【制作の裏話】絵to短歌 vol.04 森優×工藤玲音
絵と短歌のコラボレーション企画「絵to短歌」。工藤玲音さんが、毎回変わるイラストレーターの絵から短歌を詠む、季刊公募ガイドの連載です。ウェブでは、制作後におこなった工藤さんとイラストレーターの対談をお届けします。
お題 | 幽霊
森優
イラストレーター、漫画家として活動。展示やイベントでも作品を発表している。浮遊感のある構図が得意。WEBメディア「MEGLY&CO 」にて「半径1mのめぐり手記」を連載中。
工藤玲音
1994年生まれ。コスモス短歌会所属、著書に第一歌集『水中で口笛』、中編小説『氷柱の声』、エッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』『虎のたましい人魚の涙』など。
[対談]
森優
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工藤玲音
冬の始まりにある寂しさと愛情を表現した。
最終回のお題は「幽霊」。同郷だからわかる冬の始めの感覚や、自身の作風、個性について伺いました。
CONTENTS
- 1. 何をしても満たされない気持ち
- 3. 森優へ贈る「あとはまかせて」
01_何をしても満たされない気持ち
さっそくですがお二人は、同じ岩手県盛岡市在住でもともとお知り合いだったそうですね。
森優:3年前、岩手アートディレクターズクラブ(IADC)のパーティでご挨拶させてもらったのが初めてですね。
工藤:そのあと1回お茶して3年くらい空いて、今年の10月に共通の知人と一緒にランチをして親しくなりました。
最近になってからなのですね?
工藤:この3年間でふたりともは同じくらいの速度で仕事が増えていっていたんです。ジャンルは違いますが、同じようなタイミングで同じような規模のお仕事を受けていることをずっと耳にしていました。初対面のときはよそ行きモードでお話ししていましたが、今は話したいことが似てきているんじゃないかと思って、会って話してみたらやはりそうだったんです。
なるほど。今回、森優さんにご依頼したのは編集部からのご提案だったので偶然でした。
工藤:誰かと一緒にお仕事をする機会があっても、自分から名前を出すには近すぎるかなと思っていました。だから今回はびっくりしましたし、うれしかったです。
森優:すごくいいタイミングでしたね。
今回、森優さんには複数のお題の中から「幽霊」というお題でイラストを描いていただきました。このお題を選んだのはなぜでしょうか。
森優:このお題をいただいたのが10月で、冬の匂いがしてきていました。肌寒くなると、寂しくなるなと日常的に考えていたんです。寂しさとか欲とかに憑りつかれて、「寂しいから埋めたい」「ぬくもりがほしい」「奪いたい」っていう気持ちになる。何を買っても、誰に会っても、いくら手を伸ばしても何にも触れられず満たされない体になってしまった。それがゴーストに近いなと思っていたところだったので、タイムリーな感覚を表現できたらなと思い、「幽霊」を選びました。
四角形の小さなコマの中にさまざまなモチーフが描かれていて、パッチワークのようだと感じました。
森優:灰色の空など冬っぽいモチーフと、乾いた感じのある日常の風景を選んでみました。構図については、普段からコラージュのような作品を制作しています。考えてそうしているわけではないのですが、私はいつも頭の中が整理できていなくて混乱している状態で、それが作品に出てきているんだなと最近は思っています。今回のパッチワークのような構図も、パチパチと全部が過ぎて行ってしまう感じ、見たものを留められずチカチカしている自分の生活感が表現できそうだと思ってチャレンジしてみました。
02_季語にヒントを得て短歌を作った
工藤さんは、絵を見てどのように短歌を作られましたか。
工藤:絵からも、森優さんが仰っていた冬のイメージからも「同じ土地に住んでいる人が描いた冬だな」という感覚を持ちました。
まだ雪が降っていないから「もう冬だぞ」っていう覚悟が決まっていない、でも、もう秋ではないという時期はとても忙しない気持ちになります。数ヶ月先に向かってどんどん狭くなる感じがするんですよね。行動範囲が物理的に狭くなるし、年末に向かって遊びがなくなっていく。11月くらいの岩手は「さっさと選んでまっすぐ進んでいかないといけない」感じがあるような気がしていて、その感覚が入った絵だなと個人的には感じています。
同郷だからこそ、感じ取れることですね。
工藤:今までの3回の絵は何らかのシーンが描かれていて、短歌を作るうえでストーリーが作りやすかったんです。今回の絵は要素が多いとも言えますが、一方で主人公が不在なようにもとれます。構図についても、モチーフをてんこ盛りにしたいのではなく、どれにもしたくないのだろうと私は受け取りました。
今までは主人公を立てて短歌を作りましたが、せっかく同じような景色を見て育った方のイラストなので、最後は「工藤玲音の冬」「岩手の冬」が出てもいいんじゃないかという気持ちで2首作りました。
工藤:1首目はお題が「幽霊」だったので、「幽霊」らしい感じをしっかりめに入れたいなという気持ちがありました。走馬灯のように、どんどん取りこぼしながら拾うような、「どうしたらいいんだ!」という感覚をそのまま出してもいいかなと思ったので、この中に描かれているものを羅列しました。
「蔓珊瑚(つるさんご)」が特徴的ですね。
工藤:赤い実が何の実のつもりで描かれているのかを考えていたときに、茶道をやっている友達が「鵯上戸(ひよどりじょうご)」という植物を教えてくれました。鵯がお酒に酔ったかのように夢中で食べる実ということが由来らしく、秋の暮れの季語なんです。「鵯上戸」の傍題に「蔓珊瑚」があり、そこからとりました。
イラストの中で赤い実だけが枠を超えていることから、街や山などを羅列する中で一つだけ解像度が高いものがあると面白いかなと思いました。イラストを模写するつもりで、システム的な書き方をして遊んでいます。
