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エッセイを書く勘どころ③:エッセイの文章はどうあるべきか

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1.わかる

エッセイの文章の条件1は、意味が通じること、わかること。

わかっているのは本人だけ

【例文】
昨日はいつものように小夜さんの家で朝食を食べ、そのまま出勤していった。
満天の星空の下、ベッドの中で資料を読みあさった。くさかった。

小夜さんって誰? 朝食を食べたのに夜? 誰が会社に行った? 会社にベッド? 何がくさかった?
 こうなってしまう原因は客観的な目がないこと。自作を第三者的に見て、「果たしてこれで通じるか」と常にチェックする姿勢が必要です。

構文が複雑すぎる

「梅之助は、劇団創立者の一人で一九六七年、仲たがいして別れた河原崎長十郎から十一の役を、長十郎と劇団の両輪だった父翫右衛門から二十の役を継承した」

『ベスト・エッセイ2016』所収、大城立裕「怪! 関係代名詞文体」

引用文をさらに引用したものです。「文は短く」と言いますが、例文の場合、
問題は長さではありません。複雑さです。このような場合は文を分けるより手がないのに、それを強引に一つにしてしまったので、梅之助が劇団創立者の一人のように読めて誤読を誘うわけです。
よく読めばわかりますが、よく読まなくてもわかるのがいい文章です。
自分では何度も読んでいるので意味がわかりますが、書き終わったら改めて他人の目で見る。やはりわかりやすい文章に必要なのは、客観性です。

 

【例文】
今年は台風が少なかった。今は夜中の三時だ。

 

二つの文があれば、読む人はその関係を考えますが、上記のようになんの関係もない文章が並んでいると、疑問を抱えたまま次に進まないといけなくなります。関係のない文は連ねないこと。

 

【例文】
すき焼きを食べた。箸は輪島塗で、箸置きは飴細工を思わせる光沢があった。今までで一番おいしかった。

 

「すき焼き」「箸」「箸置き」ときたら、これらと並列の関係にある文を置くか、
これらを踏まえたうえで「こうだ」と言うのが普通です。
または、「おいしかった」と言いたければ、「すき焼きは」と主語を明示しないと意味が通じません。

2.引っかからない

エッセイの文章の条件2は、読んで
いて引っかからないこと。
引っかかるというのは、以下のようなことです。


一、「てにをは」がおかしい。
二、言葉の使い方が変だ。
三、なんだか紋切り表現だ。
四、普通はそうならないでしょ。


一は、〈入選できなくても応募することが喜びを感じる〉〈私は定年後、公募生活を再開されました〉のような助詞などの使い方がおかしいよじれ文。
二は、〈文章力向上と語彙を増やしたい〉のような文章。この場合は言い方をそろえ、〈文章力を向上させ、語彙を増やしたい〉か、〈文章力向上と語彙増加に努めたい〉にします。
三は、〈と思うのは私だけだろうか〉〈と思う今日この頃〉といった慣用表現を指します。
四は、〈第一に〉で始まっているのに〈第二に〉がないとか、〈すべからく〉と言っているのに〈べし(すべき)〉がないなどです。

ほかにもありますが、一番の原因は推敲不足だと思われますから、書いたあとに何度も読み返し、時間をおいてまた読み返しましょう。

読んだ人に得をさせるという発想

文章を読むのは大変な作業です。言葉の意味を理解し、一文を読み解き、文と文の関係を把握し、行間も読む。けっこう疲れます。
それだけに、読んでくれた人に何かプレゼントしましょう。
それは「新しい情報」「新しい知識」「共感」「感動」「笑い」などです。「知って得した」「読んでよかった」と思えることを一つは盛り込む。そういう姿勢で書かれたエッセイはいいエッセイですね。

3.目に浮かぶ

エッセイの文章の条件3は、書かれている情景が目に浮かぶこと、感じがよ
くわかることです。
そのためには目が重要です。書き手の頭に映像がないと、それを示す文章もぼんやりします。
ただ、書き手の頭の中にある情景なり概念なりを説明だけでわからせようとしても限界があります。
そんなときに便利なのが比喩です。

「ところで、友だちっています?」
すると、その方は、
「まあ、いますね。三人、かな」
と、まるでお一人ずつの顔を思い浮かべたかのように言った。

『ベスト・エッセイ2016』所収、谷村志穂「財布を、落とした」

「まるでお一人ずつの顔を思い浮かべたかのように」が比喩ですが、これにより、セリフの「三人、」の読点のところでちょっと考えるような顔をして三人思い浮かべたが、四人目は出てこなかったという表情まで浮かんできます。

グライダーと飛行機は遠くからみると、似ている。空を飛ぶのも同じで、グライダーが音もなく優雅に滑空しているさまは、飛行機よりもむしろ美しいくらいだ。ただ、悲しいかな、自力で飛ぶことができない。

外山滋比古『思考の整理学』所収「グライダー」

これは自ら学ぶ学生を飛行機に、受動的な学生をグライダーにたとえたもの。比喩によって著者の考えがより明確に。
比喩は、外から似たものを借りてきて、「そのようなもの」とたとえます。やりすぎると、本来は借りものであったたとえがどっかり居座り、軒を貸して母屋を取られることになりかねませんが、うまく説明しきれないときに使うと、絶大な効果を発揮します。

 

※本記事は「公募ガイド2016年11月号」の記事を再掲載したものです。