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【制作の裏話】絵to短歌 vol.03 大久保つぐみ×工藤玲音

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絵to短歌

絵と短歌のコラボレーション企画「絵to短歌」。工藤玲音さんが、毎回変わるイラストレーターの絵から短歌を詠む、季刊公募ガイドの連載です。ウェブでは、制作後におこなった工藤さんとイラストレーターの対談をお届けします。

お題 | 風

大久保つぐみ

1990年生まれ。日本大学藝術学部美術学科卒業。2015、2018、2021年ザ・チョイス入選。定期的に個展を開催。最新は2022年7月「永遠遠泳」。作品制作は主にマーカーを使用。

工藤玲音

1994年生まれ。コスモス短歌会所属、著書に第一歌集『水中で口笛』、中編小説『氷柱の声』、エッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』『虎のたましい人魚の涙』など。

[対談]
大久保つぐみ
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工藤玲音

表に出さない作品たちのうえに成り立っている。

今回のお題は「風」。コスモスについての発見や、「多作多捨」という制作の考え方について聞きました。

01_コスモスの一番の特徴はなぎ倒されること

大久保さんに「風」というお題で絵を描いていただきました。いくつかのお題候補から「風」を選んだのはどうしてですか。

大久保:一番いろいろな風景を描きやすいなと思ったので「風」にしました。それと、雑誌の発刊時期が秋なので、秋っぽいものを描けそうだと思ったというのもあります。

倒れているコスモスや空の色合いなど、全体から秋を感じます。この景色は実際にある場所ですか?

大久保:実際にあります。実際の景色そのままではないのですが、前に住んでいた家の近所にあった風景です。散歩がマイブームだった時期によく通っていました。今は整備されて駐車場か何かになってしまったので、この場所はなくなってしまったんです。前は雑草がたくさん生えていて、資材置き場みたいな感じで使われていました。あったけど、もうない場所です。

今はない風景を描かれたのですね。工藤さんの短歌に「廃墟」という言葉が入っていることにドキッとするところもありそうですね。

大久保:人の手があまり入っていないというところがリンクしていて「なるほど」と思いました。

この場所に、秋の思い出があるのでしょうか。

大久保:季節によって風景が変わるのがいいなと思っていました。秋はコスモスがいっぱい咲いていてきれいだけど、誰かが植えたわけでもないし手入れされているわけでもない。雑然とした感じが気に入って、いつか描きたいなと思っていたんです。台風か、大きな風が通った後なのか、コスモスがなぎ倒されている感じがいいな、お題にも合うなと思ったので今回この風景を描きました。

工藤さんはイラストを見て、どう思われましたか。

工藤:めっちゃ秋だなということと、とても生々しくて見覚えのある景色だと思いました。たとえば「秋っぽい写真を撮って」と言われたときに、1枚目に撮る写真ではないと思うんですよ。いわゆる秋を表すものって、紅葉などいろいろあると思うのですが、気温が熱すぎなくてまだ植物が元気な感じが、「知っている景色だ」という感覚がありました。「風」っていう目に見えないものをテーマに描かれているけれど、風の通った跡があるなと感じます。
私はコスモスがとても好きなんです。「コスモス短歌会」に所属しているのですが、コスモスが好きという理由もちょっとあります。イラストを見て、コスモスの一番の特徴はなぎ倒されることだよなあって思いました。

大久保:あはは!

工藤:コスモスってけっこう繊細じゃないですか。あんなにたくさん生えるのに、まわりの花に依存しないと立っていられないし、しょっちゅう土埃や泥にまみれているのを見ます。絵を受け取ったときはまだ夏だったので、短歌を作るにあたって秋の気持ちになるためにイラストにすごく助けられました。

大久保:ありがたいです。

02_コスモスもショッカーも倒されたくて倒されてる

工藤さんはイラストから、どのように短歌を作ったのでしょうか。

工藤:イラストがリアルで、私の実体験に紐づいている感じがあったので、逆に迷ったところがありました。そのまま詠むのもつまらないなと。せっかくここまで生々しい絵があるならリアルな歌にしたいなと思って、印象的な秋風とコスモスで一首ずつ詠もうと思いました。


