第4回「小説でもどうぞ」選外佳作 い・い・ふ・う・ふ/刀根由華
第4回結果発表
課 題
記憶
※応募数292編
選外佳作「い・い・ふ・う・ふ」刀根由華
十一月一五日、晴れ。
ほのかに冬の気配をまとった風が吹くなか、私は妻の手を引いて歩いていた。何度も、何度も通った近所の住宅街の道だ。ガードレールのない狭いアスファルトの上を、私たちはゆっくりと歩む。車一台分の道幅には不釣り合いなスピードで駆け抜けていく軽自動車や、よたよたと右へ左へハンドルを切る老人の自転車が通るたび、私たちはこれでもかと道の端に寄り、一時停止した。
「どこまで行くんですか?」
「いつものスーパーだよ。今日の夕食と、明日の朝食のぶんを買いに行くんだ」
「スーパー」、「夕食」、「朝食」をなるべくはっきりと、大きな声で発音する。そうしないと、妻には伝わらない。
「まあ。そうなの」
妻は少女のように感激している。天気の悪い日以外はほとんど毎日この道を通り、スーパーへ行くのに。
私は「そうだよ」と取り繕った笑みを返して、また歩き出す。
「それで、どこまで行くんですか?」
「近所のスーパーだよ」
私は家から二百メートルほどの店に着くまで、同じ言葉を三度返すことになった。
私の妻は認知症だ。診断を受けたのは今から一年ほど前で、その頃は食卓に焦げた焼き魚が並んだり、大量に買ってきた歯磨き粉や洗剤のしまいどころに困ったりといったことが多発していた。最近では、五十年連れ添った私のことも、単なる介護者として見ているようだ。
私はスーパーで調達してきた漬物と鯖の塩焼き、それからホームヘルパーの和泉さんが作りおいてくれた筑前煮をそれぞれ器に盛りつけ、テーブルへ運んだ。
「もみじがきれいですねぇ」
妻は食事もそこそこに、テレビのニュースで流れる行楽地の様子を見つめている。そういえば、認知症になる以前の妻は、学生時代からの付き合いだった房子さんと連れ立って、日帰りのバスツアーで紅葉狩りなどを楽しんでいた。その房子さんは二年前の夏に他界し、妻は塞ぎがちになった。子もなく、近所付き合いもなかった妻にとって、気の置けない友人の死は大きなショックだったのだろう。日中、ぼぅっとすることが多くなり、物忘れが増えた。今では房子さんのことすら、思い出せないほどだ。
――切ない。
夫も古い友人も忘れた妻の目には、この世界はどう見えているのだろう。妻の歩んだ七十三年の歳月は、私と歩んだ五十年は、いったい何だったのだろう。そう思うと、どうにも寂しくてやりきれない。
私の心境など知りもしない妻は、きらきらとした眼差しを東照宮の紅葉へ向けている。
だから私は、妻へ、というよりも、自分自身に何か希望の光のようなものが欲しくて、口を開いた。
「今度、もみじを見にいこうか」
その翌週、私と妻はJR線と地下鉄を乗り継ぎ、日比谷公園に来ていた。
案の定、妻は紅葉を見にいくということを忘れていた。それでもいい。今日のことも、きっと妻の思い出には残らないだろう。それでもいい。ただの一瞬でも、認知症の妻と、その介護をする夫という肩書きから外れ、紅葉を楽しむ老夫婦として過ごす時間を作りたかった。
公園内の木々は、あと一歩で見頃というところまで色づいていた。もう一週間ほどたてば、赤や黄色の絨毯で辺りは埋め尽くされるだろう。妻はまだ青い部分の残るカエデやイチョウを見上げては、ふふ、と頬を緩めている。それだけで、来てよかったと思える。
ふと見ると、妻の白い頭の上にイチョウの葉が乗っていた。私がそれを手でどけようと腕を伸ばすと、カシャ、とひとつ音がした。
「あ……。すみません。素敵な画が撮れると思って……」
音のしたほうを見れば、三十代半ばと思しき青年が、カメラのレンズをこちらに向けて立っていた。
「いい夫婦の日にちなんで、写真を撮ってまして……。あ、私こういうものです」
青年はよれたツイードジャケットの胸ポケットから、名刺を取り出した。そこには確かに「カメラマン・大沢大輔」と記されていた。
「いい夫婦の日?」
「ほら、十一月二十一日の語呂合わせで」
い・い・ふ・う・ふ、とゆっくり、音を切りながら青年は言う。
「まあ、わたしたち、夫婦に見えてるんですね」
