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モニター完全ガイド7: お笑い芸人浜ロンさん『ダ名言』(浜ロンさんインタビュー)

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お笑い芸人浜ロンさんがツイッターに毎日投稿し続けた言葉をまとめた『ダ名言』。 「闘わない」「無理しない」「自分を守る」が信条のハト派芸人として気づいた、ゆるくてあたたかいダ名言の数々に、心をつかまれる人が増殖中!

お笑い芸人の毎日のつぶやきが本になった!

――デビュー作にして、すでに4刷の話題作『ダ名言』ですが、ダ名言を思いついたきっかけは?

あるとき、くりいむしちゅーの上田さんに「〇〇芸人という自分の名刺代わりになる芸風をつくれ。〇〇を考えてこい」と言われたんです。それで、自分は何者なのか知らないで付け焼き刃で〇〇芸人と名乗っても長く続かないだろうなと思い、15年以上もつきあいのある仲間たちに自分のよいところ、悪いところを聞き、よいところを伸ばそうと思いました。
結果、俺は考え過ぎる人間なんだ、俺は闘わない、無理しない、自分を守る「ハト派芸人」なんだと気づいたんです。じゃ、自分が考えて、思ったことをどんどん発信していこうと思い、その言葉を「ダ名言」と名づけ、4年ほど前からツイッターで1日1個、つぶやいていました。そんな折、ある食事会で一緒になった出版者の方がダ名言を気に入ってくれ、1時間ぐらいずっとツイッターを見ていて、急に「これ、いけるかもしれません」と。それで本になりました。ダ名言を書き始めた頃は日めくりカレンダーにならないかな、それか、トイレットペーパーにダ名言が書いてあって、読んだあとに尻を拭いて捨ててくれたら最高だなって思っていたんです(笑)。

――毎日1個、ダ名言をつぶやくのは大変では?

むしろ逆です。本当は1日3個でも、4個でも考えられるんですが、あんまりたくさんつぶやくと読むほうも大変かと思いまして、1日1個におさえています。実は、手書きのノートやWEB上の下書きにも書きためているんですが、そこにはツイッターで発表している倍以上のダ名言があります。そこにすら載せていない、箸にも棒にも引っかからない本当にダメなやつもあるんですが!

――ダ名言を量産できるのは、本当に考え続けている証拠ですね。

基本的にずっと考えている人間なんです。普通に歩いているときも、ずっと考えている。言葉というよりも、人生とは……って感じで。たとえば、人とぶつかりそうになったときに失礼な態度をとられたら、「なんだよ! さっきのあの態度は! でも、あいつの人生……」って始まるんです。きっと彼を好きな人、彼の仲間、彼を尊敬している人もいると思うと、「いや、一概に言えないな、すれ違っただけじゃ」とさらに考えこんでしまう。
ダ名言を書いているからって答えを求めているわけではなくて、ただ、自分は何者なのか考えているだけの日々なんです。

ダ名言はすべて自分の言葉なんで全部好き

――本の中のダ名言でお気に入りのものは?

すべて自分の言葉なので、全部好きなんですよね。真面目さとバカバカしさで選ぶなら、
「簡単に『死にたい』とか口にするな! 死んだらもうサボれないんだぞ!」
いろんな層からウケがいいのは、
「どんなにつらいときでも、屁は出る」
これって実際にもの悲しいときに思ったんですよね。すごく落ち込んでいるときに屁をこいて、自分で嗅いで「クサッ」ってなって「あっ、生きてるな」と。究極を言うと、身のまわりの人間に不幸があった日でも、くさいんですよ、屁は! でも、生きてるってそういうことなんですよね。

――帯まで書いてくれた大先輩、上田さんの反応は?

 感想は怖すぎて直接は聞いたことがないんですが、とある取材で「こいつ、本で俺に文句言ってるんですよ! これも、これも!」って『ダ名言』を見てツッコんでる姿は見ました(笑)。
どのダ名言も特定の人に向けて言っているものではないのですが、
「膨大な知識を、くだらない話にしか使わない。こんな美しいことがほかにあるか」
というダ名言は芸人に対する最大級のほめ言葉であり、賛歌です。

――それはいつ思いついた?

あるクイズ番組で、有田さんのチームが考えこんでいるんで、上田さんが「まさかと思うけど、ローマ法王を決めてないよね?」ってふると、ちょうどコンクラーベの時期でもあり、有田さんは実際の候補者の名前をスラスラと答え、笑いをとったんです。二人は高学歴で知識も豊富ですが、それをすべて笑いに使っている。こんな贅沢なことがあるかと思いますね。

人の評価は忘れ自分が心から好きなものを!

――世の中の動きが止まったコロナ禍。どう過ごしてました?

家にいるというだけで、まるで何も変わりませんでしたね。世の中の皆さんは急に時間ができて、いろいろなことがリセットされたと思いますが、変わったことによいも悪いもなくて、ただ変わったというだけなんですよね。

――というと?

コロナで大変な方々もいるとは思いますが、「大変でね」と誰かに話した瞬間は生きていますからね。「そうだね」と会話になったら、生きている人が二人いる。目の前に誰かいる、仲間がいる。俺にとっては、それだけで十分幸せだって思っちゃうんですよね。現状を共有してくれる仲間がいるわけですから。

――子どもの頃から書くことが好きだった?

特に、作文が好きというわけではなかったですが、国語は好きでしたね。数学の授業中、国語の教科書を読んだりしたこともありました。でも、書けない人間が一生懸命苦労して書いた文章のほうが定型文にならなくて面白いんじゃないかなって思うんです。こいつ、下手ながらも必死になってと思われ、胸を打つというか。エッセイのお仕事がきたらうれしいですね。

――小さい頃から、お笑い芸人を目指していた?

そうですね。子どものときからドリフターズを見て育ち、みんなを笑わせるのが好きでした。お笑いを本気で目指そうと思ったのは、いつか結婚して孫ができたとき「お爺ちゃんは芸人をやりたかったんだよ」というのは嫌だなと。
やったけどダメだったはいいと思うんですが、やらずに思っていただけではね。

――それでNSCに入学した?

芸人になったばかりの頃は怖いもの知らずで、自分はいけると勘違いしていたんですよね。それでも勘違いしきれず、途中から1位を目指さなくなりました。それよりも自分にできることはなんだろうと考え、時代に合わせるんじゃなくて終始一貫、自分の強いものをやり続けないといけなかったんだと、今さらながら思いますね。

――公募ガイドの読者の皆さんへ届けたい思いを!

まだ、1冊本を出しただけですが、芸人として感じることは、評価されるか、されないかはいったん置いて、自分の中の何かをえぐりだしてやってみること。それが人の心を動かすものになるんじゃないかと思います。
舞台のステージに立っているとき、最前列に自分がいるイメージがあるんです。これじゃ、俺は笑わない、これは嫌だなというものは、ネタには組み込みません。いったん人の評価は忘れて、自分の評価を大事にしてみる。自分が見て恥ずかしくないもの、満足いくもの、好きなものを書いてみる。
そうすれば、少なくとも自分が死ぬ前の思い出にはなるはずです。

 

浜ロン

1973年生まれ。NSC東京1期生。コンビを組むが2006年11月解散。ピン芸人のかたわら、くりいむしちゅー上田晋也の付き人も経験。4年前から始めたツイッターのダ名言が話題に。

 

※本記事は「公募ガイド2020年8月号」の記事を再掲載したものです。