「とっておきじゃないことを書く」くどうれいん エッセイ集『虎のたましい人魚の涙』刊行
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エッセイ、小説、短歌、童話と枠にとらわれず創作活動を続けるくどうれいんさん。今回は新刊エッセイ集『虎のたましい人魚の涙』のことや、「とっておきじゃないこと」を書くコツについて伺った。
くどうれいん
1994年生まれ。コスモス短歌会所属、著書に第一歌集『水中で口笛』、中編小説『氷柱の声』、エッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』『虎のたましい人魚の涙』など。「季刊公募ガイド」絵to短歌連載中。連載記事はこちら。
『虎のたましい人魚の涙』
(講談社・1540円)
文芸誌「群像」の連載エッセイ「日日是目分量」に、書き下ろし1編を加えた23編を収録。会社に勤めながらの作家生活や身近な人との日常生活が細やかに書かれており、読む人の心に響く。帯には以前よりくどうさんのエッセイを読んでいたという上白石萌音さんや杉咲花さんの言葉が寄せられている。
他人事の距離感の
出来事しか書かない
――新刊『虎のたましい人魚の涙』はくどうさんにとって3冊目のエッセイ集ですね。連載「日日是目分量」をまとめたものということですが、この連載自体のコンセプトやテーマはありますか。
くどう今まで出したエッセイ集はテーマが決まっていました。『わたしを空腹にしないほうがいい』は「食」、『うたうおばけ』は「人」というふうに。今回は「日日是目分量」というタイトルと、原稿用紙10枚という分量だけで、特にテーマは決まっていませんでした。テーマがないことで、私の日常生活の様子をどの本よりも書けたと思います。
連載を始めてすぐは、「私が『群像』に連載を……?」という気持ちがあったので、読者のみなさんに失礼のないように、毎回勝負する気持ちで書いていました。タイトルにもなっているエッセイ「虎のたましい人魚の涙」を書いたあたりから、「これ、毎月あるんだぞ」ってことに気がついて、肩の力を抜いて日常生活を書けるようになりました。
――読ませていただいて、こんなに細やかな感情まで書いてしまって大丈夫なのかな?と思いました。
くどうほどよい距離感の出来事しか書かないようにしています。読んだ方はハラハラするかもしれませんが、私としては無理やりさらけ出そうとして書いてはいないです。熱が冷めたもの、ヒリヒリしていないものを選んで書いています。
収録している「うどんオーケストラ」のときだけは「ううーん!」と唸りながら出したところはありますが、それ以外は客観視して書いています。
――くどうさんのエッセイはディティールが細かくて、とても臨場感があります。全部覚えているのですか。
くどう映像に近い感じで記憶していて、それを思い出して書いている感覚ですね。全部正しく記憶しているわけではないと思うのですが、「そこかい!」と思うようなことを記憶するという趣味があるんですよ。その蓄積がエッセイになっていっているような気がしますね。
――会社に勤めながら書くという忙しさの中で、「そこかい!」を気に留められない状況になりませんでしたか。
くどう躍起になっているところはあると思います。いかに然もないことを大事に取っておくかということに。だから、みんなが覚えていることを逆に覚えていないんです。道とかも全然覚えられないし。誰かが覚えていてくれるようなことはその人に聞けばいいけれど、今ここで起きたことは私しか覚えていないかもしれないと思って、貯めておく習性があります。
――思い出深い作品はありますか。
くどう「祝福の速度」は周りからの評判がいいですね。感想も多いし、私もエンジンをふかして勢いよく書いた感覚があります。
あと、最初のほうに入っている「蠅を飼う」を出したときは引かれるんじゃないかとハラハラしていたんですけど、気に入っているという声も届いているので、よかったです。
3番目に書きたいことを
書くくらいがちょうどいい
――月に何編エッセイを書いていますか。
くどう「群像」の連載と毎週火曜日の「日本経済新聞夕刊」、雑誌のエッセイが1~2編なので、毎月7~8編ですね。
――書くことが思いつかないときはありませんか。
くどうでも、生きているので。今起きていることを書けば、いくらでも減らないような感じがしています。書けなくなったら、書けないですってことを書くと決めているので、「ネタ切れだ。どうしよう」って思ったことはないですね。
――毎日の出来事が作品のネタになるということですね。
くどう公募系のエッセイは、ここぞ!なものをみんな書きがちだと思うのですが、意外と審査員もそういうエッセイは見飽きているんじゃないかな。私は特別なことは書かないと決めていて、エピソードじゃないところで勝負したいと思って書きつづけています。
ダイヤモンドを見せられて「美しい!」と書くことは誰でもできると思うんですけど、「ここの川の石、超かわいい!」みたいなことはその人しか書けないと思うんですよ。
――つい、「特別なことを書かないと」と思ってしまいます。
くどう私もエッセイのコンクールに出していたときは、とっておきの自慢できることを書こうとしていましたが、自慢できないことを書いたほうがいいんじゃないかと最近は思っています。「これは面白くならないんじゃないか」っていうフィルターが自分の中にあると思うのですが、そこでふるい落とされているもののほうが面白いことに気づいてほしいです。
審査員の方もおいしそうなケーキやワインや寿司が出てきたあとで、ティッシュにくるまれたクッキー1枚を出されたら、絶対そっちを覚えていると思うんですよ。私はそのクッキー1枚を書きたい。文章力よりも、これって面白いよねと差し出す勇気というか、自信みたいなものがあるから私は書けているなと思いますね。
――「面白くならないんじゃないか」というフィルターを変えるにはどうすればいいでしょうか。
くどう「読者を信頼しているかどうか」かもしれないです。友だちにしゃべるときは、くだらないことでも面白がってくれると思ってしゃべれるじゃないですか。その感覚で書いています。だから、読者によい、悪いと評価されるって思っていない。カフェでコーヒー片手に向かいでしゃべっているような気持ちで書いています。
――とっておきじゃないことを書くコツはありますか。
くどう書きたいことに順位をつけて、3番目くらいのものを書くのが一番ちょうどいいような気がします。普段書いていない人は書きたいことがいっぱいあるはずなんですよ。とっておきのエピソードがあると思うのですが、それを書くと「見てー!」ってほうにギラギラしちゃうと思うので、言わなくてもいいくらいのことを書いたほうが、肩の力が抜けて読みやすくなる気がします。
めちゃくちゃ書きたいって思うときは、自分の中でコンテンツになっちゃっているんじゃないかと思うんです。書くと変な演出が入ってしまったり、書いてしまったこと自体にくよくよしたりするんですよね。自分をすり減らすために書いているわけではないので、本当に書けないとき以外はとっておきのことは書きません。
――すり減らしていくと、いつか何も残らなくなってしまいますよね。
くどうそうですね。あとは、エッセイとは別に毎日日記を書いています。ご飯を作るのと同じような感覚で、書くことが生活リズムの中に入っています。書くこと自体も「とっておき」にしない。まだまだうまくなりたいと思っているのですが、うまくなるにはやっぱり書くしかない。書き終わった後にテンションが上がるものをこれからも書きたいです。エッセイも童話も小説も。