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第51回「小説でもどうぞ」選外佳作 「サナ」と過ごした十年間 齊藤想

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小説
小説でもどうぞ
第51回結果発表
課 題

寄生

※応募数339編
選外佳作 

「サナ」と過ごした十年間 
齊藤想

 大きな虫に情熱を燃やすようになったのは、小学校五年生のときの林間学校での昆虫採集がきっかけだった。
 体験学習として、クラス全員による虫取りをしたのだが、私が捕えたトンボが抜群に大きかった。黒い体に黄色の縞模様。見た目も抜群にかっこいい。
 先生は目を見張った。
「お、これはオニヤンマだ。珍しいなあ」
「オニヤンマというのですか」
「そう。日本で一番大きなトンボだ」
 クラスのみんなは、私が持つオニヤンマを羨ましがった。
 このときの成功体験が、私を虫の世界へといざなうことになった。
 愛読書が昆虫図鑑とファーブル昆虫記になった。スマホに触れる時間が減った。近所の草むらでショウリョウバッタを探すようになった。バッタの種類によって、食べる草が違うことも知った。
 ますます虫の世界にのめり込んだ私は、父親に頼んで山でキャンプを張り、ミヤマクワガタを捕まえにいった。雑木林で灯りをぶら下げて、ヤママユという大型の蛾が集まってくるのをうっとりと眺めた。
 真っ暗な雑木林の中で蛾を見て楽しむなんて、周囲からしたら気色の悪い小学生と思われたかもしれない。しかし、好きなことに熱中することに、良いも悪いもないのだ。
 そのうち、私は虫を卵から育てることに興味を覚えるようになった。カブトムシやオオクワガタは、1cm単位で値段が違う。ひときわ大きな個体は高額で取り引きされる。
 大人になったら、世界一大きな虫を育てよう。私はそう決心した。
 虫を育てるのは体力勝負。私はスポーツのためではなく、虫を育てるために体を大きくしようと考えた。
 牛乳を飲み、ひたすら走り込んだ。バスケをすると身長が伸びると聞いたので、中学入学とともにバスケ部に入部した。
 身長は思ったより伸びなかったが、三年間で体力はついた。
 私のあこがれは、東南アジアに住む世界最大の虫を育てた老人だ。小柄でやせ形だが、無限の体力と、その体力を支える強靭な内臓を持っていたのだろう。
 老人の姿を見て、私の情熱はますます燃え上がる。
 私は好き嫌いを言わずに、なんでも食べるようになった。胃腸を鍛えるために、少しぐらい古くなった牛乳も平気で飲んだ。ゲテモノ食いにまで手を染めた。生肉までかみ切れるようになった。
 ときおり母親から怒られたが、将来の夢を思うと、ここで努力を中断することはできない。目指すは、世界記録なのだ。
 私は大学で生物学を専攻し、アフリカや東南アジアでの研究に従事する機会を持った。
 初めて見た野生のヘラクレス・オオカブトに感動した。顔が隠れるぐらい大きなアトラスモスが指に留まったときは、小学校以来の興奮を覚えた。世界一重いゴライアスオオツノハナムグリを手にしたときには、その重量感に神々しさまで感じた。
 大きいは正義。私はますます大きい虫にあこがれを持つようになった。
 虫の世界に没頭しているうちに、私は四十代になった。
 準備は万端だった。
 私は研究を続ける一方で、子どものころからの夢だった巨大な虫を育てるための飼育を開始した。
 私は「寸白」と呼ばれる扁形動物門に属する虫の卵を、東南アジアの農村地帯で採取した。十年以上の寿命を持ち、育てれば育てるほど巨大化する可愛い虫だ。
 検疫で没収されないように、秘密裏に日本国内に持ち込んだ。
 私はこの虫を十年以上育てる決心をした。私はその虫を可愛がるために「サナ」と名づけた。雌雄同体だが、雌だと思い込むことにした。
 私は「サナ」を決して手放さなかった。論文執筆のための現地調査のときも、手元に置き続けた。「サナ」と何度も一緒に飛行機に乗った。まさに一心同体だった。
「サナ」を飼育するために、私は全力を尽くした。「サナ」こそ私の生きがいであり、全ての目標だ。
「サナ」は大きいだけに、飼育はまさに肉体労働だ。「サナ」が成長するたびに、飼育の負担が増していく。
 私は体力を維持するために、炭水化物と脂肪を積極的に摂取した。病気にならないよう栄養バランスも万全の注意を払った。
 それでも十年間は長い。五十代になると体力が一気に落ちた。
 もう限界だった。断腸の思いで、私は「サナ」を手放すことにした。
 私は「サナ」とともに、病院に駆け込んだ。世界記録が更新されたことを願いながら。
(了)