書くために学ぶ文学史3:近代文学の潮流 明治編(鈴木信一先生インタビュー)
言文一致の実験
――❶言文一致運動はなぜ始まった?
樋口一葉の『たけくらべ』や『にごりえ』を読むと、会話の部分は今とそう変わらないのですが、地の文に関してはまさに平安古文のようです。それくらい言文が違っているわけですが、最初にそれに気づいたのが坪内逍遥や二葉亭といった文人だったわけです。二葉亭などはロシア語に堪能で、ツルゲーネフなどを翻訳しますが、そのときに翻訳調のムードを雅文でつづることの違和感をまっ先に感じたのかもしれないですね。文語と口語はかけ離れてしまっている。これを一緒にしよう。少なくともヨーロッパはそうだと熱心にやったんだと思うんです。
――言文一運動は浸透した?
明治20年、二葉亭四迷は❷言文一致で『浮雲』を書きましたが、結局、中途半端なもので終わったし、明治20年代は実は文学史的には「❸紅露の時代」です。
この二人が目指したのは雅文なんですね。
写実主義については同意したと思うんですけど、それを言文一致でというのではなく雅文でやった。古き文語の文体に慣れ親しんでいた文人たちはそっちに目が向いてしまったのだと思います。当時、紅葉も露伴も二十代、せいぜい三十代ですが、新しいものに敏感であるはずの若手でも雅文体から抜け出られなかったし、何よりも読者の意識がついていけなかったのではないですかね。
――言文一致はいつ完成した?
明治43年前後に完全な言文一致が達成されます。それが❹武者小路実篤です。
各派が同時進行的に展開
――時間を少し巻き戻しますが、明治30年代はどんな時代?
明治20年は写実主義が浸透していった時代、そして明治30年代は浪漫主義の時代で、島崎藤村や北村透谷によって、特に詩の世界で浪漫主義が流行します。
――浪漫主義のほうがあと?
ヨーロッパだと逆ですね。浪漫主義というのは理性的なものより感性的なもの、個人の自由や解放を大事にしようという姿勢ですよね。で、恋や夢や苦悩を描くのが浪漫主義ですが、ルソーはそれを晩年、『❺告白』でやってみせたわけです。
そのあと、浪漫主義からフローベールの『ボヴァリー夫人』の写実主義、ゾラの自然主義、ランボーの象徴主義、オスカー・ワイルドの❻耽美主義と続きますが、日本とヨーロッパでは写実主義と浪漫主義の順番が逆です。
――それには何か理由が?
日本にはこれらが同時に入ってきた。ゾラも入ってくればフローベールも入ってくる、ワイルドも入ってくるという状態ですよね。だから順番が反対になっても不思議ではありません。
――明治40年代はいよいよ❼自然主義の時代になります。
そのさきがけが田山花袋『蒲団』ですね。でも、明治40年代は自然主義も隆盛するのですが、同時に反自然主義も大いに元気なんです。これを「日本の自然主義と反自然主義の同時性」と言います。
――反自然主義とは?
耽美派と白樺派です。自然主義は人間の負の一面を暴く、さらすというのが強いので、それをやりすぎると、人間って価値のないもの、つまらないものだという後ろ向きのものしか抽出できず、これに不満を持つ人は当然でてきます。
白樺派というのは、自然主義と同じように赤裸々に書くんですけれども、そこに人道主義というか、人間はかくも美しいものだった、かくも善意に満ちたものだったという希望のようなものを盛り込もうという一派ですね。
明治40年に田山花袋によって『蒲団』が書かれた翌年には、白樺派の代表である志賀直哉がデビューしていますし、明治43年には耽美派の谷崎潤一郎が『刺青』でデビューしています。本当に同時進行的に展開しているのです。
自然主義と反自然主義
――自然主義の自然とは何ですか。
これが誤解されがちなんですが、自然科学の自然です。自然主義はゾラが提唱したのですが、当時、自然科学が力を持ち始めて、科学的な見方というか実証主義的なというか、人間をそのような観点で科学的に解明してみせようというのが自然主義の元の考え方です。
――科学的とは?
環境だとか、ゾラは遺伝にも目をつけたというのですが、人間はこういう家系に生まれ、こういう環境に置かれたとき、どのような行動をとるのか、それを精緻に写しとろう、科学的に人間をとらえようという考え方ですね。だから、そこに虚構を交えることはしません。虚構を交えたら本来の生々しい生物としての人間をとらえられなくなってしまいます。
ヨーロッパでは普通、自然主義作家というと社会を大きく描きます。なぜかというと、人間がある環境に置かれたとき、どういう行動をとるかということを写しとろうとすれば、社会の総体を描かざるを得ないからです。
――日本の自然主義とは違いますね。
田山花袋は、宇宙も自然だけど、人間の体だって自然だぐらいのことを言いだしたんです。人間のはらわたを見せることも一つの科学だ、自然なんだということを言いました。それから『早稲田文学』を引っ張っていった評論家・島村抱月の影響。島村抱月という人はルソーの『告白』を自然主義のさきがけと考えていたらしくて、脚色せずに、ありのままに自分の実情を告白せよと煽るわけですね。そういうわけで、日本の自然主義は、非常にこぢんまりした、個人の赤裸々な日常を描く小説になってしまったんです。
――曲解があった?
