴史も権威もなく出身作家もいないから、高額賞金を掲げてPR効果を狙うのは当然のことだ。
一方、応募者から見て気になるのは、賞金は励みなるが、受賞後の道が見えないことだった。
新人作家の発掘と育成を目的とする新人文学賞と違い、懸賞小説の場合は受賞後のフォローまではないのが普通だが、それまでの懸賞小説は、新田次郎を生んだ「サンデー毎日創刊30年記念100 万円懸賞小説」や、三浦綾子の『氷点』を世に出した朝日新聞社の「1000 万円懸賞小説」のように、プロを生みだす力があった。
しかし、自治体は出版社でも新聞社でもないから、原石を発掘する能力という面においても、また受賞作品を商業出版して話題を作るという面においても、当初の自治体文学賞にはそこまでの力はなかった。
それゆえ最近の自治体文学賞は大手出版社と組んで開催するケースが多い。自治体としても選考と受賞作品の刊行という面で大きな力となってもらえ、出版社側からしても有為な新人と作品を見出す機会となるわけだから、両者両得である。特に太宰治賞のように賞の運営は出版社、予算面は自治体と分担するスタイルは、自治体文学賞の新しいかたちとして注目していいだろう。
最近の自治体文学賞
自治体文学賞に対する一般的な応募者のイメージを代弁すると、「異端の小説は好まれないのではないか」ということだと思う。実際はそうではないのかもしれないが、ひたすら気色悪い小説とか、性の問題に真っ向から挑んだ官能小説といったものにはお目にかかったことがないから、応募する側のせいなのか、それとも選ぶ側のせいなのかは分からないが、なんらかのバイアスがかかっていることは確かだろう。
ただ、ジャンル的には広がりを見せており、いい意味で自治体らしくない賞もある。「北区内田康夫ミステリー文学賞」や「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」のように、ジャンルを打ち出してエンターテインメント小説を募集している賞がそうだ。今のところ二賞だけだが、他の賞との差別化ということもあり、今後はこのような賞がもっと出てくるだろう。〝おらが町が生んだ小説〞を読む市民としても、どうせなら楽しく読めるほうがいい。
賞名に地元ゆかりの作家名を入れた賞が多いのは、自治体文学賞創設ラッシュのときから続いている傾向だ。
その中には誰もが知っている文豪の名を冠した賞もあるが、そこまでは著名ではない作家であっても、それを顕彰することは地元的には意味がある。
たとえば、「長塚節文学賞」や「木山捷平短編小説賞」。
長塚節の『土』は、明治43年に朝日新聞に連載され、夏目漱石に絶賛された農民文学である。木山捷平は、昭和8年に太宰治らと『海豹』を創刊した同人で、短編の名手でもある。
二人とも知っている人は知っている有名な作家だが、活字離れが進んでいる昨今では地元の人ですら読んでいない可能性もある。その意味では、文学賞を創設することで、わが町にも偉大な先人がいたと郷土意識を喚起することは大いに意義がある。
応募するメリット
締切がなければ構想ばかりでなかなか書き出せないもの。だから、アマチュアの人に創作の場を設けるというのはそれだけで意義がある。
また、受賞すればなんらかのかたちで活字になるだろうから、アマチュアにとってはそれも大きな特典となる。
さらに言えば、受賞することで大きな自信となるというメリットもある。腕試しと言っては語弊があるが、自分が表現しようとしたことやその手法が、第三者的にはどうなのかを試す機会としては、自治体文学賞はいい。
「ちよだ文学賞」の第1回受賞者、紫野貴李さんは、その3年後、第22回「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞したが、「ちよだ文学賞」について「自分の路線が間違っていなかったと自信になった」とコメントしている(2010年10月27日の読売新聞紙面より)。
自治体文学賞を受賞し、その後、プロになった人は、例外なくそこで自信をつけている。これを弾みに別の賞に応募するのもいいし、また、大手出版社と組んでいる自治体文学賞の場合は受賞をきっかけに編集者とつながりができることもあり、その際はプロとして持ち込みをしてもいい。これも大きなメリットだ。
自治体文学賞と自由
自治体主催ということを気にしすぎると、作品はどうしても小粒になり、受賞作を敬遠する人もいない代わりに、絶賛するもいないような無難なものになりがちになる。
これは応募者にも言えるが、審査をする側にも言える。
20年前の自治体文学賞創設ラッシュのとき、予選を担当した方々が審査に慣れていなかったのか、それとも過剰に自治体主催であることを意識してしまったのか、おとなしい作品ばかりが最終選考に残ってしまったことがあったそうだ。
ただ、そうは言っても、実際に審査に加わってみたとしたら、「自治体主催の賞では、やたらに人が殺されたり、暴力だのセックスだのってまずいんじゃないか。読んだ人が眉をしかめそう」と思ってしまうのは人情だろう。
しかし、純文学であれエンターテインメントであれ、人間を描こうとしたら避けて通れない表現もあり、制約ばかりでは文学は生まれない。
税金を使って主催する以上、仕方ないという意見もあるが、ならばいっそう自治体文学賞の歴史を塗り替えるエポックメイキングな作品の誕生を期待する。
※本記事は「公募ガイド2011年11月号」の記事を再掲載したものです。