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8.1更新 VOL.30 潮賞、コバルト・ノベル大賞、サンリオ・ロマンス賞 文芸公募百年史

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文芸公募百年史

VOL.30 潮賞、コバルト・ノベル大賞、サンリオ・ロマンス賞 


今回は、昭和57年前後に創設された、潮賞、コバルト・ノベル大賞、サンリオ・ロマンス賞を紹介する。
これらの賞からは、唯川恵、山本文緒、角田光代、桐野夏生の4直木賞作家が輩出している。

サッチーこと、野村克也夫人が特別賞!

潮出版社は昭和35年(1960年)創業の出版社で、昭和55年(1980年)に創業20周年を迎え、これを記念して潮賞を創設している(締切・発表は2年後の昭和57年)。
潮出版社は創価学会系の出版社だが、学会のプロパガンダ色は聖教新聞ほどではなく、文芸誌「潮」が母体となった潮賞も学会色はほとんどない。

部門は小説部門とノンフィクション部門があり、規定枚数は50枚~300枚、選考委員は小説部門が大庭みな子、井上光晴、小島信夫、ノンフィクション部門が筑紫哲也、本田靖春、柳田邦男と斯界の大御所を揃えた。賞金は100万円で、平成13年(2001年)の第20回まで継続されている。
華々しくデビューするような受賞者はあまりいなかった印象だが、調べてみると、第1回佳作に村田喜代子(入選作は「満ち溢れたる日日」)が入っていて驚いた。いきなりのビッグネームだ。

しかし、さすがにもう著名人はいないよねと思いながら受賞データを洗っていたら、何やら気になる名前があった。それがこれ。

昭和60年(1985年)、第4回ノンフィクション部門 特別賞
野村沙知代「きのう雨降り 今日は曇り あした晴れるか」


サッチーこと野村沙知代は説明するまでもない。二度の三冠王に輝いた生涯一捕手、野村克也夫人だ。南海ホークス(現・ソフトバンクホークス)に在籍していた野村克也は、昭和45年、前妻と別居中にサッチーと出会い、離婚が成立しないうちから同棲を始め、子ども(野村克則)まで作ってしまう。それで南海球団から「野球をとるか、女をとるか」と迫られ、ノムさんはその場で「女をとります」と答えた。ヤバいね。

応募のきっかけは、「史上最高の投手は誰か」で第3回ノンフィクション部門を受賞する佐山和夫と野村克也の対談だった。この場に同席していたサッチーは潮賞のことを聞き、「それなら私も」と翌年の第4回のときに応募した。若い頃から書くことは好きだったそうだから意外な才能があったということかもしれないが、特別賞というのがちょっと気になる。

野村克也もサッチーも当時から有名人で、しかも、内容は野村克也をいかにサポートしてきたかというエッセイだから作者はバレバレ。これはタレント本として売れそうだ、だから特別賞にしたという匂いがぷんぷんし、作品以外の価値で入選したと思えてざわざわするよね。
しかしまあ、特別賞というのはそういう意味だよ、受賞とは言っていないのだから見逃してよ、と言われれば納得できないこともないが。

唯川恵、山本文緒、角田光代、直木賞作家3名の出身公募

昭和57年(1982年)、集英社は青春小説誌「COBALT(コバルト)」を創刊。才能ある若い作家を発掘するためだけでなく、小説を書く楽しみを知ってもらうために、コバルト・ノベル大賞を創設。赤川次郎、阿木燿子、阿刀田高、眉村卓の4氏を選考委員を迎え、規定枚数は100枚前後、賞金100万円で、年2回募集した。

コバルト・ノベル大賞は第26回(年2回募集なので13年間)開催され、第27回からは年1回のノベル大賞となるが、特に昭和の頃にのちの著名人が輩出している。主だったところを挙げてみよう。
(なお、平成8年=1996年、ファンタジーロマン大賞をロマン大賞と改称し、ロマン大賞、ノベル大賞の二本立てとなっている)

昭和59年上半期 第3回 唯川恵「海色の午後」
昭和59年下半期 第4回 藤本瞳(藤本ひとみ)「眼差まなざし
昭和62年下半期 第10回(佳作) 山本文緒「プレミアム・プールの日々」
昭和63年上半期 第11回 彩河杏(角田光代)「お子様ランチ・ロックソース」


唯川恵は、2001年下半期、『肩越しの恋人』で第126回直木賞を受賞。
山本文緒は2000年下半期、『プラナリア』で第124回直木賞を受賞。
角田光代は大学時代にジュニア小説の作家としてデビューしたが、平成2年(1990年)に第9回海燕新人文学賞を受賞して一般文芸でデビューし、2004年下半期、『対岸の彼女』で第132直木賞を受賞している。
直木賞作家が三人も!

この三人はジュニア小説でデビューし、その後、一般文芸に転身したわけだが、藤本ひとみは少女小説、ファンタジー、ライトノベル(王領寺静名義)と、文芸でない領域でずっと活躍してきた。コバルト四天王というと、氷室冴子、田中雅美、久美沙織、正本ノンと言われているが(新井素子も入れたいが)、藤本ひとみは四天王に匹敵する人気があったと言っていいだろう。

山本文緒、公募ガイドを見て賞金目当てに応募

コバルト・ノベル大賞の受賞者の中で、公募ガイドと特に縁が深いのが山本文緒さんだ。コバルト・ノベル大賞には公募ガイドを見て応募したそうで、応募動機は引っ越し費用が欲しかったから。しかし、修行期間もなく賞金目当てで応募し、幸か不幸か佳作に入選してしまったため、あとが大変だった。編集者に小説の書き方を教わりながら執筆し、一時期は人気作家となるものの、次第に人気が陰り、一般文芸の作家として再デビューしようとしたときも公募ガイドを買ったそうだ。しかし、運よく一般文芸の編集者から声がかかり、『恋愛中毒』などの人気恋愛小説を連発して直木賞受賞に至る!

