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詩、マンガ、SNSは句読点が少ない|テンマル多い派vs.少ない派

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小説
、(てん)と。(まる)の新ルール
特集

句読点は、句読のための便宜的な記号と言ってもいいもので、なくても読めるのなら必要ない。実際、詩やマンガ、SNSでは句読点はあまり使われない。
ここでは、そうしたメディアにおける句読点を見ていこう。

1行が短ければ、句読点はいらない

詩の句読点

詩にもいろいろあるが、現代詩や散文詩は別として、近代詩には句読点が少ない。

 きつぱりと冬が来た
 八ツ手の白い花も消え
 公孫樹(いちょう)の木も箒になった

 きりきりともみ込むような冬が来た
 人にいやがられる冬
 草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た

 冬よ
 僕に来い、僕に来い
 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

 しみ透れ、つきぬけ
 火事を出せ、雪で埋めろ
 刃物のやうな冬が来た
 (高村光太郎「冬が来た」)

途中、5ヶ所にテンが打たれているが、テンも少なくマルはゼロだ。
なかにはテンがない作品もあり、そうした詩も決して珍しくない。

 顎を むざんに引っかけられ
 逆さに吊りさげられた
 うすい膜の中の
 くったりした死
 これは いかなるもののなれの果だ

 見なれない手が寄ってきて
 切りさいなみ 削りとり
 だんだん稀薄になっていく この実在
 しまいには うすい膜まで切りさられ
 もう 鮟鱇はどこにも無い
 惨劇は終っている

 なんにも残らない廂から
 まだ ぶら下っているのは
 大きく曲った鉄の鉤だけだ
 (村野四郎「さんたんたる鮟鱇」)
            
近代詩はそれまでの短歌、俳句の影響もあり、句読点を用いず、改行や分かち書きで処理している作品が多い。
そこには、テンやマルがあると「見た目が美しくない」という近代人の美意識がある。

ただ、例外のテンもあり、詩では表現的なテンが打たれることがある。

 しらたまがいちばんすき
 とわたしの男は白玉をくちにはこぶ
 (オイシイ)と目をつぶってみせてくれる
 おまえよりもすき、と
 (伊藤比呂美「歪ませないように」部分)

この部分までにテンは一ヶ所しか打っていないので、この4行目のテンも省くこともできたと思うが、ここは間を空けて読んでほしいという意図があるのだろう。
このように詩には表現的なテン、リズムのテンがあるが、しかし、絶対数としてはテンマルは少なめだ。

マンガの句読点

マンガにはほとんど句読点がない。
試しに手近にあった講談社刊の劇画を見たが、テンもマルもゼロだった。
セリフのほか、状況説明のような文章も含め、句読点は皆無だ。

ただ、版元によっても違いがあるようで、小学館は句読点をつけることが多い。
マンガが「悪書だ」「教育に悪い」と言われた時代、学年誌も出版している小学館が「きちんとした日本語で書かれたマンガ」であることを浸透させるために始めたのが最初だと言われているが、そこで小学館刊、コミック版『相棒』を見てみた。

私、警視庁
生活安全部の
杉下と申します。 
初めまして。
車両担当者が
あんたと話したい、  
とさ。


こんな感じでテンもマルも使われていた。
ただ、全体的にはテンマルがついた文章の数は少ない。そこそこあるなあという程度だ。
では、テンマルの箇所はどう処理しているかというと、改行や記号で避けている。

もたもた    
すんな!      
亀山のバカ!
手配犯の確保  
しくじりやがって…!
手柄を焦るからだ
間抜け野郎…!   

こんな感じだ。
つまり、改行がテンの代わり、「!」「?」「…」といった記号がマルの代わりというわけだ。

SNSの句読点

SNSにもいろいろあり、見ている端末にもよるが、概して1行のストロークが短い。横幅が決まっていて、だいたい18字ぐらいではないだろうか。
で、SNSのテンマルだ。

ニュースや告知などは通常の文章と同じようにテンマルがついているが、日常の雑感をつぶやいたものや、特定の相手に送るメッセージでは、テンマルはどうだろうか。

ごぶさたです 
元気ですか 
めっちゃ会ってない気がするんだけど  
久々に飲みませんか
ご飯でもいいけど

敢えてテンもマルも省いてみたが、なんの問題もない。
この手の文章は一文が短く、長くしても横幅が決まっているから勝手に折り返される。
それでも文章が長いと思えば、文を三つ、四つに分けることもできる。
従ってテンはなくてもよく、よほど文の途中で終わらない限りは、そこで文が終わったとわかるからマルも必要ない。

加えて、SNSでは記号や絵文字が使われる。

ごぶさたです😅
元気ですか!
めっちゃ会ってない気がするんだけど😆
久々に飲みませんか?
ご飯でもいいけど…

絵文字や「?」「!」「…」などが句読点代わりに使われている。
だけでなく、そうすることで、感情も表現できる。
それが当たり前になっているから、そこに句読点を使うと感情がない、もっと言うと怒ってるような印象になる。
それがいわゆるマルハラという問題を引き起こすが、では、なぜマルをつけると悪い印象になるのか。
それは次章に譲ろう。

話し言葉はカジュアル、書き言葉はフォーマル

話し言葉と書き言葉の温度差


「もう怒ったぞ」

大半のひとは、「もうおこったぞ」と読んだだろう。
そう読めば違和感はない。
しかし、「怒」の訓には「いかる」もある。

「もういかったぞ」

これはなんだか変な感じがする。なぜだろう。
実は「おこる」は口語的な表現で、「いかる」は文語的な表現なのだ。
文語が口語になる例もあるが、一般化していないと違和感につながる。

ほかにも、会話では言うが、文章ではあまり書かない言葉は無数にある。
一例を挙げてみよう。

口語文語
てゆうかという
ぼくなんか ぼくなど
しょうがない仕方ない
なので従って
だけどしかし
だんだん徐々に
やっぱやはり
じゃあでは
全然全く
ちゃんときちんと
やっとようやく
遠方から遠方より

     
もちろん、言文一致の今はかなり入り乱れていて、日常会話で、
「従ってぼくなどはやはり」
と言うこともあり、その一方で、文章で「なのでぼくなんかやっぱ」と書くこともある。

ところが、時と場合によっては違和感、不快感を醸してしまうこともある。
たとえば、厳粛な儀式の挨拶で、
「なのでぼくなんかやっぱ」
なんて言ったら、カジュアルすぎて笑ってしまうか、最悪の場合はひんしゅくを買う。

その逆もまた然りで、友達同士のカジュアルな空間にフォーマルを持ち込むと、なんだか距離を置かれた気になる。
「いやあ、めっちゃ久しぶり😊元気?🤪」
みたいなトーンで言っているのに、
「その節は大変お世話になりました。」
なんて言われたら、あれ? リアクション薄っ! 怒ってる? となってしまう。 

ごぶさたです。
元気ですか。
めっちゃ会ってない気がするんだけど、
久々に飲みませんか。
ご飯でもいいけど。

これが上司だったら、説教でもされるんちゃうか!
そう思っちゃうよね!