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作家と缶詰め 書けない苦悩とお金の話

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作文・エッセイ
Pickup!

多くの作家が宿泊し、作家志望者でなくても一度は泊まりたいと思ったことがある「山の上ホテル」が休館することになった。「山の上ホテル」と言えば、締切が近づいても書けない作家を缶詰めにするホテルとしても知られる。そこで今回は、「作家と缶詰め」についてその効用をまとめてみた。

 

文豪ゆかりの「山の上ホテル」が休館へ

2023年10月23日、東京・神田駿河台にある「山の上ホテル」が、建物の老朽化への対応を検討するため、2024年2月13日から当面の間、休館すると発表された。同ホテルは昭和29年に開業。竣工から86年を迎える。休館期間については未定とのことだ。

 

「山の上ホテル」は出版社や古書店が集まる神田にほど近く、多くの文豪に愛されたホテルでもある。川端康成、三島由紀夫、池波正太郎らが宿泊、缶詰めになって執筆し、多くの名作をものした。
伊集院静氏も、NHKの取材に対して、「たくさんの作品を創り上げることができたのはこの山の上ホテルがあったからだと思います。ありがとう」(https://www.nhk.or.jp/shutoken/newsup/20231024a.html)とコメントしている。

 

「山の上ホテル」の建物は、幾何学モチーフや直線、流線形が多用されたアールデコ様式の洋館。館内には滞在中に池波正太郎が描いた絵が飾られ、ロビーには辞書コーナーもある。ロビー前には、吉行淳之介のコラム「トワイライト・カフェ」の舞台になった英国風のカウンターバーもある。

 

文豪ゆかりのホテルとあって、作家に憧れる方々が「ここに缶詰めにされて、編集者に『先生、原稿はまだですか』と催促されてみたい」と夢を語った聖地でもある。それは夢のまた夢としても、一度は泊まってみたいと思った人も多いことだろう。
「休館のお時間をもらったうえで建て直す方針」(山の上ホテル担当者)とのことなので、文豪が愛した「山の上ホテル」そのものに宿泊したい人は建て直される前に予約を!

 

作家を缶詰めにして元は取れる?

遠藤周作は原稿が書けない状態を「かわいた手ぬぐいから水をしぼり出すような苦しさを味わうたびに、ああもうタマランと思う」(遠藤周作「私の小説作法」)と言っているが、書けないときはプロでも書けない。それが並の作家なら「書かなくていいよ」と言われるが、文芸誌の表紙に名前があるのとないのとでは売り上げが何万部も違ってくるような人気作家になると、出版社は作家をホテルなどに泊まらせ、無理やりにでも書かせる。これが缶詰めという状態だ。

 

という話を耳にすると、ホテルに長期滞在して元はとれるのかと下世話なことを考えてしまう。くだんの「山の上ホテル」はスイートルームなら7万円超、スタンダードシングルでも3万円弱。仮にスタンダードシングルに泊まったとして、半月も缶詰めになったら45万円、1ヵ月もいたら100万円近くになってしまう。むろん、負担するのは出版社だ。

 

となると、費用対効果ということになるが、1冊1000円、粗利30%の文芸誌が、ある作家の小説を掲載したところ、部数が1000部増えたとしよう。増収は30万円。これでは全然赤字だ。
しかし、その小説が単行本化され、1冊1500円、初版1万部で発売になり、粗利が30%なら、出版社の売り上げは450万円。それが重版につぐ重版となり、20万部のベストセラーとなれば、利益は9000万円となるから、1ヵ月ぐらい作家を缶詰めにしても十分ペイするのだ。

 

吉川英治は美空ひばりより稼いだ!

一方、集中して執筆するために自腹で缶詰めになる作家もいる。最近はほとんど例を聞かないが、川端康成・湯ヶ島温泉、夏目漱石・修善寺温泉、志賀直哉・城崎温泉のように温泉宿に長逗留して書く作家もいた。

 

吉川英治に至っては角間温泉に1年余りも籠ったそうで、仮に今の貨幣価値にして1泊5000円で泊まれたとしても、1年余りでは200万円近くになってしまう。それでは本が売れても行って来いなのではないかと思ってしまうのだが。

 

ところが、さにあらず。昔はろくに娯楽がなかったから、本は不況でもよく売れた。そこに来て高度成長期が到来する。庶民は娯楽にお金がまわせるようになり、文芸誌は100万部の市場に発展、単行本も文庫本もよく売れた。結果、流行作家は歌手よりも人気俳優よりも高所得になったのだ。
下記は昭和30年の確定申告額トップテン。

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ちなみに、美空ひばり2096万円、三船敏郎1663万円で、吉川英治はこれをしのぐ収入だった。しかも、そんな作家がごろごろいた。
伊藤整は昭和 36年に、「『純』文学は存在し得るか」という論文を書いているが、純文学が売れなくなったそんな時代でも、川端康成、伊藤整といった作家には十分な収入があり、決して食えない商売ではなかったのだ。

 

自分で缶詰め状態に追い込むには?


最近は昔のように一部の流行作家が出版社を支えるという構図はなくなっており、作家自身もスケジュール管理できるようになっているから、書けない作家を缶詰めにすることはほとんどなくなっている。とはいえ、缶詰めになる効用が失われたわけではない。 

 

缶詰めになる利点とは、下界から隔絶されることにある。世俗の世界は気が散ることがたくさんあり、誘惑も多いから、集中力がそがれるのだ。
スティーヴン・キングは、以下のように助言している。

 

「書斎に電話はない方がいい。テレビやビデオゲームなど、暇潰しの道具は論外である。窓はカーテンを引き、あるいは、ブラインドを降ろす。気が散るものはいっさい排除すべきである」(スティーヴン・キング『小説作法』)

 

現在では、これらに加え、インターネットというものがある。スマホ依存的な人は習慣的にSNSやメールをチェックしてしまい、つい返信などして気づけば10分、20分。それが積もり積もって3時間ということもある。
芥川賞作家の本谷有希子さんは、SNSについてこう言っている。

 

「最近、どうやって小説を書く時間を作りだそうかと思ったときに、仕事部屋にスマホを持ち込まなければいいんだと今さらのように気がついて。さっそく実行してみたら、本当にはかどりました。こんなシンプルなことを、なぜ今までやらなかったんだろうと」(公募ガイド2018年11月号特集)

 

自分の部屋がある人は、集中力をそぐものを持たずに閉じこもろう。物理的に缶詰め状態になることが難しい人はホテルに行くしかないが、もっとも大事なのは本人の意志。つまり、厳しく尻をたたいてくれる編集者のような自分を心の中に持つことだろう。あなたを缶詰めにするのはホテルではない。書きたい意志という名の心の編集者だ。