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第28回「小説でもどうぞ」佳作 約束 ――デュレンマットへのレクイエム 敷島怜

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結果発表
第28回結果発表
課 題

誓い

※応募数272編
約束 ――デュレンマットへのレクイエム 
敷島怜

 毎晩、妹の夢を見る。赤いスカート、おかっぱ頭、顔はぼんやりともやがかかって……
「お兄ちゃーん、待ってよー 嘘つき! 約束したのに!」夢の中の妹は、ガリガリに痩せて曇り硝子のような目をしていた。

 僕が八歳の時、四つ下の妹が消えた。あの日、学校から帰った僕は、遊んでやると約束していた妹を置いて友達と野球に行った。妹は、家人が目を離したほんの数分の間に、忽然と消えてしまった。神隠しのように。
 悲嘆のあまり正気を失った母は、嵐の夜、断崖から時化しけで荒れ狂う海に身を投げた。
 僕の生家の真庭家は、地方にある海沿いの村の旧家で、そのあたり一帯の地主だった。父はその跡取り息子として甘やかされて育てられ、長ずるに従って傲岸な性格と粗暴な行いが目立つようになった。母の死後は元来酒飲みだったのがさらに酒量が増え、二年後、肝硬変と食道静脈瘤破裂で吐血して死んだ。
 妹を奪い、両親を死に追いやり、僕の家庭を破壊した犯人に正義の裁きを下す――そのために僕は警察官になった。

 二十年後、僕は刑事に昇進していたが、妹を忘れた日は一日たりとてなかった。警察の権力と情報力で犯人を探すためには、もっと上へ昇り詰める必要がある。僕は刑事の仕事に邁進した。更に民間の情報機関を雇い、密かに反社勢力などの裏社会とも繋がりを持って情報を集めた。故郷の山や田畑は全て売り払い、その費用に充てた。あの日妹に何が起こったのか――このまま真実を知ることなく一生が終わるのかと思うと、気が狂いそうになる。砂漠の中で一粒の砂を探すような日々が果てなく続く気がした……だが、終焉はある日唐突に訪れた。妹は生きていたのだ。

 僕は妹が『犯人』と住むアパートのドアの前に立った。報告によると、妹は出勤して今は犯人しかいないはずだ。ドアが開くと、そこには死んだはずの母が立っていた。
 母が目の前に座って、りんごを剥いてくれる。昔みたいに。そして話し始めた――二十年前、母は逃げた。父から。あの日妹を連れ去ったのは、母の協力者だった。その後母は自殺を装って村から脱出し、名前を変えて妹と二人でひっそりと暮らしていたのだった。
「ごめんなさい……でもあの時は、ほかに方法がなかったの。真庭は、離婚なんて言い出したら、怒り狂って何をするかわからない人だった。わたしだけでなく、子供にも手を出したらと思うと、逃げるしか……」
 実際に、母が去った後、父の暴力は僕に向かうようになった。でも、当時は仕方ないと思っていた。僕が妹との約束を守らなかったせいだと。(だけど……)僕は食いしばった歯の奥から絞り出すように言った。
「なぜ、僕も連れて行ってくれなかったの」
「あなたはあの家の跡取りだから、いなくなれば真庭家は血眼になって探すわ。怖くてできなかったの。それに……わたしは、あなたの本当のお母さんではないのです」
 僕の生母は、僕がまだ赤ん坊の時に首を吊って自死した。原因は父の暴力と義両親からの虐待だった。その後父は村で見かけた母を気に入り、強引に後妻にしてしまった。当時母には婚約者がいたのだが、大地主の真庭家の権力には村の誰も逆らえなかった。酒を飲んでは暴力をふるう父との生活は地獄以外の何ものでもなく、このままでは自分も先妻のように殺されてしまう、と母は思った。
 それだけではなかった。妹は、実は母と婚約者の間にできた子だった。もしも父がこの事実を知ったら……母は妹を守るために、僕を捨てた。僕は、母とも、妹とも、血の繋がりがなかった。家族じゃなかった。家庭なんか、最初からなかったのだ。
「あの子は、あの頃の記憶がないの。だから、あなたのことも憶えていないわ……お願いです、もう、ここへは来ないでください。どうか、わたしたちをそっとして……」
 母の最期の言葉を、僕は銀の刃で永遠に封じた。

「果物ナイフで心臓をひと突き、指紋はもちろん一切の痕跡なし。プロの犯行だな」
 地下の霊安室で、同僚がヒソッとつぶやく。
 妹は母の遺体にすがって泣き叫んでいた。
「どうして! いやよ、お母さん……」
 横たわる母の顔は安らかで、あたかも死の恩寵の光に包まれているかのように見えた。
 その時妹が顔を上げた。二十年ぶりに顔と顔を合わせて見た妹の目は爛々と燃えて悲しみと怒りに震え、夢の中の面影はなかった。
「……約束してくださいますか、刑事さん。生涯をかけても、犯人を捕まえると」
 思いがけない強い口調と『約束』の言葉に、僕はたじろいだ。(約束すると言ってこの場をしのぎ、刑事を辞めて外国へ逃げよう)そう決心したが、刹那に夢の顔が浮かび、二十年の歳月を透かして目の前の顔と重なった。
(また、僕は妹との約束を守れないのか?)
 僕に残された人生との和解のすべは、死か告白――ほかに道はないのだ、と悟った。
(了)