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セリフ完全マスター1:セリフの形式

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地の文との連動

ここではセリフと地の文が連動した書き方を挙げます。

セリフのあとに地の文

セリフを書いて、改行せずに地の文で説明を入れるパターンです。

「いくら負けたん」
「ほんの二千円」ほんとは一万二千円だ。

(黒川博行『疫病神』)

二行目は改行し、

「ほんの二千円」
ほんとは一万二千円だ。

 

とすることもできますが、その場合は改行したこともあって一拍おいた感じ。
一方、改行しなかった場合は地の文とセリフが連動し、何についての説明かすぐに分かりますし、文章の流れも分断されません。

地の文のあとにセリフ

単純な説明文としての地の文はセリフの前にあっても後ろにあっても、そんなに意味は変わりません。たとえば、

「お話をうかがいましょうか」二宮は切りだした。

(黒川博行『疫病神』)

この場合は、
《二宮は切りだした。「お話をうかがいましょうか」》
《「お話をうかがいましょうか」二宮は切りだした。》
どちらも書けます。

「――お帰り」脚を揃えてスカートの裾を直した。「きょうは、どこ」

(黒川博行『疫病神』)

この場合は、「お帰り」と言ってからスカートの裾を直し、そのあと、「きょうは、どこ」と言ったという時間的な差が表現されていますから、
《「――お帰り。きょうは、どこ」脚を揃えてスカートの裾を直した。》
としてしまうと、「お帰り。きょうは、どこ」と言ってからスカートの裾を直したという意味になります。

セリフの主はだれか

セリフの主を示すもっとも単純な方法は、《○○は言った。》と書くことです。
しかし、カギカッコで括られていればセリフであることは明白ですし、単に《と言った。》だけで一行使うのはもったいないという気はします。
しかし、《と言った。》を削るだけではセリフの主が分からなくなりかねません。
そこで《と言った。》を省略し、なおかつ、セリフの主を分からせます。

しぐさや表情を書く

《と言った。》の代わりに人物のしぐさや表情、行動を書きます。

「ほな、わしの車で行くか」
桑原は事務所を出た。BMW740iのドアを開けて、「運転してくれ」キーホルダーを放ってよこす。

(黒川博行『疫病神』)

言いまわしでセリフの主を示す

上司と部下、先輩と後輩、男女など相手によって言い方が変わりますし、キャラクターによっては独特の話し方をさせられる場合もあり、そのことで「誰が言ったか」が示せます。

「まだある。……インスタントコーヒーを二杯飲んだとか、新聞を読んだとか、受話器に脱臭剤がついているとか、読者にとっては、どうでもいいことです」
「そやけどセンセ、こないだは、リアリティーが大事やというたやないですか」
「緑色の脱臭剤にリアリティーはないんです」
「わしら、刑事部屋ではインスタントコーヒーしか飲まんのでっせ」

(黒川博行「尾けた女」)

これは山路と麩所の会話ですが、山路だけが関西弁を話していることもあり、《と言った。》がなくてもどちらが言ったものかすぐに分かります。

改行をしないことで主語を示す

《○○は》と書いて、そのあと、改行をせずにセリフを書くと、その○○のセリフだと分かります。

「――鳥飼の大沢土木を調べた」
桑原はカーステレオのボリュームを落とした。「ばりばりの極道や」

(黒川博行『疫病神』)

《桑原はカーステレオのボリュームを落とした。「ばりばりの極道や」》
は改行されていませんから、《桑原は「ばりばりの極道や」(と言った)》という意味になり、セリフの主(主語)が分かります。

分かりきった《と言った。》を省く

文章としては述語がない形になり、下手をすると尻切れの印象になりますが、上手にやるとすっきり収まります。

「初めまして。二宮ともうします」
二宮は名刺を差し出し、「小畠総業とコンサルタント契約をして、富南市に造成する最終処分場の渉外担当をしております」

(黒川博行『疫病神』)

《二宮は名刺を差し出し、》という文節は、これを受ける述語がありませんが、《と言った。》とか《と名乗った。》は書くまでもないことなので省略したわけです。

どちらか一方しか言わないセリフ

たとえば、小学校の授業風景であれば、
「この問題、解ける子?」
であれば、セリフの主は先生だろうと推測できます。このようにどちらか一方しか言わないようなセリフにすることで、《○○は》は省略できます。これはかなりの高等テクニックと言えます。

「ホーチミンにお住まいなんですか? それとも香港?」と鷹野は尋ねた。
鷹野を真似して氷像に触れていた女が、
「あなたは?」と訊き返してくる。
「東京です。ただアジア各地を飛び回ってますけど」
「そう。じゃ、私も似たようなものよ」
鷹野はじっと女を見つめた。
「何?」
「いえ、日本の方だったんですね?」

(吉田修一『太陽は動かない』)

「そう。じゃ、私も似たようなものよ」と、そのすぐあとの「何?」は両方とも女のセリフですが、じっと女を見つめていた鷹野のほうが「何?」と言うわけはないので、これは女のセリフだとすぐに分かります。しかし、これが、
「そう。じゃ、私も似たようなものよ」
鷹野はじっと女を見つめた。
「日本の方だったんですね?」
であれば、セリフの順番からいっても鷹野のセリフということになります。

最初だけセリフの主を示す

二人の人物が話している場合、最初にセリフの主を示し、その後、二人が交互に話している限りは、逐一誰が言ったのかを示す必要はありません。

桑原はポケットからキーを出して、ドアロックを解除した。
「運転せい」
「桑原さん……」
「なんじゃい」
「おれ、助かりました」
「誰がおまえみたいなクソを助けるかい」
「すんません……」

(黒川博行『疫病神』)

三人以上の会話

三人以上で会話をする場合、誰が誰に言ったのか、そのつど書かないといけませんが、そのような場合は基本的には二人の会話にし、三人目が話に割り込んできたときにだけ《○○は言った》というような説明を加えます。

「けど、わしから不道徳をとったら、なにも残りまへんわ」
「なるほど。二蝶会の桑原さんは腰が据わっとる」
「わし、鈍いんかな。なにいわれても応えまへんねん」

 

ここまでは水谷と桑原が交互にしゃべっています。このあと、宮本が話に口を挟みます。

「おい、ええ加減にさらせよ」
ふいに、宮本がいった。「誰に向かってへらへらしとんのや」
「なんじゃい、おまえ」
桑原の表情が一変した。「チンピラはすっこんどれ」
「やるんか、こら」宮本が腰を浮かす。
なで肩で手足が長く、鼻がひしゃげている。なにか武道をやっているらしい。

 

ここでは宮本と桑原の会話になっています。水谷は静観していますが、また話に加わります。

「マサ、座らんかい」鋭く、水谷が制した。「喧嘩しにきたんやないぞ」
「…………」宮本はふてくされたように腰を下ろした。
「な、桑原さん、あんたもいっぱしの極道なら、えげつない真似するもんやないで」

(黒川博行『疫病神』)

三人以上の人物が一度にしゃべってしまったら誰が誰に話しているのかわけが分からなくなりますが、三人目、四人目の人物には敢えて引っ込んでいてもらい、一対一の会話にしてしまえば書きやすいし、分かりやすいです。

 

※本記事は「公募ガイド2012年7月号」の記事を再掲載したものです。