第51回「小説でもどうぞ」選外佳作 左手の顔 川畑嵐之


第51回結果発表
課 題
寄生
※応募数339編
選外佳作
左手の顔 川畑嵐之
左手の顔 川畑嵐之
奴のことを話さねばなりません。
高校三年生の時に遡ります。
自宅で受験勉強を励んでいるうちに、知らぬ間に右手で左手の甲を掻きむしっていたようで、気がつくと赤くなっていて、大変痒いものがありました。
その左手の甲はだんだん腫れ上がってきて顔に見えてきたのです。
それもご丁寧に、目二つ口一つに加えて、鼻一つ耳二つまでついているのです。
それが手を動かすごとに動くのです。
勉強中にふと左手に目をやると、その顔が
痒くて疼いているせいでしょう。
とりあえずドラッグストアに駆け込み、塗り薬を買い求め、塗りたくりました。
スッとして良い感じです。
ところがです。また勉強に集中しているところ、どこからか声がしました。
「苦しいじゃないか。変なもの塗るなよ」
どこから声が聞こえてきたのかわかりません。自室に一人でいるのです。
「ここだよ、ここ!」
ふと左手の甲を見ると、顔が口をもぐもぐさせていました。
「嘘だろ!」僕は叫んでいました。
「嘘なんかじゃねぇよ。早くこの気持ち悪い膜を取ってくれよ」と口をパクパクさせているのです。
とにかく言う通りに塗り薬を洗い落としました。
「ああ、すっきりした」顔が言うのです。
「これからあんなもの塗るなよ」
「あれを塗らないと治らないじゃないか」
「だったら顔に塗るのはやめろ。周りだけ塗れよ。それで腫れは引くだろ」
顔の言う通りにしました。
確かに顔の周りの腫れは引きましたが、そのおできのような顔は残ったのです。
そして大事な試験当日となりました。
試験中も顔が話しかけてくるのには閉口しました。
ついには「なに悩んでんだ? 問題教えろよ。答えてやるからさ」と言ってくるのです。
その声は僕にだけ聞こえるのです。
問題を教えるには口に出さねばなりません。
どうしてもわからない問題があって、誘惑に負けて、左手の顔を隠すためにつけていた大きめの手袋越しに口を近づけ顔に伝えました。手袋は事前に事務室で許可をえていたのです。
顔は呆れながらも答えを教えてくれたので書き込みました。
「君」
背後から声をかけられてドキリとしました。
試験官からの声かけで、ブツブツ物言いと、手袋を見とがめられ、手袋を取って見せるように言われました。
いけない、顔の存在がバレる。
しかたなく手袋をとって見せました。
例によって、左手の甲には赤いものがありましたが、不思議に顔はありませんでした。
試験が終わって顔に言いました。
「あれは焦ったな」
「はは、やばいと思って引っ込んでやったんだよ」
三月になって試験結果がでました。
不合格です。もう一つ受けていた大学も滑りました。
僕は浪人することになりました。
ところが家庭の経済状況が悪化し、両親には大学に行きたいのなら、自分で働いて行って、と言われてしまいました。
とりあえず近くの工場にアルバイトに行くことにしました。
プレス工場で機械に物を置いて、ボタンを押すだけだったのですが、舐めていたことが災いしました。
ついつい、左手を置いたまま作動させてしまったのです。
左手は潰れ、顔の断末魔が聞こえました。
その悲鳴はしばらく耳を離れなかったものです。
僕の左手は手首からなくなってしまいました。
僕は左手を失った悲しみとともに、顔と話せなくなったことにも少し寂しさを感じていました。
病院を退院して、しばらく自宅で療養していました。
包帯を取ってお風呂に入ったあと、左腕の傷口が、なんだか痒く感じました。
もしや化膿とかしているのではないかと切断口を見ました。
はじめてじっくり眺めたのですが、肉の部分が赤く腫れているような感じがします。
それと真ん中に白い骨が少し見えています。
なんともえぐいものがありましたが、それもしかたないとアルコールをかけて包帯を巻きました。
すると、「おい、そんなものかけたら酔っちゃうだろ」と声がしました。
もしやと包帯を外すと、そこに顔がありました。
以前と違うのは真ん中に骨が見えていることです。
「すまない」と顔をテッシュで拭きました。
「おまえ、俺がしばらくいなくて寂しかっただろ」と言ってきました。
どうやら骨周りが口になっているようで、微妙に動きます。
僕はちょびっと頷きました。
「だろ。俺もいったん潰れてびっくらこいたぜ。まさかあんなことになるとはな。おまえがぼーっとしているからだろ」
「本当にすまない」
「まあいいや。済んだことは。これから気をつけろよな。これ以上腕が短くなったら余計難儀だぜ」
「わかった。気をつける」
「それでだ。食べ物をくれよ」
「食べ物?」
顔をこれまで食べ物を要求してきたことはありませんでした。
口こそありましたが、しゃべるだけです。
「そうだ、歯ができただろ。これを使ってみたいんだ」
「歯?」
顔は口をニッと余計に開けてみせました。
白い骨がわずかに大きく見えました。
「これは歯じゃないよ。ただの骨」
「骨のように見えて歯なんだよ。そこのポテチ持ってきてみ」
食べかけのポテトチップスの袋を持ってきて、一枚を顔の真ん中に差し出しました。
すると口が小刻みに振動して、ポテチを細切れにするではありませんか。
しかしポテチは中に吸い込まれるどころかぽろぽろと下に落ちました。
これって何かに似ているなと考えたら鉛筆削りでした。
鉛筆削りのようなポテトチップス削りを眺めながら、これからどうしたものかなぁと陰鬱に考えるのでした。
(了)