その後、2013年に公募ガイドに出てもらったとき、編集者とのやりとりについて、「預けた原稿の返事がないからボツなのかと思ったら、次に連絡が来たときはもうゲラ(校正刷り)になっていた」と言っていた。「デビュー当時は原稿が真っ赤になるくらい編集者に直されたのに、今はだめ出しの一つもなくて寂しい」とこぼしていたが、駆け出しの頃と実績を積んだあととでは待遇も違ってくる。ベテラン作家の宿命だろう。

コバルト・ノベル大賞に話を戻すと、「コバルト」の前身は少女向け雑誌「小説ジュニア」で、「小説ジュニア」が昭和57年に休刊となり、その後継として「コバルト」が創刊されたわけだが、「小説ジュニア」時代にも「小説ジュニア」青春小説新人賞という文学賞を開催している(昭和43年~昭和57年)。「小説ジュニア」はリニューアルされて「コバルト」になったが、名前こそ変わったものの、文学賞は新雑誌に引き継がれ、さらに現在はノベル大賞として継続されている。

ノベル大賞は野球で言えばメジャーリーグで、その傘下にマイナーリーグ的な短編小説新人賞を置いているが、実はこの構図は「コバルト」時代からあった。コバルト・ノベル大賞の下には、年4回募集のコバルト短編小説新人賞があり、もっと言うと、前身の「小説ジュニア」時代も「小説ジュニア」青春小説新人賞の下に、年4回募集の「小説ジュニア」短編小説新人賞を持っていた。プロ志向の人はメジャータイトルに挑戦し、それはハードルが高いという向きは短編でしっかり練習しましょうという位置づけだった。

ちなみに「小説ジュニア」青春小説新人賞からは、昭和52年(1977年)の第10回のときに氷室冴子が「さようならアルルカン」で佳作入選し、「小説ジュニア」短編小説新人賞のほうからは、昭和57年(1982年)、第3回のときに岩井志麻子(竹内志麻子名義)が「幻想ポイザニング―夢中毒」で佳作入選している。高校在学中だったが、これで執筆意欲に火がついたのか、その後、平成11年(1999年)、「ぼっけえ、きょうてえ」(岡山弁で「すごく怖い」)で第6回日本ホラー小説大賞を受賞している。メジャーな賞だけでなく、そこまでの踏み台となるマイナーな賞も重要かつ存在意義がある。

賞は消滅したが、入選した桐野夏生がのちに大躍進

昭和56年(1981年)、サンリオはサンリオ・ロマンス賞を創設する。これは「シルエット・ロマンス」という恋愛小説の新書レーベル創刊を記念したもの。同様のレーベルには「ハーレクイン・ロマンス」があったが、サンリオはアメリカのシルエット社から版権を買い取り、これに対抗するレーベルを作った。

サンリオ・ロマンス賞は、恋愛小説ともちょっと違うこの新しいジャンルを定着させるとともに、新人の発掘、育成を目的に始まり、規定枚数は300枚くらい。賞金は入選50万円、準入選30万円、佳作5万円と奮発した。発表は月刊ロマンスレディという雑誌で行い、選考委員は立てず、編集部が選考した。

サンリオ・ロマンス賞は昭和61年(1986年)に第4回が行われたという記録があるが、その後は開催された記録がなく、レーベル自体もフェイドアウトしていく(昭和60年以降は版権もハーレクインに移行)。やはり二番煎じではだめだったのか、残念ながら失敗した文学賞の一つに数えられる。
しかし、短命ではあったが、昭和59年(1984年)の第2回のときに、桐野夏生が「愛のゆくえ」で佳作に入っている。

桐野夏生と言えば、平成5年(1993年)に「顔に降りかかる雨」で第39回江戸川乱歩賞を受賞してデビューし、平成11年(1999年)、『柔らかな頬』で第121回直木賞を受賞した作家という印象が強いが、その前にシナリオを学び、ジュニア小説や漫画原作を書いていた歴史がある。紫綬褒章まで受賞した今となっては思い出したくない歴史かもしれないが。

ちなみにペンネームは、サンリオ・ロマンス賞に応募したときは桐野夏生名義だったが、男性と間違われると桐野夏子にさせられた。さらに『恋したら危機クライシス!』からは森茉莉の小説『甘い蜜の部屋』の主人公からとった野原野枝実としたが、一般文芸の江戸川乱歩賞に応募するにあたり桐野夏生に戻している。

余談ながら、「シルエット・ロマンス」というと作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、歌:大橋純子の大ヒット曲を思い出すが、実はこの曲はサンリオの新書レーベル「シルエット・ロマンス」のイメージソングだった。イメージソングだけ売れて、本体のレーベルが鳴かず飛ばずだなんて。ああ、あなたに恋模様、染められても読書熱までは奪えなかったわけだ。
虎は死して皮を残し人は死して名を残す。レーベルは消滅してしまったが、名曲を残してくれた。




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