廃墟から秋風が来て思い出すファーストキスは階段だった
あっけなく倒されたくて倒されるコスモスも悪者もわたしも


工藤:なぜだかわからないのですが、通学っぽいイメージを持ったんですよ。

大久保:なるほど。

工藤:高校生のとき、こういう景色を見ながら歩いていたなっていう感じがしました。1首目は私のファーストキスが階段だったわけではないのですが、秋風は感傷的になりがちだからこそ、ちょっとチューでもさせてみようかという気持ちになって。今回は取り合わせで詠みましたね。
2首目は「やっぱりコスモスって倒れるものだよな」という気づきがありましたが、コスモスって負けてる感じはしないんですよね。コスモスとして生まれてから、ここまで生き残るなかで倒れないようにもっと短くなってもよかったと思うんですよ。

大久保:なるほど!

工藤:馬鹿だなあって。もっと倒されないように進化するルートもあっただろうに、みんないっせいに倒されるって方法で生き延びてきたんだよなって思ったんです。それって「倒されたくて倒されてる」ところが多少はあるだろうなって。ショッカーは倒されるために出てくる最初の悪者みたいな感じがありますよね。かわいげがあるじゃないですか。倒されてもあまり可哀想って思わない。馬鹿だなあって思う感じ。ファーストキスを思い出すときも馬鹿だなあって思う感じがあるような気がしていて、だから倒されるものとして並べてみました。

大久保:めっちゃ面白い!

「あっけなく倒されたい」って、どんなときに思うのだろうと思っていました。

工藤:そう思ったことがあるというよりは、コスモスが倒れることのほうが先にありました。コスモスって嵐じゃなくても、ちょっと強めの秋風くらいであっけなく、あああーって倒れているイメージがあって。それはもう、倒されたいのではないかと思ったので、「あっけなく」にしました。馬鹿さを出したかったというというか。

大久保:すごい!

工藤:倒されてこそ、みたいなところがありますよね。

03_「泣けちゃうね」にしたくない

大久保さんは、短歌を読んでどう思われましたか。

大久保:すごいと思いました。この1枚からここまですてきな短歌ができるなんて、と感動しています。たまたまですけど、奥に見える三角屋根が高校の校舎の一部なんです。だから、「高校のときを思い出して」と仰っていて、つながっている部分があるのかなと思いました。コスモスのほうの歌は「わたしも」と入れているのがいいなと思って、コスモスだけじゃなくて自分のことも含めていることに潔さみたいなものを感じました。自分も当事者です、みたいな。

工藤:うれしいです。ありがとうございます。
このイラスト自体が今「エモい」と言われているものにあまりどっぷり浸からせないぞみたいな感じがしていて。秋って物思いの季節だから、どうしても失恋とかドラマチックな出来事に浸るのが気持ちいいと思います。でも、この絵は明るさというか、「別に、今の生活がありますんでね」みたいな思いを感じてそれが好きだなと思いました。「どうだ、秋だ。参ったか!」ではなく、「ま、そういう過去もありましたけどね」という感じ。

大久保:一首目は特にそんな感じですよね。

工藤:「写真をさっと撮って、後は夕ご飯のことを考えながら散歩を続ける」みたいなテンションを出せたらいいなと思いました。

大久保:すごい。そこまで読み取られるとちょっと怖いですね。私は基本的に自分が見たところや行ったところを忘れないように、風景や空気を描き移そうという気持ちで描くことが多いです。全ての作品に物語性を込めたり、ドラマチックにしたり、「泣けちゃうね」みたいな感動を強要したくないんです。何気なく見て「うわ、やられた」みたいな、たまにぱらっと見たいなくらいに思ってほしいです。心の拠り所のように思われてしまうと、「いや、もっと周りに大事なものがあると思うので、そっちも大事にしてくださいね」という気持ちになってしまいます。

工藤:めっちゃわかります。

大久保:人によっては昔住んでいた場所に似ててとか、盛り上がる気持ちもわかるんですけど、それを作者として受け止めきれるかが不安なところがあります。「こういう場所はたくさんあるんでね」みたいな気持ちがあるので、見透かされてるのかなとちょっと怖かったです。

工藤:いや、たぶん私もそうだからかもしれないです。大久保さんが言っていた「泣けちゃうね」みたいなものにしたくないと思いながら作品を作っています。ドラマチックだと思われてもいいんだけど、私自身は「ご覧、ドラマだよ」って気持ちで出したくはない。

