どこまでが盗作か5:小説・シナリオ編
盗作の理由、方法は時代によって違う
小説の盗作騒動は明治期にはあまりない。小説自体が海外文学の翻訳、翻案時代だったからだ。
大正期になると流通の発展などにより流行作家が生まれるが、盗作騒動が起きるのは多くは戦後。
なぜ盗作するのか(なぜ盗作になってしまったか)には3つの理由がある。
1つは、有名になりたかったから。それには自作の小説が必要だが、書けなかったので借用(盗作)したというわけだ。
もう1つは、ノンフィクションの文章は著作物だとは思われていなかったこと。それで資料からまるまる文章を引いて問題になってしまったというケース。
最後はインターネットを含む他メディアから借用したり翻案したりして問題になるケースだ。
時代によって盗作、盗用の理由ややり方は変わってきたが、本人が認めない限りははっきりしないという点は変わらない。
盗作かどうかは本人しか知らない
盗作かどうかは、最終的には本人しかわからない。審査員は一般の人の何十倍の小説を読んでいると思うが、それでも全部知っているわけではない。不得意なジャンルもあるだろう。
となると、盗作かどうか知ることができるとしたら、本人への聞き取り調査しかない。
2010年に、文藝賞(河出書房新社)の受賞者が受賞取り消しになったときも、編集部の聞き取りがきっかけだった。
本人に最初に聞き取りをしたときは「問題ない」と答えていた。しかし、最終審査が終わり、受賞が決まったあとで再度聞き取りをしたところ、「ネット上にある作品からアイデアの重要な部分を借用している。ネット上にある作品に著作権があるとは知らなかった」と回答したと言う(著作権侵害になるかはともかく、中心となるアイデアが借り物では受賞取り消しも仕方ない)。
気づかれざる盗作もあった!
インターネットによって盗作しやすい状況にはなったが、同時に発覚もしやすくなった。
昔だったら一部の人が文書で告発しても揉み消されたり、取り上げられなかったりしたかもしれないが、インターネットなら誰でも告発できる(それだけに誤った告発をされると怖いのだが)。また、盗作の検証もしやすい。
これまでも、本当はもっとたくさんの盗用があったのかもしれないと思う。あったが、昔は気づかれず、インターネットが普及し始めた頃も検索する人のスキルが今ほどではなくて気づかれなかったのかもしれない。
また、盗用があっても、落選してしまえば誰にもわからない。
いずれにしても他人の作品で受賞してもうれしくないし、むしろ「受賞してしまった」と慌て、おびえるだろう。だったらそういう作品は書かないほうがいい。
本当にあった盗作・盗用疑惑事件簿
有城達二『殉教秘聞』
最初から最後まで丸パクリで、よく応募したなと思ってしまう。しかし、当時は著作権というような意識は薄く、「落ちているものはオレのもの」というぐらいの感覚だったのかもしれない。
盗作事件があったのは59年(昭和34年)、第12回講談倶楽部賞の当選作(ちなみに『講談倶楽部』が廃刊になったあとに生まれたのが『小説現代』)。
当選作「殉教秘聞」は、のちに直木賞を受賞する寺内大吉の「女蔵」を丸写ししたもので、違いは3か所しかなかった。3か所では違いというより、写し間違いだったかもしれない。
選考委員は海音寺潮五郎、山岡荘八、源氏鶏太ほかだったが、『小説春秋』に掲載された「女蔵」は読んでいなかったようだ。
面白いのは、作品だけでなく、受賞コメントまでが丸パクリだったこと(第4回オール新人杯を受賞した松浦幸男さんのコメントとほぼ同じ)。パクるといったらどこまでもパクる、なんだか笑ってしまう事件だった。
富田岩太郎「『アンナ』のテーマ」
小説からの翻案が問題になった事件。騒動が起きたのは92年(平成4年)、第5回フジテレビヤングシナリオ大賞の受賞作「『アンナ』のテーマ」。
授賞式後、作品が雑誌に掲載されたのだが、それを読んだ人から「高樹のぶ子の芥川賞受賞作『光抱く友よ』とよく似ている」という指摘があり、本人に確認したところ、「『光抱く友よ』は大変感銘を受けた小説であり、この小説をベースにドラマを設定した」と答えた。
実はこの授賞式、公募ガイドも取材している。このとき、同時に受賞した(当初は特別賞だった記憶がある)のは、昨年11月号に出てもらった尾崎将也さんで、大賞の富田岩太郎さん(当時大学生)が辞退したため、尾崎さんが繰り上げで大賞受賞者となった。
選考委員は、直木賞のほうはよく読んでいたが、純文学の芥川賞のほうは(当時は)ノーマークだったらしい。もちろん、今はそんなことはない。
鷺沢 萠『川べりの道』
87年(昭和62年)、第64回文學界新人賞受賞作は、鷺沢萠のデビュー作『川べりの道』。
この作品は、受賞当時から、吉田秋生(あきみ)の漫画『河よりも長くゆるやかに』に似ているという指摘があった。最初に指摘したのは山田詠美。
「文学界」の新人賞の女の子のが一番良かった。でも、吉田秋生の『河よりも長くゆるやかに』に似ていると思うのは、もとマンガ家の悲しい性でしょうか。きっと選考委員の人たちなんて、ああいう傑作を知らないんでしょうね。マンガなんて馬鹿にしているからね。
(山田詠美『私は変温動物』/栗原裕一郎著『〈盗作〉の文学史』より孫引き)
盗作というほどは似ていないが、鷺沢萠自身、吉田秋生の漫画が好きだったようで、有名な漫画に着想を得て話を膨らませたが、重なる部分があったということらしい。ただ、大きな問題にはなっていない。
有吉佐和子『複合汚染』
問題となったのは有吉佐和子の『複合汚染』で、科学啓蒙書の著者が告発した。
以下、問題の箇所。
〔ジフェニールは〕一般に毒性はPCBの1/3くらいともいわれている代物である。化学構造からみると、ジフェニールに数個の塩素をくっつけたのが問題のPCBであり、ジフェニールはPCBの母核をなすものなのである。
── 大川博徳『生活の恐怖』
ジフェニールの急性毒性は、PCBと変わらない。化学構造からいうと、ジフェニールに数個の塩素をくっつけたのがPCBだ。ジフェニールは、PCBのモトである。
── 有吉佐和子『複合汚染』(栗原裕一郎著『〈盗作〉の文学史』より)
有吉は科学データを使っただけと主張し、大川は表現が使われたと問題視したが、結論が出ないまま事件は立ち消えた。
誰も知恵を持っては生まれない
盗作でもなんでもないが、志賀直哉の『城の崎にて』と、村上春樹の『中国行きのスロウボート』の構成はよく似ている。
どちらも、それぞれ関連のないエピソードが3つ出てきて、その3つがテーマでくくられて終わる。主人公の独白のような書き方も似ている。
普通は関連するエピソードを積み重ねるが、両作品では個々のエピソードは関連しない。
もっとも、告白体のような小説を書いたら、だいたいこのようになるかもしれない。「3つ」というのも珍しくない。
小説を書こうという人は優に千を超える小説を読んできているだろうから、中身はとうの昔に忘れてしまっていても、どこか無意識の中にあって、それが急に先祖返りのようにして出てくることがある。
それはもとがなんだかわからないぐらい消化されている。それはもう自分のものだろう。
※本記事は「公募ガイド2018年2月号」の記事を再掲載したものです。