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第51回「小説でもどうぞ」佳作 寄生の正体 翔辺朝陽

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小説
小説でもどうぞ
第51回結果発表
課 題

寄生

※応募数339編
寄生の正体 
翔辺朝陽

 私の我慢は限界に来ていた。
 夫が定年で退職した後も家事を一切しようとしない。
 結婚して三十五年、夫の希望で夢を諦め専業主婦となって仕事人間の夫を支えてきた。
 退職後は二人仲良く協力し合って暮らせるものと勝手に思い込んでいた。しかし夫は空気の抜けた風船のように無気力になり毎日ゴロゴロしていた。
 それだけならまだしも、暇を持て余して私のすることにいちいち干渉してくる。私にくっつき依存しながらも、私を意のままにコントロールしようと口を出す。
 いつしか夫が老いぼれた寄生虫にしか見えなくなっていた。
 ――このままでは養分を吸われて私がだめになってしまう
 危機感を感じた私は何とかこの状況を打破できないものかと思案した。
 せめて家事を分担して欲しいと直接言ってみるか――
 いや、だめだ。これは火に油だ。自尊心の塊のような夫が素直に聞いてくれるとは到底思えない。それこそ臍を曲げられたら交渉すら出来なくなってしまう。
 言ってもダメならストライキでもするか――
 いや、これもだめだ。もはや寄生虫と化した夫は養分を吸えなくなった宿主を諦め、外で新たな宿主を探し出そうとするかも知れぬ。そうしたら反って藪蛇だ。
 いっそのこと離婚する?――
 うーん、そこまでは踏ん切りがつかぬ。長いこと連れ添ってきていくら老いぼれた寄生虫にしか見えなくてもまだ少し情が残っている。できれば老後を仲良くやっていきたい。
 どうも夫に自ら変わってもらうというのは無理なようだ。
 そこで私は考えた。逆に私が自ら夫をコントロールできる方法はないものかと。
 そう考えると、ひとつだけ手が浮かんだ。
 そうだ、私が病気になればいい――
 しかしこれも両刃の剣か。ストライキと同じで夫が私を捨て、外で新たな宿主を探しだしたらそれこそ自分が惨めだ。でも病気の妻をさておいて別の宿主に鞍替えするようなら、それこそ離婚の踏ん切りがつくというものではないか。
 よし、これで行こう。心は決まった。
 早速次の日に散歩から帰ってきた夫に話をした。
「実は最近胸が締め付けられるように痛むことがあって、さっきあなたが散歩中に医者に行って診てもらったの」
 夫の目の色が変わった。反応は上々だ。私は続けた。
「そうしたら狭心症の恐れがあるって。なるべく安静にしていなければいけないんだって」
 夫は神妙な顔で黙って聞いていた。そして「そうか、わかった」とだけ言った。
 翌日から意外にも夫は人が変わったように優しくなった。
 さすがに妻の病気をさておいてすぐに鞍替えする気はなさそうで安心した。
 少し罪悪感が芽生えたが、それでも私の心はまだ半信半疑だった。
 夫が本当に寄生虫なら宿主に死なれては困るはず。だから夫は私のためというより自分が生き延びるために心変わりした(ように見える)のではないかと。
 もしそうなら私がいつまでも病気で治る見込みもなく、夫にとって寄生しているメリットがないと思った時にどう出るかで真意がわかるはずだ。
 しばらくこのまま続けてみよう――私はそう決心した。
 家事に不慣れな夫が途中で投げ出さないように優しくやり方を教えた。夫もそれに応え、掃除、洗濯、料理に至るまで、私にやり方を聞きながら進んでやってくれるようになった。
 しかし私はそんな夫の優しさが次第に怖くなってきた。このままずっと優しいままでいてくれるのだろうか? それとも突然豹変して私は捨てられてしまうのではないだろうか? 私の脳は途中から夫を信じるより疑心暗鬼の闇に支配されていった。そして、次第に口調も命令口調になり何でも夫にやらせるようになっていった。私は夫が心変わりする前に、夫の脳に寄生して夫を完全にコントロールしてしまいたいと思うようになっていた。
 夫は次第に目に見えて消耗していった。しかしそれでも不思議なことに最初に感じていた罪悪感はすっかりなくなり、夫を支配していることもやめたいとも思わなかった。
 ある日、夫の胃に新たな寄生が見つかった。がんだった。余命半年と宣告された。
 病床で病気になったことをしきりに詫びる夫に私は言った。
「いいのよ、心配しないで。実は私、どこも悪くないの。だから大丈夫だから」
 それを聞いた夫がわなわなと震え出した。なぜそんなことを言ったのか自分でも信じられなかった。夫にはもう抵抗する気力は残っていなかった。
 半年後、夫はあっけなく亡くなった。
 私は晴れて自由の身になった。夫を失った悲しみが湧いてこないことが不思議だった。
 私は夫と老後を二人仲良く暮らしたいと本当に思っていたのだろうか――
 いや、そのはずだった。だから仮病を使ってまで夫に家事を教え込もうとしたのだから。
 でも途中から私は変わってしまった。夫の脳を支配しコントロールすることにある種の快感を覚えだした。自分が自分でないような気がした。
 私は気がついた。私の脳も何かに寄生されていたのだと。そしてその寄生の正体が何であるのかも。
 これからが私の人生だ。
 老いぼれた寄生虫がいなくなりすっかり元気になった私は、夫の遺影に向かって「ごめんね」と呟いた。
(了)