第51回「小説でもどうぞ」佳作 隣のバンパイア がみの


第51回結果発表
課 題
寄生
※応募数339編
がみの
夏の夜、アパートのベランダに出て涼んでいると、隣の部屋のベランダに真っ黒な固まりが移動してきた。よく見ると、それは蚊の大群だった。びっくりしたぼくは部屋の中に戻り、殺虫剤をとってきた。隣の部屋のベランダとは間仕切り板があるので、手すりから身を乗り出してのぞいた。赤い服を着た若い女性がベランダに出ていて、手のひらを上にして差し出している。その手のひらを覆うように蚊が密集していた。
「大丈夫ですか。殺虫剤をかけましょうか」
ぼくが声をかけると、女性がこちらを向いた。ぼくとあまり変わらない二十歳前後の若い女性だった。しかも色白の美女。
女性はあわてた顔で言った。
「殺虫剤はやめてください。蚊はもうちょっとしたら帰りますから」
蚊はもうちょっとしたら帰る?
妙な返事だ。ぼくは納得いかないまま引き下がった。それでもその女性のことが気になったので、ベランダからちょっとだけ顔をのぞかせて様子を見ていた。
女性の手のひらには赤い血のようなものが付いていた。女性はその手を口に当てて舌でなめとっていた。血のようなものをなめつくすと、また手のひらを前に差し出す。すると、蚊が密集してきて赤い血のようなものが広がっていく。それが手のひらに広がると、口に当ててなめる。それを繰り返していた。一時間ぐらいすると、彼女が言ってたように蚊の大群は去っていた。
女性がこちらを向いた。
「見てましたね」
「すみません」
条件反射で謝る。
「これからそっちのベランダに行ってもいいですか」
「え?」
ぼくがとまどっていると、女性は手すりを乗り越え、わずかな出っ張りを足がかりに僕の部屋の前に来た。そして、よっこらしょっと手すりを乗り越えて中に入った。三階だってのに。危ないと叫ぶ間もなく、彼女は僕の目の前に立っていた。美しい。魅了されてしまってぼくは何も言えなかった。
「わたし、実はバンパイアなの」
バンパイア? 言葉の意味がすぐには頭に浮かばなかった。
「人の血がないと生きていけないけど、わたし、人を狩るのが苦手で」
人を狩る?
「それで蚊を使役して血を集めさせ、それをなめて生きているの」
そう言って彼女は恥ずかしそうに笑った。
蚊を使役する? いろいろな疑問が頭に浮かぶが、それはそれとして、笑顔がとてもかわいい。このバンパイアはきっと魅了の特殊能力があるに違いない。
「なんだったら、ぼくの血を吸ってもいいですよ」
ぼくは自分の言葉に自分で驚いた。
「ほんとに?」
彼女の喜ぶ顔はさらにかわいかった。
「でも首は怖いから、腕からでいいですか」
ぼくがそう言うと、彼女はありがとうと言って、ぼくの腕にかみついた。献血の針が刺さったときの感触でさほど痛みはない。それどころか、彼女の唇の冷たさが気持ちいい。さらに彼女がちゅっちゅっと血を吸う音で、ぼくは幸福感につつまれた。ぼくはマゾだったのだろうか。
「はあ、久しぶりに直接人の血を堪能できて嬉しいわ」
彼女の満足した笑顔に、ぼくも笑顔で返す。
「なんだったら定期的に提供しますよ」
ぼくはまた自分の言葉に驚く。
それから、彼女は一週間おきぐらいにやってきた。ぼくは毎日でもいいんだけどと言うと、それでは造血が追いつかないからと断られた。吸う量も抑えていると言う。
「バンパイアに血を吸われたら、その人間もバンパイアになるんじゃなかったっけ」
ぼくが聞くと、彼女は首を横に振った。
「吸っただけではならない。わたしの血を飲ませればなるけど、あなた、バンパイアになりたいの」
ぼくは首を振った。
「良かった。血の提供者がいなくなると困るもの」
彼女がまたいい笑顔で言った。
だんだん慣れ親しんでくると、彼女はいろいろ注文を出すようになった。ニンニクは食べるなとか、甘い物は控えろとか、タバコは絶対駄目、お酒もあまり飲まないようにとか。鉄分の多い食べ物を摂れとか、運動を欠かさず睡眠時間もきちんと取るようにと。健康的でさらさらの血が好みらしい。まあ当然か。
「まだ若いから、そこまでひどくはないけどね」
彼女の舌で血液検査を受けているようなもので、その指示に従っていると、自分でもからだが軽くなるのを感じた。健康のためにも各家庭にバンパイアの出張サービスがあってもいいかもしれない。
彼女に他にもバンパイアがいるのか聞いたところ、何人か仲間がいると言う。ぼくが自分の友人を彼女の仲間に紹介して定期的に血を吸わせるのはどうだろうかと言ったら、彼女は喜んだ。
「そういう協力的な人間、それも若い人がいたらみんな喜ぶわ。今の時代、人を無理に襲うと逆に殺されかねないし」
そこで、ぼくの友人達に話を持ちかけると、みな半信半疑ながらも一度試すと継続的に血を提供してくれるようになった。やはりバンパイアには魅了の能力がありそうだ。
傍目にはバンパイアが人間に寄生しているように見えるけど、実際はぼくらがバンパイアに寄生しているのかもしれない。なぜかいつも多幸感に満たされているのだから。
(了)