エッセイを書く欲と力4:採用作品に学ぶPart1


楽しいエッセイ部門採用作
良い思い出:上野餡子
小学六年生の時、卒業文集に載せる作文を書く時間があった。
皆がどの思い出を作文にしようか楽しそうに悩むなか、私は全く逆の理由で悩んでいた。
……何も書くことがない。
五年生の時に転校してきた私はその学校での思い出が少なく、クラスに馴染めなかったこともあって、書くことが全く浮かばなかった。
とりあえず記憶に新しい修学旅行のことを書いてみたものの、「○○に行きました」「××しました」という報告が連なるばかりで何も面白くない。これじゃなあ……と思い、仕方なく随所に「すごいと思いました」などと飾ることにした。
嘘ではない程度に良い印象の感想を絞り出すのは、結構大変な作業だった。
なんとか書き上げた「報告書」を先生に見せに行くことにした。とりあえず形にはなったし、まあいいだろう。これで誤字脱字等を赤ペンで直してもらい、清書をすれば終了だ。
私の作文を読んでも、先生は何も書き込もうとしなかった。それから「別のも何個か書いてみようか」と言って、私に作文を返した。
先生の提案を聞いて、私はぎょっとした。先生も作文がつまらないと感じてそう言ったのだろうが、それでも受理してもらえないと困る。こんな作文だって、必死で書いたのだ。
私は暗い気持ちで机に戻った。仕方なく先程と同じ手法で野外活動のことを書いて先生に見せたが、やはり受理してもらえなかった。
中身はどうあれ、一生懸命書いたものを二回も突き返されるとさすがに頭に来る。どうして先生が私の卒業文集の題材を決めるのか。つまらなくたっていいじゃないか。私の卒業文集なんだから、どうかほっといて欲しい。
私は半ばヤケクソになり「卒業文集で作文が書けなくて非常に困った」という現状を作文にして先生に提出した。今度は自分でも驚くほどスムーズに書き上がった。これほど新鮮すぎる思い出も、ストレートな作文もない。
呆れて怒られることを覚悟していたが、
先生は、「うん、面白い! これにしよう」
と笑顔で何点か訂正し、私に清書するように言った。
さすがの私も「え、いいんですか?」と思わず聞いてしまった。先生は「これがいいよ。先生好きだわ」と絶賛してくれ、結局卒業文集にはその作文を載せることになった。
あれから十七年が経ち、修学旅行のことは行き先すら忘れたが、あの作文の時間のことは先生の赤ペンの色味までよく覚えている。
良い思い出とは、案外こういうものだ。
選評
先生はお仕着せの作文ではなく、生徒が書きたいことを自由に書いたものを求めていたのでしょう。そのことが伝わってきます。おかげで「私はこんなに文章が上手になりました」とは書いてありませんが、このエッセイ全体がオチになっています。そのことに感動しました。
感極まる:原かおる
最近、テレビショッピングで、買い物をすることが増えた。次から次へと紹介される便利なもの、化粧品、地方グルメなど、見ているだけでも楽しい。若いときは、試着もせずに洋服を買うなんて信じられなかったが、
「気になるお腹もしっかり隠せます」
なんて言われると、
「ほほー」
と、受話器に手を伸ばす私。
そんな私の密かな笑いのツボが、「○○感」という言葉の多様性。
「レースの重厚感が素敵ですよね。スケ感がありながらも、これだけの存在感」
「きちんと感は残しながらも、どこかぬけ感もあり」
「お肌のツヤ感、しっとり感がすごい」
果てしなく続く「○○感」に、思わず回数を数えようかと思ったこともあるが、流石にそれは意味がないので実行はしていない。
「おまえら、ええかげんにせんかい!」
と、深夜のテレビに突っ込むこともしばしばだったのだが、次第に面白くなり、新種の
「生地に、とろみ感があって……」
という言葉を聞いたときには、
「おお、今度はそうきたか!」
と、笑いながら、膝を打ってしまった。
言葉には、いわゆる「はやり」があって、
「心が折れた」
なんていうのも、多分、誰かが言い始めたら、その雰囲気がかっこ良かったのか、ある時期、みんなこぞって使っていた気がする。
でも、頻繁に耳にするようになると、
「あーあー、またかよ」
使っている本人の意図に反して、こちらの胸には全く響かず、失笑を買うことも多い。
まあ、なんだかんだ言っても、テレビショッピングに出演している人たちは、一生懸命に品物の良さを伝えようとしているわけで、実際その話術につられて、私もついつい購入しているので、偉そうなことは言えないのだが、周りに影響されて、おかしな言葉を使いすぎないように気をつけようと思う。
「晩御飯のおかずは、炒め物です。ベーコンのジューシー感と、キャベツのしゃっきり感が合いますよね。きくらげには高級感がありますし、ゴマ油で炒めたので、この照り感も良いですねえ。簡単でお手軽感この上ないのに、満足感もばっちり」
試してみると、意外と難しいぞ。
選評
ひところは「人間力」「老人力」などなんでも「○○力」とつけるのが流行しましたが、今は「○○感」のように、なんでも「感」をつけたがる風潮があります。そのことにいち早く気がついた着眼点がいい。半年後に同じ題材で書いたらもう古くなっている旬なネタで、新しい気づきを売りにしたエッセイの典型。下手をすると自慢になりますが、着眼点がいいので気にならない。ただ、終盤、翻って自分は……と反省しているところは、今作については尻つぼみの印象でした。
※本記事は「公募ガイド2014年8月号」の記事を再掲載したものです。