伊勢原で臨終、江戸城築いた武将「太田道灌」のキャラクターを描こう!
伊勢原市立図書館(神奈川県)では、11月に伊勢原にゆかりの人物である、連歌師の心敬(しんけい)と太田道灌の教養講座が開かれます。関連イベントとして「太田道灌」のイラストを募集しています。
太田道灌とは、室町時代後期の武将であり、江戸城を築いた人物。幼名は「鶴千代」。鎌倉五山と栃木県の足利学校で学び、幼少期から頭がよく口も達者でした。頭が切れすぎる息子の非凡な才能を「知恵が過ぎれば厄介であり、知恵が足らねば災いを招く。例えれば障子は直立してこそ役に立ち、曲がっておれば役に立たない」と心配すると、鶴千代はそれに対し「屏風は直立しては倒れてしまい、曲っていてこそ役に立ちます」と言い返したそう。(太田家記より)
軍略にもすぐれていた太田道灌は、江戸城の基礎を作りました。戦略の重要拠点として立地を考え、川と海に囲まれた地形をうまく利用。城内には弓場を設けられ、農兵をあつめて日々、稽古をさせていました。怠けているものからは、罰金を取ってお茶代にしていた…との話も残っています。
道灌の生涯は54才、伊勢原の地で幕を閉じます。1486年7月26日に、主君である上杉定正より、糟屋館(扇谷上杉氏の本拠地、伊勢原市)に招かれ、仕組まれた刺客によって暗殺されました。一説には定正が道灌に対し、嫉妬や恐怖心を抱いており、謀反を企てているとの噂を信じてしまったことが発端とも言われています。
和歌にも長じていた道灌は、死の間際、刺客が詠んだ上の句「かかる時さこそ命の惜しからめ」に、下の句「かねてなき身と思い知らずば」を続けたといいます。余裕をみせた臨終間際のその姿は、新渡戸稲造の「武士道」にも、紹介されています。
伊勢原市では毎年、「道灌まつり」が行われています。今年で49回目(10月1日~2日の開催)。人気の太田道灌公鷹狩り行列、今回は三田村邦彦さんが登場します。
太田道灌のイメージを表したイラストなら、ゆるキャラ風でも、アニメ風でも、美化して描いてもOKです。作品は、図書館内に展示されます。1階レファレンス室の「太田道灌コーナー」に関連本がありますので、興味を持った方は是非一読を!
公募情報の詳細はこちら:https://www.koubo.co.jp/web/2/detail024316.html
太田道灌のイラスト募集(2016年10月16日〆切)