【発掘!】朝ドラ「あんぱん」でも注目 アンパンマン作者やなせたかしが語る「諦めなければチャンスは来る」【お宝原稿】


NHK朝の連続テレビ小説で話題の「あんぱん」。モデルは「アンパンマン」のやなせたかしさん。
やなせさんは今から19年前の2006年に、公募ガイドに登場しています。
今回は、その記事を紹介します。
朝ドラ「あんぱん」で話題。「アンパンマン」生みの親、やなせたかしさん
公募ガイドに登場していた!
2025年3月31日からNHK朝の連続テレビ小説で「あんぱん」が始まった。
主人公は朝田のぶ(今田美桜)、柳井崇(北村匠海)で、モデルとなっているのは、やなせたかし(柳瀬嵩)とその妻・暢だ。
やなせたかしさんは「アンパンマン」の生みの親で、2013年に94歳で亡くなられているが、この7年前、公募ガイド2006年4月号に登場している。
やなせさんは1947年に小松暢と結婚し、漫画家を志すが、なかなか売れず、「アンパンマン」がテレビアニメ化され、人気となったのは1988年、54歳のとき。
漫画家や小説家、タレントなどは全員が全員活躍できるわけではなく、「椅子取りゲーム」などと称される。これに関するやなせさんのコメントが奮っている。
「『虚仮の一心」という言葉があるでしょ。ヤル気があるなら下手でも続けなくちゃ。(中略)降りなければ、満員だった電車もいつか席が空いて座れるときがくるんです」
え? そのページ、読んでみたい?
では、ここで全文、掲載しましょう。
目指す君へvol.53 やなせたかし
諦めて電車から降りないで きっといつか席は空くから
「アンパンマン」はもちろん、「手のひらを太陽に」の作詞、アニメの美術監督、舞台演出、ラジオドラマの脚本など、幅広い分野で活躍してきたやなせたかしさん。 広く活動してきた理由を尋ねると、「しょうがないよ、漫画の仕事が来ないんだもの」と笑いながら答えてくれた。
やなせさんは学生時代から一コマ、四コマなどのカートゥーン漫画の投稿を始め、戦後は三越宣伝部に入社。漫画やイラストのギャラが給料の3倍になった38歳のとき、フリーとなった。
しかし、時代は手塚治虫をはじめとするストーリー漫画へと移行しつつあり、漫画の仕事は減少。さまざまな仕事をこなさねばならない事態に陥った。
「僕は貧乏が嫌いだから。 風の吹くまま気の向くままですよ。いい脚本が書けたから漫画は止めて脚本家になろうとか、そういうことも別に考えなかったね」
手がけたものは必ず評判を呼び、また次の仕事を呼び込む、という不思議なサイクルが生まれた。『アンパンマン』の誕生も、脚本を手がけたラジオドラマ「やさしいライオン」が好評で絵本化が決定。それがベストセラーとなって第2弾を依頼され、『アンパンマン』を描いたのが1973年、54歳のとき。 88年にはアニメ化もされ大ヒット。今年(2006年)で18年目を数える。
『アンパンマン』の魅力は、多面性を持つ性格設定にある。たとえば、ドキンちゃんは気が変わりやすく、時に仲間であるバイキンマンを裏切ったりもする。昔から上手い漫画家たちに囲まれ、「自分は絵が下手だ」と感じ続けてきたが、アンパンマンを手がけて「キャラクターを作る才能だけはあるかもしれない」と思うようになったという。
「今、アンパンマンのキャラクターは2800体。よく考えつきますねって言われるけど、日本だけでも1億人以上いて、みんな少しずつ違うんだから、紙を目の前にすれば5分で浮かんでくるよ(笑)。ただ、形だけを描くのは苦手。ストーリーがないと性格が見えてこないから、形のイメージも湧きにくい」
やなせさんは30年にわたり、イラストなどの投稿雑誌『詩とメルヘン』の編集長も務めていた。毎月優秀者を選び、1年後に優秀者の中でナンバーワンを決める、という審査方法で世に送り出したイラストレーターは200名以上! 今も『まんが甲子園」などの審査員を歴任しているが、「『詩とメルヘン』のように、もう少し長い時間をかけて見てあげたい」という思いに駆られることもある。やなせさん自身、プロになってから勇気をふるって応募した『週刊朝日』の懸賞漫画で大賞を獲るも「何も変わらない」という経験をしていたからだ。
だが、嘆いていても道は拓けない。そこでやなせさんが選んだ道は、「諦めないこと」。
「『虚仮の一心」という言葉があるでしょ。ヤル気があるなら下手でも続けなくちゃ。僕も『絵本作家で行こう」と思ったときがあったけど、不思議なことに諦めないでいると来るんだよね、漫画の依頼が。降りなければ、満員だった電車もいつか席が空いて座れるときがくるんです」
PROFILE
やなせたかし
1919年高知県生まれ。東京高等工芸学校図案科(現千葉大学)卒業。戦前は田辺製薬宣伝部、戦後は高知新聞社、三越宣伝部に勤務。包装紙の「MITSUKOSHI」というロゴを手がけた。 1954年に漫画家として独立。 1973年、アンパンマンの絵本を刊行し、88年にはアニメ化され大ヒット。2025年、NHK朝の連続テレビ小説「あんぱん」のモデルとなる。
「自分なりに頑張っているつもりなんだが、入選なんて全然しない、うまくもない」と思っている方には沁みる言葉ですね。