大久保:そうですね。見た人が各々で共感したり、心に留めたりしているのはいいのですが、みんなで「これ、超泣けるよね!」みたいな感じは目指していない。じっくり、じんわり、風呂に浸かっているときの脱力感がいいなと思っています。暑くも寒くもないけどサラッとした感じを描きたくて、歌からもそれが感じられてすごいと思いました。

04_しかばねのうえに渾身の作品がある

大久保さんはイラストをマーカーで描かれているそうですね。鉛筆で描いた線のうえにマーカーを塗ると、消しゴムで消しても線が残ってしまうと思うのですが、本番の用紙に下描きはしていますか。

大久保:しないですね。マーカーでアタリだけとって、どんどん描きます。

一発描きということですよね。想定と違う絵になってきた、と思ったら描きなおしですか。

大久保:長く描いていると、想定と違ってきてもどうにか終わらせることができるようになりましたね。逆にこっちを生かしたら面白くなるんじゃないか、と考えるようになりました。
やっぱり違うなと思ったら、序盤で描きなおします。かなり描いてから「もったいない」という気持ちで進めると、あまりいい絵にならないんですよね。ぐだぐだ描くよりは、描きなおすほうが楽しく描けます。

短歌では一発書きのようなことはありますか。パッと一首浮かぶというようなことは?

工藤:ちょうど先日、歌人の山田航さんとのイベントで同じような質問が来て、「いや、そんなことないよね!」って話しました。
大久保さんが話していたように、短歌でもアタリをつけるんですよ。この言葉を入れたい、これを際立たせるためにそのほかの部分はどうしよう……と考えていきます。
今回の一首目なら「コスモス」の四文字がアタリとして入るので、「コスモスを」とか「コスモスは」とか、助詞をつけると五音になる。五七五七七のうち、五が固定されます。余白に何を埋めようかなというふうに作っていくことが多いです。

パッと思いついたら苦労しない……という感じでしょうか。

工藤:「多作多捨」っていう考え方があるんです。いっぱい作っていっぱい捨てるっていう。一首にすごく命を込めているわけではないんです。とりあえず写真を撮るみたいな感じで、短歌もとりあえず三十一音にしたけど、本当に使うかは後の私が考える、みたいな。百首会っていう集まりがあるんですよ。百首作った人から解散できるっていう。

大久保:めっちゃいいですね!

工藤:とにかくダサくて下手でいいから、五七五七七のリズムのものをとりあえず百首出す。

大久保:それ、多作って意味ではすごく大事なことですよね。とりあえず手を動かしてみる、みたいな。

工藤:そうですね。あと、手癖みたいなものが見えてくるんですよね。四十首を超えたあたりから、「こういう言い方をしておけば安パイだろう」と自分が思っていることが露呈してくるんです。
締め切りが迫っていて、とにかく頭を動かしたいっていう人がやっていますね。百首作っても八首しか生き残らないということもよくあります。使い物にならないものもたくさんありますが、このフレーズは使えそうだから後で練り直そうということもあります。渾身の一首よりもダメダメの百首みたいな。

大久保:私も表に出していない作品がたくさんあります。自分でよくなかったと思って見せないのですが、この一部分すごくうまくいったな、と思うことがあります。それが仕事やほかの絵に反映されることもあるので、工藤さんのお話を聞いて、みんな似たようなことをしているんだなと思いました。見えていないだけで。

工藤:でも、世に出す作品が渾身になりますよね。

大久保:そうですね! しかばねみたいなものがたくさんあって、そのうえで成り立っていますよね。

受け手は渾身の作品しか見ていないので、常にそういうものができあがるのだと思ってしまいます。

大久保:仕事や締切があるものは、「渾身です!」って言うしかないっていうところもあります。

工藤:本当にそうですよね。

大久保:一番よいものを出そうと思ったらどこまででもできちゃうし、一生出せないままになる気がします。

工藤:私も毎回、締切時点での私のすべてを出したと思ってやっています。

大久保:そうですよね。そのとき出せるベストっていう感覚。最終的によかったのかどうかはたぶん、死ぬまでわからない。

工藤:最終的に胸を張る練習のようになりますね。

絵と短歌のコラボレーションを
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