第51回「小説でもどうぞ」最優秀賞 僕ら うえお亞維


第51回結果発表
課題
寄生
※応募数339編
うえお亞維
朝、目を覚ますと、知らない男が台所で味噌汁を作っていた。
いや『知らない男』と言うより『見覚えのある他人』と言うべきかもしれない。髪型はぼさぼさで、メガネは少しずれていて、寝癖を無理やり手ぐしで直した跡がある。どこかで見たような……。そうだ、鏡の中でだ。
つまり、その男は、僕自身だった。
「おはよう」
「おはよう」
二人はほぼ同時に言った。
男は、僕の冷蔵庫から卵を取り出し、手慣れた様子で割って、ボウルに落とした。混ぜながら、僕の方をちらりと見て言う。
「昨日の夜からここにいるんだけどさ、もう少しだけ置いてもらえる?」
僕は思わず「どこに?」と聞き返した。
「ここだよ、君の生活にさ」
男はそう言った。
男の言葉は意味不明だったが、味噌汁が美味しかったので依頼を受けることにした。
昼になると、男はソファでごろごろし始めた。テレビのワイドショーを見ながら、ナッツをつまみにビールを開ける。
「昼から飲むんだ」
「だって俺、寄生してるんだから」
「寄生?」
「うん。きみの生活にさ。居候みたいに」
自分自身が自分に寄生している、と言われても、現実離れしていて受け入れられない。
「どうして僕に寄生?」
「まあ、疲れたんだよね。働くとか、生きるとか。だから、きみの中に寄生して、少し休ませてもらおうと思って」
「それ、迷惑なんだけど」
「わかる。でも、寄生ってさ、いつの間にか始まってるんだよ」
男はそう言って、僕の使っているマグカップにインスタントコーヒーを入れた。
「洗ってないよ」
「寄生に衛生は関係ないさ」
彼は当たり前のように答えた。
彼との暮らしから三日が経ち、僕の生活はだらしなさが倍増した。
洗濯物は山となり、食器は流しにあふれ、通販の段ボールが床を占拠している。
「そろそろ帰ってくれない?」
僕が言うと、男はカップラーメンのスープをすすりながら「いやあ、無理」と言う。
「どうして?」
「もう根を張っちゃったからさ」
「根?」
「きみの中に。ほら、きみも最近、前よりよく昼寝してるでしょ。仕事のメールも無視してる。インスタもLINEも見ない。俺が寄生して、きみも少し楽になってるんだよ」
言われてみると、確かにそうだった。
数ヶ月ぶりにぐっすり眠れているし、頭の中のノイズが減ったような気もする。
もしかして、こいつはよい寄生なのか?
彼との共同生活から一週間が経ち、僕はほとんど何もしていなかった。仕事は休職のまま、掃除も料理も放棄。寄生男は、僕を手玉に取ったかのように振る舞っている。
「この味噌汁、昨日より美味しいよ」と、僕が言うと、「でしょ?」と、男は嬉しそうに笑う。
寄生されているのに、何故か幸せだった。
朝はのんびり朝食を楽しみ、昼はゆっくり昼寝、夜はネットフリックスで映画を観る。
恋人とも違う、家族とも違う、だらしなくて気楽で、ちょっと心が温まるような同居。
だが、ある晩、男が言った。
「そろそろ、出ていくよ」
「え? なんで?」
「もう、養分がなくなっちゃったから」
僕は慌てて冷蔵庫を開け、冷や飯を出したり、卵を割ったりしたが、男は首を振った。
「違うよ。そういうことじゃない。きみ、もう、自分で生きられるようになったんだ。寄生してたのは、どっちだったんだろうね?」
男はそう言い残し、翌朝には消えていた。
男がいなくなった部屋はがらんとしていたが、味噌汁の匂いが残っている気がした。
僕は一人分の味噌汁を作った。味は少し薄かったけれど、悪くなかった。
その日の夕方、会社の上司から久しぶりに電話がかかってきた。
「そろそろ戻ってこないか?」
「はい」と答え、電話を切った後、スマホのカメラで自撮りをしてみた。
画面の中の自分は笑っていた。
その笑顔の奥に、ほんの少しだけ、あの男の気配が残っている気がした。
翌朝、目を覚ますと、冷蔵庫の上に一枚のメモが置いてあった。
『また疲れたら、寄らせてもらうね』
(了)