第51回「小説でもどうぞ」佳作 私の中の狼 山岸ミト


第51回結果発表
課 題
寄生
※応募数339編
山岸ミト
私は狼に寄生されている。狼は私の体の中にいて、普段は大人しくしているのだけど、月一回のペースで私の体を乗っ取ってくる。その時私に意識はないので狼が何をやっているのかは知らないが、狼のやることと言えば、人や家畜や草食動物を襲ったりすることだと思うので気が気じゃない。
「いつか狼に寄生されているとバレて、猟師に殺されるかもしれない」と私は不安になる。
「今のところは大丈夫ですよ」狼が私の内側から言う。その口調は丁寧だが、声は野太くもシャープな感じで、不安は一層あおられる。
「本当に大丈夫ですよ。今のところはね」と狼は野太く言う。
「今のところっていうのが怖いわね。未来が保証されていないんだもの」
「あなたが月に一回僕に体を任せてくれる限り、ずっと大丈夫です。しかしそれをやめたら……ね」狼はシャープに言った。
私はぞくっとして、これからも狼の言う通りにすると誓う。近所で人が殺された話や家畜が消えた話はまだ聞かない。そのあたり私はいつも念入りに調べている。
狼はいつも私が寝静まってから体を乗っ取る。ある夜、私はなかなか寝付けなかった。暑い夜だったし、仕事で疲れすぎていて、うまく体が睡眠に向かわなかったのだ。その夜は計算でいくと狼になる夜だったので、寝ない私に狼はしびれを切らした。
「あなた、早く寝てくれないと困るじゃないですか」と狼は言った。
「ごめんなさい。でもそう言われてもこればっかりは……」
そのうちカーテンの隙間から優しい光が射して、月が目の前に現れた。私はこれほど美しい月を見たことがなかった。
「今夜の月はまんまるだ」感嘆の声を漏らした時、私は狼になっていた。しかし精神は私のままだ。どうやら眠れないせいで意識を保ったまま狼になってしまったらしい。
外でガサゴソと音がした。何かがうごめく気配。カーテンの隙間からそっと見ると、そいつと目が合った。そいつは今の私にそっくりな姿をしていた。ただ私よりいくぶん小さめで可愛らしい感じがする。
「ねえ、そんなところで目だけ出してないで、早くいこうよ」とその狼は言った。そいつが雌であることに私は気づいた。そして私は雄だった。私は誘われるがまま窓を飛び出し、道路を疾走し、そのうち人気のない草むらに出た。
「ねえ、あのこと考えてくれた?」と雌狼は言った。
「えっ、あのことって?」私にはもちろん見当がつかない。
「もう意地悪ね! 早く私と一緒になってくれないかってことよ!」
私は気が動転しそうになった。私の内なる雄狼は、この雌とそんな約束を結ぼうとしていたのか。月に一回しか会えないくせに女をたぶらかすとは無謀で無責任な男だ。それに私の生活はどうなるのか。
「うん、そうだね、それはよくよく考えないと、なにせ大事なことだから……」
「もう十分考えたじゃない」と雌は言った。「私のほうでは準備ばっちりだから、明日にでもそちらに行けるわよ」
いや、行けると言われてもあんな狭い音漏れのするアパートに来られたら近所が騒然となって猟師が集まってくるんだけど、と私は思った。
「どうしたっていうのよ。あっ、わかった。もう私のことを愛していないのね。それで他に女ができたんでしょ。そうに決まってる」
雌はうなり声をあげて今にも噛みついてきそうな勢いだったので、私は大いに慌てた。
「ち、ちがうんだよ! ちょっと不安になっちゃって。僕は君の夫としてうまくやっていけるのかなあって」と私はよくわからないまま弁解した。
「大丈夫よ」雌はいくぶん怒りをやわらげてくれたようだ。「みんなやっていることじゃない」
「そう? うん、そうなんだろうね」まずい。このままでは残りの人生をこの雌と一緒に過ごさねばならない。
「実は、僕は」
私は意を決した。
「普段は人間の女に寄生していて、君と会えるのは月に一度しかないんだよ。黙っていてごめん!」
雌は目をぱちくりさせて私の顔を見つめた。その姿は何とも愛らしく、雄の気持ちがわかる気がした。
「あなた、どこかで頭打ったの? それか熱でもあるみたいね」
「いや、そんなことはないのだけど」
「でも気分が悪そうよ」
「気分はまあ、そうだね、良くはないかも」と私は言って、なんだか本当に気分が悪くなって目の前の景色がぐらぐらしてきた。雌が心配そうに駆け寄ってきて、明日あなたのところに行くから、とまた言ってきたので、もうどうにでもなれ、という気分で意識は遠のいていった。
私はベッドの上で目が覚めた。隣では夫がまだ寝息を立てている。
久しぶりに昔の夢を見ていたようだ。夫と出会う前、私は自分の中に狼がいて、それが雌の狼をたぶらかしているという妄想にとらわれたことがあった。それからすぐ夫に出会ってとんとん拍子に結婚し、狼のことなどすっかり忘れていた。
私と夫は何の問題もなくやっているが、ひとつ不思議に思うことがある。月に一度、私たちはどうしても早く眠ってしまう夜があって、その夜はどうやら満月らしいのだ。
(了)