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作家修業の場を持つ1:作家修業の場とは?

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独学の良さと問題点

小説の中で描かれるのは人間の本性のようなものですから、作家修業の場とはイコール人間修業の場とも言え、「人間の生死について考えるきっかけを与えてくれた職場が、私の本当の作家修業の場であった」というような言い方もできるわけですが、ここではそうした仕事や生活の場ではなく、小説について学んだり、書いたりする場について考えてみたいと思います。
作家修業の場としてもっとも多いのは、やはり、〈一人でコツコツとやる〉という場合でしょう。つまりは独学。
小説は一人で構想し、一人で執筆することが可能なジャンルですから、特に師匠も仲間も持たず、一人で書き続けていくことも不可能ではありません。
問題は、一人でやっているだけに、流されてしまったり、モチベーションが落ちてしまったりすることです。
これは受験の自宅浪人に似ています。
授業のようには勉強を強要されませんから気が楽ですが、やらなくても誰も文句を言いませんから、しっかりした意識を持っていないと、のんべんだらりと時を過ごしてしまったりしますね。
また、書きあぐねても、助言してくれる人はいません。そうして自力で突破口を見出すことに意義があるという面もありますが、独学の場合は下手をすると延々と同じところでつまずき続けることもあるわけで、そういう効率の悪さはいなめません。
そうした独学の弊害、つまり、精神的に技術的につまずいたときに、やる気を出させてくれ、どう書けばいいかヒントをくれるものの一つが、新人文学賞や懸賞小説などの公募です。
公募や投稿には締切がありますから、それを目標にできますし、受賞作と講評を読めば、自分に欠けているものを知ることもできます。
また、小説指南書なども、独学の補助にはなってくれると思います。

先生や仲間を持つ

しかし、そうは言っても、独学でも問題なくやっていける人というのは、

  • ある程度の力を備えている。
  • 何がなんでもという意欲がある。
  • 自己管理がしっかりできる。

という人に限られます。
一方、実力が伴わない人の場合は、無計画に書きだして挫折し、書くこと自体が楽しくなくなってしまったり、急に思い立って初日から徹夜したかと思えば、その後、半年も中断してしまったりと、うまく自分をコントロールできません。
つまり、何をどう努力すればいいのか分からない人や、自分一人では努力すること自体ができない人は、独学でやっていくのはつらいということですね。
ですが、よほどの才能がある人でない限りは、最初は誰だって初心者ですし、行き詰まることなくずっと順調に書き続けられる人のほうが少ないでしょう。
そのようなとき、または、そのような人には、やはり窮地から救ってくれる何かが必要です。それは多くの場合、先生や仲間ではないでしょうか。
先生は、生徒が書きあぐねたとき、どう書けばいいのかというヒントを与えてくれるでしょうし、講義で課題を出されれば嫌でも書くでしょうから、書くきっかけになってくれます。
また、仲間が受賞したり、秀作を書き上げたりすれば、刺激を受け、自分も頑張ろうという気にさせてくれます。
もちろん、他人がどうにかしてくれるというような考えではだめです。書くのは本人ですから、本人自身に書く意欲がなければ、どんな助言や励ましも空しいです。しかし、やる気とある程度の能力がある人なら、先生や仲間は道を見失いかけたあなたを救ってくれるきっかけとなってくれるはずです。

昔はみんな弟子がいた

近代文学が始まった明治から昭和の中期までは、作家になるためには師匠に弟子入りし、師匠の教えを受けながら作家修業に励むのが普通でした。
坪内逍遥と二葉亭四迷も師弟関係ですし、井伏鱒二と太宰治もそうですが、単に師として仰ぐだけでなく、定期的に勉強会を行う門派もありました。
たとえば、夏目漱石の家には、後年、児童文学雑誌の『赤い鳥』を作る鈴木三重吉らが出入りしていましたが、毎週木曜日を面会日としたことから、この日は誰でも自由に来ていいことになり、これが「木曜会」になります。
「木曜会」には、内田百閒、野上弥生子、寺田寅彦、阿部次郎らのほか、芥川龍之介や久米正雄も学生時代から参加していました。
詩人・小説家で、初期の芥川賞の選考委員でもあった佐藤春夫も門弟が多く、俗に「門弟三千人」と言われます。
「三千人」は孔子の「門弟三千人」にならったものでしょうから、実際には三千人はいなかったと思われますが、佐藤春夫も奥さんの千代(元谷崎潤一郎夫人)も訪ねてくる人を歓待し、特に貧しい作家志望者を金銭的に援助したため、佐藤家を頼ってくる文学青年はひきもきらなかったそうです。
佐藤春夫の門弟には、井伏鱒二、太宰治、檀一雄、吉行淳之介、柴田錬三郎、中村真一郎、五味康祐、遠藤周作、安岡章太郎らがいたそうです。
また、大衆文学の大御所、長谷川伸にも、池波正太郎、戸川幸夫、平岩弓枝など多くの門弟がおり、毎月15日に勉強会を催していました。ここからは実に11人の直木賞作家が出ています。

いま、弟子をとる作家はいない

作家志望者たちは、なぜ有名な作家の弟子になりたがったのでしょうか。
その理由としては、以下の二つが挙げられます。

  • 師匠から教えを受けたい。
  • デビューするつてが欲しい。

近代文学の創成期では小説の指南本も少なく、小説に対する考え方自体も定まっていない試行錯誤の時代ですから、作家を志す人は文壇で成功した人に接近し、小説とはどういうもので、どう書いたらいいのかということを肌身で感じたいという欲求があったでしょう。
実際、愛弟子になれば、何気なく話す雑談の中にも創作のヒントがありますし、勉強会があれば参加もできますから、大いにメリットがあったはずです。
また、師匠のまわりには師匠の担当編集がいますから、縁故を頼って持ち込みもできますし、それで認められればデビューできます。それ以前に、師匠の推薦によって同人誌に載せてもらえることもありますから、そうした意味でも、弟子になることは作家デビューの最短距離であったわけです。
こうした作家修業の場とデビューのためのつて、コネづくりとしての徒弟制度は戦後も続きますが、昭和も後期になると公募文学賞が増え、作家志望者は師匠を持たずにデビューすることができるようになりましたし、師匠に頼らずとも小説の勉強をすることもできるようになりました。それゆえ現在では、弟子をとる作家も弟子になる人も非常に少なくなっています。

 

※本記事は「公募ガイド2014年7月号」の記事を再掲載したものです。