「違うんですか?」と、ぽかんと口を開けた青年をよそに、妻はころころと笑っていた。
(了)
ほのかに冬の気配をまとった風が吹くなか、私は妻の手を引いて歩いていた。何度も、何度も通った近所の住宅街の道だ。ガードレールのない狭いアスファルトの上を、私たちはゆっくりと歩む。車一台分の道幅には不釣り合いなスピードで駆け抜けていく軽自動車や、よたよたと右へ左へハンドルを切る老人の自転車が通るたび、私たちはこれでもかと道の端に寄り、一時停止した。
「どこまで行くんですか?」
「いつものスーパーだよ。今日の夕食と、明日の朝食のぶんを買いに行くんだ」
「スーパー」、「夕食」、「朝食」をなるべくはっきりと、大きな声で発音する。そうしないと、妻には伝わらない。
「まあ。そうなの」
妻は少女のように感激している。天気の悪い日以外はほとんど毎日この道を通り、スーパーへ行くのに。
私は「そうだよ」と取り繕った笑みを返して、また歩き出す。
「それで、どこまで行くんですか?」
「近所のスーパーだよ」
私は家から二百メートルほどの店に着くまで、同じ言葉を三度返すことになった。
私の妻は認知症だ。診断を受けたのは今から一年ほど前で、その頃は食卓に焦げた焼き魚が並んだり、大量に買ってきた歯磨き粉や洗剤のしまいどころに困ったりといったことが多発していた。最近では、五十年連れ添った私のことも、単なる介護者として見ているようだ。
私はスーパーで調達してきた漬物と鯖の塩焼き、それからホームヘルパーの和泉さんが作りおいてくれた筑前煮をそれぞれ器に盛りつけ、テーブルへ運んだ。
「もみじがきれいですねぇ」
妻は食事もそこそこに、テレビのニュースで流れる行楽地の様子を見つめている。そういえば、認知症になる以前の妻は、学生時代からの付き合いだった房子さんと連れ立って、日帰りのバスツアーで紅葉狩りなどを楽しんでいた。その房子さんは二年前の夏に他界し、妻は塞ぎがちになった。子もなく、近所付き合いもなかった妻にとって、気の置けない友人の死は大きなショックだったのだろう。日中、ぼぅっとすることが多くなり、物忘れが増えた。今では房子さんのことすら、思い出せないほどだ。
――切ない。
夫も古い友人も忘れた妻の目には、この世界はどう見えているのだろう。妻の歩んだ七十三年の歳月は、私と歩んだ五十年は、いったい何だったのだろう。そう思うと、どうにも寂しくてやりきれない。
私の心境など知りもしない妻は、きらきらとした眼差しを東照宮の紅葉へ向けている。
だから私は、妻へ、というよりも、自分自身に何か希望の光のようなものが欲しくて、口を開いた。
「今度、もみじを見にいこうか」
その翌週、私と妻はJR線と地下鉄を乗り継ぎ、日比谷公園に来ていた。
案の定、妻は紅葉を見にいくということを忘れていた。それでもいい。今日のことも、きっと妻の思い出には残らないだろう。それでもいい。ただの一瞬でも、認知症の妻と、その介護をする夫という肩書きから外れ、紅葉を楽しむ老夫婦として過ごす時間を作りたかった。
公園内の木々は、あと一歩で見頃というところまで色づいていた。もう一週間ほどたてば、赤や黄色の絨毯で辺りは埋め尽くされるだろう。妻はまだ青い部分の残るカエデやイチョウを見上げては、ふふ、と頬を緩めている。それだけで、来てよかったと思える。
ふと見ると、妻の白い頭の上にイチョウの葉が乗っていた。私がそれを手でどけようと腕を伸ばすと、カシャ、とひとつ音がした。
「あ……。すみません。素敵な画が撮れると思って……」
音のしたほうを見れば、三十代半ばと思しき青年が、カメラのレンズをこちらに向けて立っていた。
「いい夫婦の日にちなんで、写真を撮ってまして……。あ、私こういうものです」
青年はよれたツイードジャケットの胸ポケットから、名刺を取り出した。そこには確かに「カメラマン・大沢大輔」と記されていた。
「いい夫婦の日?」
「ほら、十一月二十一日の語呂合わせで」
い・い・ふ・う・ふ、とゆっくり、音を切りながら青年は言う。
「まあ、わたしたち、夫婦に見えてるんですね」
「違うんですか?」と、ぽかんと口を開けた青年をよそに、妻はころころと笑っていた。
(了)