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森優へ贈る「あとはまかせて」
03_森優へ贈る「あとはまかせて」
2首目は、1首目とまったく異なる雰囲気ですね。
工藤:今回は個人的に作ってもいいやと思ったので、一番遊びました。今までの方はお会いしたことがなかったので、どこまで体を預けていいか探り探りで2首作りましたが、今回は体をがっつりもたれてもいいかなと思いました。
今回は工藤さんの実感がいつもより強く出ているのですね。
工藤:そうですね。結句の「あとはまかせて」には、この冬に東京へ引っ越す森優への気持ちも入れつつ思い切って作ってみました。
絵から、映画的なシーンも感じたんです。ドラマチックではないんですけれど、何かのシーンではあるような感じ。1首目は単語の羅列だったので、2首目はセリフっぽくしても面白いかなと思いました。今まではフィクションが多かったのですが、今回は非常にノンフィクションな出来になったと思います。
森優:うれしいです。
工藤:絵に出てくる人と幽霊は、別人なのか、もしかすると同一人物で幽体離脱しているのか、などいろいろな読みようがありました。車が描いてあるし、風も吹いているし、幽霊が確実にどこかへ行きそうな形をしているんです。
上のほうへスーッと上っていくようにも見えますね。
工藤:でも、切ない感じでもない。感情のどれも特定しないけれど、否定もしない感じがすごいです。煙草も一つだけあったり、牛乳もあったり、あと幽霊の上にあるものが煙草の端っこなのか、それとも……といろいろ考えました。「ぜんぶがぜんぶあんたのせいじゃないからささっさと乗りな」のほうは、もし私が盛岡を出ることになったら言われたいと思ったセリフです。描かれているイカした車に、どんなふうに言われて押し込められたいかなと想像しました。
とてもかっこいいセリフだなと思いました。
工藤:このイラストを「冬の切なさ」とひとくちに言われたくない。これくらいの勢いや色気があってほしいなと思って作りました。
森優さんは2首を読んでどう思われましたか。
森優:うれしくて何度も読みました。
1首目はシーンが流れていく感じをそのまま表現してくださって、「全部大事に空まで持っていく」というような温かみも感じました。言葉の羅列はどこか温度のない感じがするけれど、「思い出すため」っていう言葉には温かみがありますね。
先ほど、寂しさや満たされない気持ちがきっかけで描いたと言いましたが、寂しさに気づいたとき、そのままにしていると消耗していくと思うんです。誰かを喜ばせたり、愛情を伝えたりすることで奪いたい気持ちが満たされます。寂しさと愛情のどちらも盛り込みたかったので、工藤さんの短歌はそういう気持ちに寄り添ってくれている感じがします。
工藤さんの短歌にも、寂しさと愛情の両方を感じますね。
森優:2首目は対話しているような視点になっています。自分へのメッセージも込められていると聞いて、とにかく心強い気持ちになりました。自分の解釈のほかに作っていただいた2首によって、一つの絵にたくさんの意味や視点を与えていただけたので、とても豊かな作品に育ったなとうれしかったです。
04_作風や個性は意図せず定着する
森優さんの作品は色づかいや人物の表情など、独自のタッチがありますが、どのように確立していくものなのでしょうか。
森優:タッチは自分でこうしようと決めて描いてきたのではなく、練っていって辿りつきました。人物にあまり表情がないのは、3年くらい落ち込んでしまった時期があって笑顔がどうしても描けなかったんです。だんだん表情が増えてきてはいるんですけれど、最近は落ち着いた感じの作風として定着してきたかなと思います。私はだいたいとぼけているので、とぼけた表情になります。自分の感情に近いものを載せていますね。「作風を確立した」というよりは自分が感じるまま、生きるままに出力されて流れ込んでいるっていう感覚が強いと思います。
工藤さんは作風や自分の個性を意識して書かれているのでしょうか。
工藤:「こうしかできません」って言って書いていたら、それを私らしさだと思ってもらえるようになったのかなと思っています。
むしろ、私が「私っぽさ」にとらわれないように気を付けようと思っています。慣れてくると、書いているときに「これって私っぽい文章かも」と思うことがあるのですが、そういうときは文章を消してますね。なるべくシンプルな文章にしたいんです。読者が全部読んで最終的に「くどうれいんの文章だ」と思うのはいいのですが、私が「ご覧あれ、くどうれいんの文章だ」と思って書くのは違う気がします。私が私のものまねをするようなことだと思うので、そうならないようにしたいです。
くどうさんっぽさを消していくのですね。
工藤:森優さんは「自分がとぼけているからとぼけた表情を描く」とおっしゃっていました。私も難しいことをよく知らないから、簡単な言葉でしか書けないという感じですね。
文体に関しては、高校生のときはもっとクセが強かったのですが、顧問から「読んでいて疲れる。体力がいる」と言われたことがありました。それはよくないなと思って、なるべくシンプルな文章を書くようにしています。とにかく、文章が伝わってからでないと、内容などそれ以上のものが伝わらないですよね。
「クセの強さこそ自分の個性」と思い込みやすいと思います。
工藤:自分のひねくれにそこまで価値があると思い過ぎないほうがいいんだなって。普通のことを普通に書くってすごく難しいことなんだなと高校生のときに思いました。こだわりやひねくれ勝負の芸風は、16、17歳くらいでおしまいにしました。「れいんさんっぽい」って言われると、文章のどこかに引っ掛かりがあってするっと読める文章になっていないからそう言われたのかもって思うときもあります。
作風や個性は確立したり、押し出したりするようなものではなく、むしろ意図せず作品に滲み出てしまうものということですね。お二人ともありがとうございました。
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