あったと言われています。二葉亭の『小説総論』は坪内逍遥の『小説神髄』の精神を受け継いだ論評ですが、そこに模写という言葉が出てきます。現実を模写せよ、それが近代小説だと言うわけですが、この模写は決して写生ではなかったんです。嘘を本当らしく描けということだったんです。それを「本当のこと」ととらえてしまったようです。
――日本の自然主義はどのくらい続くのですか。
教科書的には短い範囲、明治40年からせいぜい5年ぐらいと言われています。
活躍したのは島崎藤村、田山花袋、岩野泡鳴、徳田秋声ぐらいで、ヨーロッパの流行をいち早く導入したのだけれど、どうも歓迎されていなかったようです。森鷗外も嫌っていました。
――鷗外は何派?
教科書には漱石とともに余裕派と書いてありますが、私は鷗外は浪漫主義であり耽美派であると思います。自然主義というのは、なにしろ日常の出来事をありのままにそのまま書きます。それに反撥する反自然主義というものがあるとするなら、僕は幻想的なもの、架空のものといった小説本来の虚構性を取り戻すものだと思っています。
――それが森鷗外?
鷗外は明治23年に『舞姫』でデビューします。苦悩とか恋とかを書くのが浪漫主義ですが、波瀾万丈の物語である『舞姫』はまさにそういう作品でした。自然主義は波瀾万丈を認めません。奇想天外とか、わくわくどきどきとかを目指せばそれはメッキ文学だというわけです。その自然主義が全盛を迎える明治42年に今度は『ヰタ・セクスアリス』を書くわけですが、鷗外は自然主義に対抗するつもりでこれを書いたと言われています。
主人公の誕生と機能
近代以前の物語や小説は出来事に比重があり、中心的な登場人物はいますが、近代小説のような主人公はいません。
一方、近代的な自我に目覚めた文人たちが始めた近代小説では人間に比重が置かれ、自我の確立や自己探求といったことがテーマとして掲げられます。
その際、近代小説では主人公が設置されましたが、主人公はなぜ必要だったのでしょうか。
坪内逍遥は『小説神髄』の中でこう書主人公の誕生と機能いています。
主人公欠けたらむには、彼の小説にて必要なる脈絡通徹といふ事をばほとほと行ふを得ざればなり。
(坪内逍遥『小説神髄』「主人公の設置」)
主人公がいないと一貫した筋を通すことができないと言っています。なぜでしょうか。
現実世界において、ある出来事とある出来事の間の因果関係には答えが複数あり得る。それをたった一つの因果関係しかないように物語としてまとめ上げるのが、主人公の内面なのである(中略)。
つまり、主人公の形式上の資格とは、他の登場人物を観察し、他の登場人物について考えることだと言っていい。これを構造的に行うためには、小説は主人公の視点から書かなければならないことになる。これが、主人公を書くための技術だった。(石原千秋『近代という教養』)
たとえば、現代の東京とそこに生きる人々の世態風俗をありのままに写しとるとする。あるいは、自分の生い立ちを告白体で赤裸々に綴るとする。それを神の視点(全知視点)をとり、様々な人の立場から語るとする。
その場合、書かれたものは報告書としては十全でも、いかにもとりとめのない話になりがちです。誰の立場でどんなことを読みとったらいいのかということが読み手にわかりにくいからです。
それゆえ近代小説では、主人公を設置し、もっぱら主人公視点で主人公の心の中を書いていくようになったのです。
脚注
❶ 幕末に西洋の学問を学んだ人の中には、言文の不一致こそが日本が後れをとった原因と考えた人がいました。前島密もそうで、前島は慶応2年、「漢字御廃止之議」を将軍徳川慶喜に建白します。漢字をなくせば言文が一致するというアイデアだったようで、これが言文一致運動の始まりと言われています。
❷ 二葉亭は落語の速記本を参考にしたと言われています。《何か一つ書いて見たいとは思つたが、元来の文章下手で皆目方角が分らぬ。そこで、坪内先生の許へ行つて、何うしたらよからうかと話して見ると、君は圓朝の落語を知つてゐよう、あの圓朝の落語通りに書いて見たら何うかといふ。》(二葉亭四迷「余が言文一致の由来」)
❸ 紅露の紅は尾崎紅葉。坪内逍遙『小説神髄』の「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」という写実主義的な文学傾向への反発から、娯楽性、戯作的傾向を求めて『金色夜叉』などを書く。のちの大衆小説の原型となる人情小説・風俗小説の嚆矢。紅露の露は幸田露伴。擬古典主義の代表的作家で、小説のほか随筆や史伝も多い。
❹ 白樺派の作家。代表作は『友情』『愛と死』『馬鹿一』『真理先生』など。
❺ 『懺悔録』と訳されたものもある。
❻ ヨーロッパの場合は耽美主義、日本の場合は耽美派と言い、代表的な作家は永井荷風、谷崎潤一郎。
❼ 自然主義はイコール告白体。
鈴木信一(すずき・しんいち)
1962年生まれ。公立高校の現役国語教師。著書に『800字を書く力』、『文才がなくても書ける小説講座』、『受験生のための現代文読解講座』などがある。
※本記事は「公募ガイド2013年4月号」の記事を再掲載したものです。